勇者な妹にゴマすって楽に生きたいだけの人生……だったんだ
突然だが、俺の話を聞いてほしい。
例えば、あるところに極々平凡……よりもちょっと劣った少年がいたとする。
特筆すべき長所もなく、むしろ要領が悪いせいで人の何倍も努力しなければならないのに、彼は生来の飽きっぽさからその努力すら放棄しがちだった。
当然、勉強でも運動でも、周囲からはどんどん置いて行かれる。
親しい友人もできず、家族にも半ば見捨てられた少年。恋人なんて夢のまた夢で、現実に作れるはずもない。
だというのに、それらすべては自分ではなく社会や環境や運が悪いと責任転嫁するような、そんな救いようのないダメダメ人間がいたと想像して欲しい。
なんとも生意気で、かつ腹の立つガキではないか。
人畜無害? いやいや、こういうのは無益や無駄とでも表現すべき人間で、まだしも家畜の方が社会にとっては有益な存在だろう。
なるほど、悪人ではないのかもしれない。でも、誰が見たところでどうしようもなく小物だ。
しかしそんな彼も、ある日唐突に、避けようもない事故に巻き込まれて呆気なく死んでしまう。
通常であれば、そこで少年の人生は終了だ。ゲームオーバーだ。セーブもロードもリセットもできるはずがない。
人様に誇れるようなことは何も成せず、むしろ周囲に苦労と迷惑をかけ続け、ただ無駄に時間と資源を浪費しただけでその生を終えた、役立たずの取るに足らない少年。同情も憐憫も湧いてこない。
けれど、もしもである。
そうして死んでしまった少年の前に、神様を名乗る存在が現れて。
異世界で人生をやり直せるチャンスをくれたとしたら、はたして彼は真っ当な人間に生まれ変われるのだろうか?
……断言しよう。絶対に無理である。
考えても見て欲しい。そんな甘ったれたクソガキの性根が、一度死んだくらいで治るだろうか?
ああ、確かにそこから再起する人もいるだろう。今度こそは胸を張って自慢できる人生を送ろうと、精一杯奮起する素晴らしい人間も中にはいるのかもしれない。
だが、やはり人の本質なんてものは、そうそう変わりはしないのだ。
そして、彼は変わらなかった……否、変わろうとしなかった側の人間であった。
降って湧いた幸運に感謝こそすれ、それを次に生かそうという発想がない。何の根拠もなく自分は幸福になれる、いやなれるべきだと信じて疑わない脳みそお花畑。
さらに信じがたいことに、傲慢にも強欲にも不遜にも、そして身の程知らずにも程がある彼は、『前世の記憶付き転生』の権利だけに飽き足らず、他にも様々な要求を神様に突き付け始めたのだ。
やれ、転生先は貴族の息子が良いだとか。
やれ、容姿は絶対にイケメンじゃないと許さないだとか。
やれ、生まれつき他の現地人にはないチートが欲しいだとか。
本当に、どうしようもない人間である。
呆れ果てて開いた口が塞がらないとは、まさしくこのことだろう。もう二、三度死ねばいいと心底思う。
しかし、少年にとっては都合よく……あるいは他の者にとっては許しがたいことに、寛容な神様はその大それた願いのほとんどを叶えてしまったのである。
こうして、少年は数々の特典と共に剣と魔法のテンプレ異世界へと旅立った。
彼はその後、生まれながらに恵まれた能力をフル活用して、若い頃から多くの偉業を打ち立てることとなる。
金も名誉も権威も好きなだけ手に入れ、なんやかんやあって複数人の美少女たちから好かれて絆を結び、二度目の人生は死ぬまで幸せに暮らしたのだ。
「――なぁんーて、そうそう甘い話があるはずがないんだよなぁ」
はぁ……とため息を吐きながら、俺――アルトゥル・クヴィストは呟く。
きっとここまで聞けば誰でもわかると思うが、これまで語って来た少年とは、つまり俺のことである。
確かに、俺の転生先は貴族の息子であった。
ただし、実家は今にも没落しそうな地方の零細騎士爵家。それも俺自身は三男という微妙な立場だったが。もしかすれば中央の豪農の方が裕福かもしれない。
確かに、俺はイケメンに生まれ変わった。
ただし、元から容姿端麗な者が多い貴族の中では、精々が中の中くらいのイケメンだったが。つまりは並みである。
そして――確かに、俺は神様からチートを得た。
ただし、それだって目の前のこの光景を見せつけられれば、どれほどの価値があったのかわからなくなってしまうのだが。
はぁ……と、再びのため息を吐く。
それと同時に、ズウゥゥンっ! と腹に響く重い地鳴りが伝わってきた。
舞い上がった大量の土煙から目を庇いつつ顔を上げてみれば、そこにあったのはギョロリと剥かれた巨大な爬虫類の眼。
だらりと開かれた口には俺の腕ほどもある鋭い牙が無数に並び、今にも動き出して喰らいついてきそうな迫力があった。
全身が紅い鱗に覆われているトカゲに似た、けれどトカゲ如きには絶対に出せない威圧感を放つそいつは、魔物の中でも最上位に位置する種族――ドラゴンだ。
もっとも、今となってはその死骸でしかないのだが。
俺は空を飛ばぬよう翼をもがれ、ブレスを吐けぬよう喉を潰され、暴れぬよう尻尾を断ち切られ、おまけで全身から血を流して絶命している紅色のドラゴンに憐れむような視線を送る。
どれほど弱い個体であっても騎士団の一軍、場合によっては国を挙げて対処しなければならない天災に匹敵する魔物だろうと、こうなってしまえば憐憫の情が先に立つというモノだ。
では、そんなドラゴンを誰がここまで痛めつけたのか。
決まっている。今もドラゴンの頭蓋を土足で踏み躙り、俺を見下ろしているたった一人の少女が、だ。
太陽の日差しを浴び、黄金の稲穂のように揺れる長髪。霊峰の頂に積もる白雪のように透き通った肌に、狂った天才人形師が丹精込めて作り上げた傑作のように華奢で儚い美貌と身体。
その力強い意志を感じさせる翡翠色の瞳が、俺を真っすぐに射抜く。まるで剣で刺し貫かれたかのように心臓が跳ねた。
彼女の名は、リリスティア・クヴィスト。
俺の生まれ故郷である王国にも五人といない【勇者】の加護を持つ英雄にして、俺の双子の妹であった。
「何してるですか。早く解体するです」
「……はいはい、わかったよ」
淡く色づいた小さな唇から発せられたのは、鈴を鳴らしたかのような可憐な声。
ただし、その内容は冷淡、あるいは無情そのもので、俺は諦観を多分に含んだ苦笑いを浮かべながら背負っていた巨大な背嚢を下ろした。
こんな大物、必要な部位だけでも解体するのにどれだけかかることやら……腕まくりをしながら、俺は普段から持ち歩いている肉厚のナイフを鞘ごと取り出ながら呟く。
「それで、どの部分を取ればいいんだ? 竜玉は当然として、牙か? 爪か? それとも皮とか鱗か? 骨は価値が低いからいらないよな?」
「は? 何を言ってるのです? ドラゴン素材は丸ごと高く売れるのです。全部持ち帰るに決まっているのです」
「……マジすか」
真顔で告げられた言葉に戦慄する。それは果たして、日が暮れる前に街まで帰れるのだろうか? と俺は脳裏で勝算の薄いどころか皆無な勝負の結果を予想した。
目の前に横たわる相手は小山ほどの巨体。これを全部綺麗にバラして街まで運ぶとなると、どう考えても人手も時間も足りないことは明らかだった。
おかしい……妹の考えていることがわからない。俺に徹夜で一週間、馬車馬のように働けと?
まあ、本来ならば数十人、多ければ百人規模で討伐するような獲物である。
それを二人……もとい、たった一人で戦いを挑むどころか、一方的に蹂躙する方がおかしいと言えばおかしいのだが。
俺は頭を掻きながら、ドラゴンから飛び降りた妹に諭すよう語り掛ける。
「あのなティア、こんなデカいの俺一人じゃどう頑張ったって解体しきれないぞ?」
「やるのです」
「いや、だから圧倒的に時間も人手も足りな――」
「やるのです」
「…………」
「やるのです」
「……はい」
まるで路傍の石ころを見るような目で繰り返される命令に、俺はガックシと肩を落としながら頷かざるを得なかった。
ふ、ふふっ……笑いたければ笑うがいい。双子の妹に顎で使われる、この情けない兄の姿をな。
なお、当然のように彼女は手伝わない。未だドラゴンの血が滴る長剣の刃に目を落とし、僅かにその柳眉を顰めながら汚れを拭いもせず腰に差した鞘に納めた。
あのー、後でその剣の手入れをするのは俺なんですけど。せめて血糊くらいは落としてもらわないと鞘の中で錆びついて……って、聞いてませんよね、はい。
どうやら先程の戦闘でも傷一つ負わなかったティアだが、剣の方はそうもいかなかったらしい。使い手の圧倒的な技量に、武器の性能が追い付いていないのだ。
とは言え、それもある意味では必然。彼女は勇者であり、振るう得物はそれこそ聖剣レベルの逸品でもなければ釣り合わない。
恐らくあの剣はもうダメだろうと、俺は内心で落ち込む。素材からして俺が国中駆けずり回って集め、知り合いである王国でも有数の鍛冶師に頼み込んで打ってもらった一本なのだが。
だがまあ、四か月も使えただけ長持ちした方だろう。
あぁーあ、勿体ない。普通に買えば一般家庭が一生慎ましく暮らせる程度の値段はするのだが。
そんな名剣を平均二か月ペースで廃棄処分されては、見ている方はたまったモノではない。
「何をしてるのですか。さっさと仕事に取り掛かるのです」
「おわっ! ……って、はいはい。兄さん了解しましたよ」
俺が自身を見つめていることに気づいたティアが、眉間にしわを作りながら鞘に納めた剣を投げつけてくる。慌ててキャッチした。
どうにも我が妹様は機嫌が悪いらしかった。だが、それも是非もない。
普段から勇者として東奔西走、王国中の危険な魔物を討伐しているティアの久方ぶりの休日。王都郊外にある景色の綺麗な丘へ息抜きに足を延ばしてみれば、間が悪く襲来したはぐれドラゴンと一戦交えることになったのだから。
しかも、それで物には執着しないタチのティアが珍しく気に入っていた愛剣もポックリ逝ってしまったのだ。不機嫌にもなる。
ちなみに、俺はティアの荷物持ちとしてついて来た……というか、半ば無理やり連行されてきた。当たり前のように準備も手配もすべて俺がやった。兄さんは妹様には逆らえないのです。
それでドラゴンと勇者の戦いに巻き込まれたというのだから、俺からすれば本当に笑えない。
「本当、どうしてこうなったんだろうなぁ」
サックリと、とりあえず一番手近なドラゴンの頭部に、解体用ナイフの刃を突き立てながらボヤく。
流石はティアの剣を打った際の端材で作ってもらっただけあって、切れ味の方はそこらの名剣にも劣らない。これだけでも売れば一財産になるだろう。いや売らないけど。そんなことしたらティアに半殺しにされるだろうから。
俺だって神様からチートを貰ったはずなのだ。なのに現実には、妹の顔色を窺ってご機嫌取りな毎日。詐欺だと叫びたい。
しかし、こんな現状でさえ元をたどれば俺の自業自得でもあるのだから、誰を恨めばいいという話でもない。しいて挙げれば過去の自分の愚かさを、だろうか。
それに、今は完全に俺をパシリとしてこき使っているティアだが、昔はそうでもなかったのだ。
まだ俺たちが実家で暮らしていた幼い頃、勘違いでなければ彼女は俺を慕ってくれていたように記憶している。
それがこうなったのも、すべては俺自身が不甲斐ないせい。これはティアが人を見る目を養ったと喜ぶべきだろうか。
「はぁ……なんだかなぁ」
俺は再三のため息を零しながら、ふと過去の日々を思い出すのだった。
*
この世界の人間は、生まれ落ちた時に神々から加護を授かることがある。
メジャーなところで、戦士、騎士、魔術師、治癒師、農民、商人、鍛冶師――その他に確認されているだけでも数千種以上。
彼らは生まれつき、それぞれの分野において常人を引き離す才能を持っていることを保証されている。いわば生まれついての天才、エリートたちだ。
例えば、【剣士】の加護を持つ者が剣を握れば、ロクな訓練をせずとも容易く低位の魔物程度なら切り捨てられる。
【料理人】の加護持ちはどんな劣悪な素材からも美味な食事を作り出すし、【薬師】が調合した薬はそうでないものと比べて倍以上効能が違う。
加護を持っているだけで、生涯にわたって仕事に困ることはない。
誰もが口を揃えてそう言うほど、この世界の住人にとって加護とは人生を左右する重要な要素なのだ。
そして、俺の双子の妹であるリリスティア・クヴィストは、その中でも最高位の【勇者】の加護を宿して生まれてきた。
【勇者】――それはあらゆる分野に高い適性を発揮する、加護持ちの中でも数十万人に一人の割合でしか現れない至高の加護。
落ちぶれた零細騎士爵家に誕生した、輝かしい未来が約束された珠玉の天才児。一家の者がどのような反応を示したかは、まあお察しと言うやつだ。
対して、家族にとってはおまけのように一緒に生まれてきた兄の方はと言えば、こちらも同じく加護を授かっていた。
ただし、加護持ちの身体の何処かに刻まれ、その証明となるはずの神紋の形が、これまで判明しているどれとも違っていたのだが。
つまりは全くの新種。誰もが知らない新たな加護に、俺の家族たちは最初こそティアと同じように沸き立った。
……が、すぐにその期待は失墜した。
なにせ、俺の能力は常人と全く変わらないのだ。膂力も、知力も、魔力も、技術も、加護なしの人間と何も変わらない。何をやらせても、俺は並以上の結果を出せない。
だが、それもそのはず。
俺が神様から与えられた能力は、『努力すればするだけ成長する』という、いわゆる成長チートなのだから。
ただし……その成長率は『常人と同じ』。
要は『努力すれば何でもできるようになるよ、時間をかけて必死に努力すればね』という、忍耐力のない俺には正しく宝の持ち腐れなチートだったのだ。
無論、俺とてそうとわかれば努力はしたとも。それこそ、前世の俺が見れば熱病でも患ったのかと引くほど必死に。
毎日早朝に起きては剣の素振りを行い、昼は屋敷に勤めている人たちから様々な技術を盗み、夜は寝る間も惜しんで両親がティアのために大枚を叩いて買った魔術書に齧りついた。
けれど、幼い頃からそんな生活を続けて数年。俺の心は呆気なく折れた。
何故って、俺の隣にはいつもティアがいたから。俺が一つづつ出来ることを増やしている間に、妹は何十歩も先に進んでしまうのだ。
剣の先生から素振りの型を習った。その横で、ティアは本気の先生と立ち会って一本取っていた。
地元の猟師から狩りの仕方を教わった。その横で、ティアは弓を片手にたった一人で森に分け入り、数多くの獲物を仕留めて帰って来た。
独学で魔術を一つ覚えた。その横で、ティアは見様見真似でその魔術を模倣し、更には改良してまったく新しい魔術を生み出していた。
何をしても、ティアは常に俺の上を行く。
彼女は俺の上位互換で、俺は彼女にとって下位互換。
そんな存在を間近で見続けた俺は、努力では決して埋められない差を前にすべてを諦め――
今度は全力で、妹にゴマをすることにした。
だってそうだろう? ティアが将来栄達することはほぼ確定しているのだ。
ならば子供の内から媚びを売っておき、少しでも印象を良くしておけば俺も甘い汁が吸えるかもしれないじゃないか。
誠にゲスい考えである。今すぐ過去に舞い戻って当時の俺をぶん殴りたい。
とにかく、その日から俺はティアを甘えに甘やかした。それはもう、デロッデロに甘やかした。
もっとも、俺も子供だった故にそう大したことはできていない。
食事の際にティアの苦手な食べ物をこっそり代わりに食べてあげたり、習い事をさぼって俺の小遣いで街に買い食いにいったり、ちょくちょくとプレゼントを贈ったり、彼女のことを影で悪く言っていた使用人に悪戯したりなど、今から思えばどれも可愛いモノだ。
おかげさまでティアの評判とは反比例して、両親を中心に屋敷内で俺の悪評が広まってしまったが。
彼女を立派な勇者に育てたい彼らからすれば、俺の行動はティアを堕落させようとしているようにしか見えなかっただろうからな。
けれど、その頃の俺はティアにゴマすることで頭が一杯だったのだ。他のことは目に入らなかったのだ。
思えば、それがいけなかったのだろう。
気づいた時には、俺とティアの関係は兄と妹ではなく、主人と従者のそれに変わっていた。
最初の契機となったのは、ティアが王都にある国で一番の学園に入学して一年がたった頃だった。
突然、連絡もなしに屋敷に帰省した彼女は、迷いなく俺の部屋に踏み入るなりこう言い放った。
「兄さん、私と決闘するのです。私が勝ったら兄さんは私の奴隷なのです」
訳が分からなかった。そして訳が分からないうちに屋敷の外に引きずり出され、訳が分からないくらいボコボコにされた。一週間ほど青痣が取れなかった。
後から話を聞けば、ティアが通っている学園では二年次に上がると、成績上位者は身の回りの世話をさせる付き人を指名できるようだった。
流石は通うだけでも莫大な金子を積まなければならない、国内最高峰の教育機関とでも言うべきか。ティアは特待生試験を突破して入学しているので、ウチは銅貨一枚たりとも払っていないわけだが。
一方、俺を含む彼女以外の兄弟は家庭教師を雇うだけで済ませていたので、その辺りの事情は全く関知していなかったのである。
ここは素直にそんな学園で成績上位者に入った、ティアの努力と才能を褒めるべきだろう。
んで、ここからが本題。
彼女はその付き人として、俺を学園に連れていきたいようだった。
ちょっと何言ってるのか理解できなかったが、気づいた時には俺は気絶させられ馬車に乗せられていたので、逃げ出すことすらできなかった。気分はドナドナ~♪
ただ……普通そういうのって、同じ学園の後輩とかを指名するんじゃないの? という俺の疑問は、決して間違っていなかったとだけ言っておこう。
そのせいで学園の講師陣内でも色々と紛糾したそうだが、結果としては俺も生徒として学園に編入することになった。しかもティアと同じ学年で。
無論、こんな横紙破りがまかり通ったのは、彼女が勇者だから以外の何物でもないだろう。
そしてそれと同時に、他の生徒から俺への盛大なイジメが始まった。それはもう、イビりにイビられた。
いやまあ、こう表現すると幾分か語弊があるだろうか。
彼らはただ、俺のような凡人が自分たちと同じ学園に通い、あまつさえ勇者の付き人に命じられたことが許せなかったのだ。
何の能力もないくせに、勇者の兄と言うだけで試験もなしに自分たちと同じ土俵に立ったことが、彼らの矜持をいたく傷つけたのだ。
ティアが通っていた学園は、王国でも優秀な者たちのみが集められた教育機関なのだから。
そんな中に非才な凡夫が混じれば、自分たちが馬鹿にされていると感じても仕方ない事だろう。
その点について、俺にはまったく非がないと強弁させてほしかったのだが、そんなことは彼らにとって欠片も関係なかったのである。
思い返してみても、とにかく酷い毎日だった。
実技の授業ではひたすら戦闘系の加護持ちに嬲られ、座学では無知を晒して嘲笑われ、それ以外の部分でもとにかくしごき抜かれた。
一体何度、逃げ出そうと考えたことだろうか。
ひとえに俺がそんな日常に耐えられたのは、すぐ傍にそんな彼らよりも万倍は恐ろしい妹が目を光らせていたから以外のなにものでもない。はっはっは、妹様バンザイ。
まあ、おかげさまで二か月前、無事に俺たちは二人揃って学園を卒業。
以来、勇者サマの従者のようなポジションのまま実家に帰らず、冒険者として並みの者よりも裕福な生活を送っているのだから、人生とは何が作用するかわからぬものである。
*
ティアが息抜きに王都郊外へピクニックに赴き、喧嘩を売って来たはぐれドラゴンを虐殺した日からおおよそ五日後のこと。
俺は駄目になった彼女の愛剣を新調すべく訪れていた武具屋を出たところで、あまり見たくない顔の主と遭遇してしまった。
「げぇっ!?」
「むっ? ……なんだ、随分な挨拶じゃないか。別に険悪な仲でもあるまい」
いえいえ、あなたと俺は出会った瞬間に回れ右する仲なんですよ。と言うかそうあって欲しい。
俺が思わず漏らしてしまった声に気づいたのだろう、着込んでいた銀の全身鎧を鳴らしながら振り返った彼女は、その怜悧な相貌に不満げな色を浮かべた。
「久しぶりだな、アルトゥル・クヴィスト。学園を卒業して以来か? 貴様の活躍は風の噂で聞いているぞ。先日もドラゴンを一匹仕留めたようだな」
「それはどうも。ただ一つ訂正するなら、あくまでその活躍はティア一人のものだということだ」
「ふむ……貴様がそう主張するなら間違いはないのだろうな」
クククと、そう言って愉快そうに喉を鳴らした鎧姿の若い女性。
嫌味か? いや、多分嫌味なんだろうけど。コイツ俺の事嫌いだろうし。
彼女の名はシルヴィア・ミュラー。騎士の加護を授かった才女であり、俺とティアが通っていた学園の同期。そして、その中でも特に俺への当たりが強かった一人である。
具体的には、実技の時間が来るたびに木剣で容赦なく叩かれ続けた。それはもう叩かれ過ぎて軟体生物になるかってくらい一方的に打ちのめされた。
彼女が俺に作った打撲は、恐らく在学期間中に五百は超えていただろう。骨折だって何度もした。
つまり何が言いたいかというと、俺は彼女がとてつもなく苦手だという事だ。今すぐ逃げ出したい。
とはいえ、それを言うなら俺の同期のほとんどは苦手な部類に入るのだが。学園時代はマジで俺のトラウマが量産された時期だ。
そんな記憶が、たった二か月で消える? ……無理に決まってるだろ。
幸いにも、その手のしごきは卒業が近くなるにつれて鳴りを潜めていったので、今ではこうして正面から言葉を交わす程度なら我慢すれば何とかなる。あくまで我慢すればだが。
しかし、そんな俺の内心など知ったことではないシルヴィアは、俺が手にしていたティアの長剣に目を向け、興味深そうに一人ごちた。
「ん……? それはリリスティアの剣か?」
「ああ、先日の戦いで芯がダメになったみたいだ」
「なるほど。そういえば彼女はよく武器を壊していたな。ここしばらくは無かったから忘れていたよ」
聞かれた以上は答えないわけにいかず、ズルズルとなし崩し的に店の前で会話にもつれ込んでしまう。
やめてくれシルヴィア、お前との接触は俺の精神に効く……やめてくれ。
「では、その剣は廃棄することになるのか?」
「いや、それが……」
背中を伝う冷や汗に極力気づかないフリをしながら、俺は彼女の質問に答えた。
「本人の希望としては、出来る限り修理して欲しいそうだ。それが無理なら、短剣みたいな形で再利用したいらしい」
「ほう? 得物にこだわらないリリスティアにしては珍しい注文だな」
「まあ、これを打つのに集めた素材も希少なものだしな。それを考慮しても、ちょっとばかし意外ではあるが」
長剣の鞘を指の腹で撫でる。渋いこげ茶色をした、スルリと肌触りの良い革製の鞘だ。
そういえばこれに使っている革も、俺とティアがわざわざ学園の長期休暇中に遠出して狩った魔物の素材だったか……と、俺は当時の苦労を思い出す。
それが、たった四か月で水の泡……はぁ。
しょげかえる俺に、けれどシルヴィアはしばし何事か考えた後、前言を撤回する。
「いや……だが、そうだな。訂正しよう。その剣に限っては、それほど意外でもないな」
「ん、そうなのか?」
「……気づかぬは本人ばかり、か」
記憶をさらってみるも、特に心当たりはない。
首を傾げる俺に、彼女は呆れたように息を吐きながらじっとりとした半眼で見つめてくる。
「なんだよ、言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうなんだ」
「なに、随分と愛されているなと感じただけだ」
「いやそりゃ、愛着がなければ短剣に鍛えなおそうとは言いださないだろ?」
その辺り、ティアはかなりシビアな価値観の持ち主だ。見栄えの良いものよりも実用的なものを好む、ある意味わかりやすい嗜好をしている。
この長剣だって、彼女の要望通りに仕上げるのにどれだけ手間をかけたことか。思い出したくもない。
何を当然の事をと問い返した俺に、シルヴィアはやれやれとばかりに肩を竦めた。
「これは重傷だ……」
「だから、一体何がだよ?」
呆れて言葉も出ないといった様子のシルヴィアはそれ以上何も告げず、俺はもやもやとした思いを抱えたまま彼女と別れることになるのだった。
……余談だが。
その後、帰りが遅かった俺の説明にティアが絶対零度の視線を浴びせることとなるのだが、それはまた別の話。
せめて俺が出かけている間くらい、食事の用意は自分でしてくれませんかねぇ……妹様よ。ついでに私服も全部管理しろとは言わない、だが下着くらいは俺に任せず自分で洗ってください。
「こんなありさまで、将来独り立ちできるのやら……」
「何か言ったのです、兄さん?」
「いやいや、ただの独り言だよ」
「だったら早く手を動かすのです。私はお腹がすいたのです」
「はいはい。あと少しだからなー」
何故だか年々兄使いが荒くなっていく彼女に、俺はドッと疲労を感じつつそう答えるのだった。
あとがきの場を借りたキャラ紹介
◇アルトゥル・クヴィスト
・本作の主人公。クズい(確信)
・神様から様々な特典を得て異世界転生したが、そのどれもが一緒に生まれた双子の妹に敵わなかったという不遇な立場の少年。しかし同情は出来ない。
・妹に頭が上がらない。絶賛パシリ中。
・『努力すればするほど成長する』チートを持っているが、あくまで成長率は『人並み』でしかない。つまり才能ブーストなしで限界値を取っ払った状態。頑張れば勇者にも勝てる……かも?
・実は学園生活を送る中で多くの天才たちに揉まれるうち、純粋な能力だけならどれもが一流並みにまで育っている。だが周囲にいたのが妹をはじめとしたリアルチート集団だったため、本人に自覚は欠片もない。
◇リリスティア・クヴィスト
・主人公の双子の妹。勇者。
・ありとあらゆる分野で大幅な才能ブーストがかかっている上、幼い頃から英才教育を受けた結果、既に王国でも三指に入る強者となっている。ただし、加護はあくまで戦闘方面に尖っているため、それ以外の分野であれば主人公でも勝てる可能性が微レ存。
・物心ついた時から常に周囲の重い期待を背負わされてきたが、主人公だけは彼女の事を考えて妹として接してくれたため(主観)、内心では兄が大好き。全力ラブラコン。ただし顎で使うのはやめない。
・普段は表情が死滅した鉄仮面だが、主人公の前でだけは結構豊かになる。そのおかげで周囲には兄に対する想いが駄々洩れだったが、肝心の本人は全く気がついていない。
◇シルヴィア・ミュラー
・学園時代の主人公の同期。騎士の加護持ち。トラウマ製造機一号。
・編入当初、主人公に特にきつく当たっていた生徒の一人。とは言え、それはあくまで主人公の能力が学園の生徒として相応しくないと感じていたからで、勇者の付き人として学園に通っているのも彼の方から無理やり妹に頼み込んだからと思っていた。
・近接戦では勇者を除いて同期の中でもトップの実力。その剣の腕を生かして毎度の実技の授業では主人公を合法的にギッタンギッタンのメタメタに叩きのめしていた。
・しかしその内、日々確実に成長していく主人公の姿に考えを改め、今度はその才能を伸ばすために彼をボコボコに叩きのめし続けた。やっていることは大して変わっていない。
・基本、素直で潔癖な性格。叩けば叩くだけ伸びる主人公のことがお気に入りだが、それがどういった類の好意なのかははっきりしていない。現在は仲の良い友人だと(本人の中では)思っている。




