おそばを離れたくありません
風呂と食事の後は、楽しそうに話しつつも、フェリシーはかなり眠そうだった。
やはり少し疲れていたのだろう、ソファーに並んで座っているうちに、ジョウの肩にとさっと頭が当たったかと思うと、彼女はそのまま眠ってしまった。
ジョウは起こさないようにそっと彼女を抱き上げて隣室へ運び、ベッドに寝かせてあげた。
そこで、待ってましたとばかりに脳裏に声がした。
『今から脱がすわけですね?』
ジョウは顔をしかめ、ブランケットをフェリシーの胸元まで引き上げてやる。風邪を引くといけない。
明かりを消して隣へ戻ったところで、ようやく小声で反論する。
「レイ、おまえのエッジの効いた下ネタを聞いていると、俺は一気に老けてく気がするぞっ。だいたい、俺の素性を右から左へバラすなっ」
今更の気もするが、ジョウとしても言わずにはいられなかった。
『ああ、それだけは少し反省しています。その子、あまりにも嬉しそうにジョウの話を聞くので、つい。でも、別に誰かに話すこともないでしょう』
「まぁな。実は問題は、この先だ」
『エルフにとっては、片親が同じというのはほとんど他人も同然とはいえ、ガストンとやらは、最初から人間社会で暮らしています。ならば、肉親の情があるかもしれません』
「そう。だから、その義兄のところまで連れていってやるさ。後のことは、それからだ」
『……時に、一つ報告が』
レイはいきなり話を変えた。
「なんだよ、急に」
『実は、アストラル体で周囲の偵察に行ってきたのですけど、ジョウの努力も空しく、我々は悪者になってますよ』
「そりゃ、王女誘拐犯だし、悪者に決まってるさ」
『いえ、わたし達だけならまだしも、あの子も悪者にされてます。ジョウと共謀して他国へ逃走し、帝国の敵に寝返ったと』
「……うわぁ」
正直、むかつく話だが、ジョウにしてみれば、納得するところもあった。
とういのも、城門を突破して逃げた直後に感じた、謎の視線のことだ。あいつは絶対、こちらの敵である帝室側だと思うのだが、最後まで見ていたくせに、なぜかジョウが逃げるのを制止せず、逃げるに任せた。
捕らえる努力すらしなかったのは、全てをジョウやフェリシーの罪とする算段が出来ていたからではないかと思うのだ。
「むしろ、養女を蛮族の嫁にくれてやろうなんて、それこそ適当な理由で、今やフェリシーに利用価値を見い出せなくなっていたのかもな」
若き皇帝フェリクスは、一時は帝国全土から血筋のよい少年少女を見つけ、強制的に養女として集めていた。
理由は、その子共達を政略の駒として利用するためだが、最近はその必要も薄れたと聞く。
以前はなかなか子供が生まれなかったそうだが、その後に片端から側室を作ったのが功を奏したのか、近頃は逆に、新たな王族が増える一方だという。
そんな事情なら、利用価値のなくなったフェリシーが邪魔になっていても、不思議ではない。
嫁にもらうはずだった蛮族の族長とやらは怒るだろうが、帝国から見れば、彼が文句でも言おうものなら、併呑のいい口実にもなる。
別に痛くも痒くもないわけだ。
ジョウが自分の考えを語ると、レイは嫌悪に満ちた声で言った。
『計算高くて嫌な男ですね、その皇帝とやらは』
「同感だ。そのうち俺とおまえでちょっと撫でてやる必要があるかもな」
人の悪い笑みを浮かべてジョウが囁くと、レイは嬉しそうに答えた。
『いつでも喜んで』
「はははっ」
ジョウが破顔した途端、隣室から小さな悲鳴が聞こえた。
「おっと」
何事かとジョウは隣室へ駆け込むと、起き上がったフェリシーが心細そうに周囲を確かめていた。ドアが開いた瞬間はびくっと肩を震わせたが、相手がジョウだとわかると、深々と息を吐いた。
「……よかった」
「どうしました?」
「いえ……目が覚めたら一人で寝ていたので、ジョウさまが消えたのかと」
「黙って消えたりしませんよ」
ジョウはベッド脇に椅子を引いてきて座り、フェリシーの手を握った。
「ええ、ええ。でも、あそこから出られたのが夢のように思えたので、本当に夢だったのかと思いました」
自然とジョウの胸にもたれ、フェリシーは吐息をつく。
「……おそばを離れたくありません」
慰めるつもりで彼女の頭を撫でて上げると、しばらくしてようやく呼吸が落ち着いてきた。
「せっかく目が覚めたのだったら、そろそろ出ますか。時刻も深夜だし、頃合いです」
「どうやって、帝都を脱出するのですか?」
フェリシーの質問に、ジョウはニヤッと笑って天井を指差した。
「レイもそうですが――俺の場合も、別に帝都の防壁を越えるために、わざわざ門を通る必要はないんです。むしろ、敵がそこばかり警戒してくれると助かります。幸いこの世界には、空を飛べる奴は少ないようなので」
「ジョウさまも飛べるんですねっ」
弾んだ声音で訊くフェリシーに、ジョウは柄にもなく謙遜して答えた。
「まあ、多少は」