星空の下の天文学者とウサギ
「キミは、夜がこわいのかい?」
星空のもと。
天文学者は、静かに語りかけた。
そばにいるのは、小さな影。
ふんわりとした、白いウサギだった。
ウサギは学者をみあげて、鼻をひくひくとさせる。
ウサギは、暗闇がこわかった。
だれかが空に壁をつくって、自分をひとりぼっちにしている。
そんな気がした。
「たしかに、それが孤独というものかもねえ」
天文学者は、湯気のたつコーヒーをあおる。
その髪は腰まで長く、身体は華奢だ。
息をのむほど、美しい女性。
話しぶりは学者然としているが、それも彼女の魔性さを形作っていた。
彼女は、ウサギの言葉がわかるのだろうか。
ウサギは、くるりとした目をさらに丸くする。
すると天文学者は、ウサギにほほえみかけた。
「学者はね、孤立した世界のことを考えるとき、その世界を暗闇の壁で包むんだ。その壁はなにも通さないから、世界は、内側と外側で分かれてしまう。キミも孤独を思うとき、まわりを暗闇でかこんでいたよね。だからわたしにも、キミの話がわかる気がしたよ」
「夜は孤立した世界なの?」
「とんでもない。夜は世界が塞がれているのではなく、光の天蓋が開いて、外の世界が見えるようになっているんだ。暗闇ではなく、外の世界がそこにある。夜の世界こそ、開かれた世界なんだよ」
ウサギは星空をあおぎみる。
星が零れ落ちそうなほどだ。
静寂が、星のまたたきで埋まる。
じぶんの鼻がひくひくとするのも、まるで、星の輝きの一つのようだと思えた。
なんだかとても、胸のすく思いがした。
天文学者と二人で、星空をみあげていた。
「あの星たち、ひとつひとつはとても離れているんだけれど、そうみえないのはなぜだと思うかい」
天文学者は、ウサギに手をのばして、胸に抱く。
ウサギは、温かい、やわらかな心地を覚えた。
思わず目をとじて、胸いっぱいに息を吸う。
すっかり落ち着いたウサギをなでて、天文学者は話しをつづける。
「空よりも高い場所からだと、こんなふうに星空はみえない。星の光はね、空気を通して、地球がわたしたちにみせてくれているんだよ。つまり星が身近に感じられるのは、どんなに遠くはなれていても、世界にはたくさんの光があるんだよって、地球が教えてくれているからなんだ」
「ぼく……なんにも気づかなかった」
おだやかに、ウサギがいう。
天文学者は、優しくウサギをなでる。
温かくなってきて、ウサギはだんだん眠たくなってきた。
「ウサギさん。わたしが思うに、この世界でたったひとつ、眠りだけは、孤独な世界なんだ」
「……そうなの?」
うさぎが口をもごもごとさせる。
天文学者はうなづいた。
「キミが眠っていると、キミとわたしはどんなやり取りもできない。キミは孤立した世界にいる。だけど……わたしにはひとつだけ、キミの様子がわかる方法があるんだよ」
「うん」
「暗黒の壁で孤立した世界はね、その壁の伸び縮みで、外の世界に働きかけることができる。キミがすうすうと寝息をたてているとき、わたしたちも、キミの夢の世界に思いを馳せることができるというわけだ。キミはいつだって、ひとりじゃないんだよ」
天文学者の手のひらが、赤子をあやすように、ウサギに添えられる。
ウサギは眠ってしまった。
気持ちよさそうに寝息をたてている。
草むらに置こうとすると、もぞもぞと、ウサギは嫌がった。
天文学者は、ウサギを抱いたまま、座って木にもたれかかる。
いちどだけ、ウサギはうなされながら起きた。
天文学者がゆっくりと寝かしつけると、今度は、とても安心して眠りについた。
今夜はとても温かい。
やがて、天文学者も眠ってしまったのだった。