フェリシーのおねがい
「兄上……?」
「そう、殿下の実の兄君である、ガストン・ローラン殿ですね。今は、帝国の国外で抵抗勢力を率いているそうですが」
言いかけ、ジョウは首を傾げた。
「兄君とは、上手くいってないのですか?」
「……というよりも、一度もお会いしたことがないのです」
フェリシーは心細そうに言った。
「フェリシーの亡き父と、普通の人間女性との間に生まれた義兄にあたる――という事実は知っていますが、全く見知らぬ方です。フェリシーは、エルフの森があった場所で、ずっと暮らしていたので」
「実の兄上だと思っていました……」
ジョウが驚いて呟くと、フェリシーは小さく首を振った。
「帝室の人も最初、そう言って驚いてました。世間でそう思われているだけです。本当は違います」
エルフは、血筋を非常に重んじる種族である。
たとえ何らかの事情で、誰かの父や母が自分と同じであっても、相手の片親が人間の場合、それはほとんど他人も同然であり、兄妹や姉妹とはならない。
それがエルフ社会の常識である。
以前、ジョウはそういう話を聞いた覚えがあった。
つまり、ガストンを「義兄」と称したフェリシーは、まだしも穏当な表現を使っているのだ。
「では、貴女のご家族は他に?」
「……もう誰も」
しょんぼりとフェリシーがうなだれる。
「母はフェリシーが五歳の時に亡くなりましたし、父はエルフが一つところに安住の地を求めず、それぞれ新たな森を目指して去った数年前に、故郷を去ったそうです。フェリシーが生まれる前のことです。ですから、本当はずっと以前から義理の兄もいたことすら、フェリシーはかなり後になってから聞いただけなんです」
少し間を開け、ぽつりと付け加えた。
「その父も、二年前に亡くなったと聞いています」
「それはまた……」
なんと言っていいのかわからず、ジョウは思わず余計な質問をした自分を呪った。
もちろん、マジックレターをやりとりしていた頃に、家族のことは多少、質問したことがあるが、その時のキティ(フェリシー)は、「両親はもう遠いところにいるの」としか教えてくれなかった。
まあ、確かに言葉通りではある。
「ではその……殿下は誰に育てられたのでしょう?」
「生まれた時から一緒にいてくれた乳母のマリアが、フェリシーをずっと育ててくれました。優しい人でしたわ」
フェリシーの顔が少しだけ明るくなったが、すぐにまた俯いた。
「でも、半年前に帝室の人が、マリアはエルフの森で亡くなったと教えてくれました」
「なるほど」
なるべく湿っぽい声にならないよう、わざと素っ気なく答え、ジョウはフェリシーを唐突に抱き上げて、自分の膝に乗せた。
「……あっ」
「お気持ちはわかりますが、俺がいるじゃないですか? 両親の代わりにはなりませんが、俺は心強い味方ですぜ、結構?」
「はい! だって、ジョウさまはルシファーキラーですものっ」
元気を取り戻したフェリシーが、子供っぽい称賛の声を上げ、きらきらした瞳でジョウを見上げた。
「人生経験もたくさんあって、すごいですわっ」
さりげなく、実年齢と昔話が知られていた衝撃に、ジョウは一瞬、笑顔が引きつった。
「ははは……あいつ、そんなことまでバラしましたか」
何考えてんだ、あの自称女子高生はっと思ったが、ジョウはわざと平静な顔を装った。まあ、聞いてしまった以上、今更トボけてもしょうがない。
「ただまあ、昔話が世間にバレるといろいろアレなので、秘密にしておいてください」
「はいっ。フェリシーはぜったい、ナイショにします」
真剣な瞳で、うんうんと頷く。
まあ子供とはいえ、この思慮深い子がべらべらジョウの素性をしゃべるはずもないだろうが、そっちはいいとしても、今後の計画が危うくなってきた。
「しかし、そうなると、義兄のガストン殿のところへは、行かない方がいいのかな……殿下のお考えはどうです? どこか送って欲しいところはありますか?」
一応、本人に尋ねてみると、なんだかやたらと切ない瞳でじいっと見られた。
「フェリシーは、ずっとジョウさまのおそばにいたいです。あの部屋でも、そう申し上げましたわ」
見つめ合ううちに、少しずつフェリシーの瞳が潤んできた。
「ジョウさまは、フェリシーがおそばにいたら、おじゃまでしょうか?」
「まさか。ただ俺は――」
ジョウは反射的に説明しかけたが、「そんなことはない!」という完全否定以外、どのような迂遠な言い方も、この子を傷つける気がした。
「いや、そんなことは全く考えてませんよ」
「――ではっ!」
勢いよく言いかけたフェリシーの銀髪を、ジョウは笑って撫でてあげた。
「ご自分で選択の幅を狭めるのは、よくないです。せめて、実際に義兄殿に会ってみてはいかが? その上でお気に召さなかったら、俺と一緒にいればいいわけです」
「……ほんとうに、その時は一緒にいられますか?」
「ええ。貴女の嫌がることを無理強いはしないですよ」
「じゃあ……ジョウさまの言う通りにしますから、一つだけ、フェリシーのおねがいを聞いてください」
「なんです?」
優しくジョウが促すと、フェリシーはジョウの無骨な手を両手で握りしめ、恥ずかしそうに頼んだ。
「フェリシーのこと、殿下とか貴女とか呼ばないでください……どうか、マジックレターの時のように、そのまま呼び捨てに……おねがいします」