赤ちゃんできますから
尾行を警戒しつつ逃げたが、ジョウが隠れ家に着くまで、特に誰かに追跡されている気配はなかった。
寄り道の後、ジョウは帝都アルデランの片隅にある隠れ家へ、無事に辿り着いた。
そこは、石作りのアパートメントの半地下であり、他の部屋の住人は全て無害な一般人である。なぜこんな場所を用意してあるかというと、まさかとは思うが「ジョウ・キザキは、三百年前に魔王を倒したルシファーキラーである」ということがバレ、めんどくさい連中に追われることになった時のためだ。
というのも、純血の魔族こそほぼ絶滅しているが、人間と魔族の混血であるダークエンジェルと自称する連中は、未だにしぶとく生き残っている。
正体がバレた時、そいつらに目を付けられる可能性は無視できない。
それに、逆の意味で人々から「古の英雄」として祭り上げられるのも、ご免だった。
「ただ今、戻りました!」
ジョウが無駄に元気にノックすると、すぐにドアが開き、フェリシーが顔を出した。
「フェリシーの少尉さまっ」
マジックレターの最後にいつも書いていた愛称を叫び、抱きついてくる。
城から脱出する間際、ジョウの方から抱き締めたことで、もう慣れたらしい。
「はははっ。心配かけましたね……一人で大丈夫でしたか?」
ドアを開けて中へ入るなり、ジョウはさりげなく尋ねた。
「ええ。先程まで、レイさんがいましたけど」
そこで、なぜか微妙な表情を見せたので、ジョウは大型のソファーに彼女を座らせ、自分も横に座った。
「どうやら今はアストラル体を消したようですが、あいつ、何を言いました?」
「……いえ、別に」
別にと言いつつ、上目遣いにジョウを見る瞳が、なぜか申し訳なさそうである。
「ただあの――」
「なんです? 遠慮なくどうぞ」
いささか気になったジョウが促すと、フェリシーは思い切ったように顔を上げた。
「あの……フェリシーはすごく未熟で、まだよくわかっていませんけど、ジョウさまに教えて頂けたら、がんばります」
胸に片手を当て、決意の表情を見せる。
尖った耳も、両方ぴんっと立っていた。
しかし……なんだ、そのアニメ映画の姫様みたいなセリフは。
よもや、泥棒の技術を習いたいわけじゃないだろうが。
「まずはその……ぬ、脱ぐことから始めるんですよね……?」
「……は?」
ジョウは一瞬、聞き間違いかと思った。
「一体、レイに何を吹き込まれたんです?」
重ねて促すと、フェリシーはようやく教えてくれた。
ジョウが戻る前に、フェリシーはレイを質問攻めにして、ジョウのことをなるべくたくさん教わったそうだが……その情報をまとめると、だいたい以下の通りになるそうな。
「ジョウ・キザキは腕こそ立つが、かなりの女たらしであり、女とみるや知り合って数時間後には下着まで脱がして淫蕩な行いを始める。よって、九歳といえども油断しては駄目で、長時間一緒にいると、絵にも描けないえっちなことをされると思った方がいいです。きっと、望まぬ子供もできて、シングルマザーまっしぐらです」
――だそうである。
「あいつはああっ」
さすがにジョウも頭を抱えそうになったが、本気で激怒しなかったのは、おそらくこれもレイが拗ねているためだろうと思ったからだ。
ただしそんなジョウも、フェリシーが真顔で訊いたのには参った。
「えっちなことって、どんなことでしょう? 赤ちゃんは祝福の森で探すはずでは?」
「いや……殿下はまだそんなこと覚える必要ないですよ。あいつはからかっただけですって。それよりほらっ」
素早く話題を変えることにして、ジョウは背中に隠していた紙袋を押しつけた。
「少し休憩したら、早速帝都を脱出します。ここは北部で、五月でも夜はまだ冷えますし、ぜひどうぞ」
「なんでしょう?」
目を輝かせたフェリシーが紙袋から出したのは、赤いコートである。
子供用とはいえ、仕立ては大人向けと変わらず、襟周りは白いファーで飾られていてお洒落……だと思う。
まあ、どうせジョウには女の子のファッションなどわからないが。
いずれにせよ、贈ったフェリシーが感激してくれたのは間違いないようだった。
しばらく……というか、実に数分くらい赤いコートを抱き締めていたほどだ。
苦笑したジョウが促すと、ようやくその場で着てみせてくれ、恥ずかしそうに両手を広げた。
「似合いますか?」
「とても!」
こればかりは完璧な本音で、ジョウは頷いた。
「兄さんにも、見せてあげるといいですよ」
「……えっ」
拭ったように、フェリシーの笑顔が消えた。