華恋
夏の夜の空に幾つもの花火が昇って、まぶしい輝きを残しては消えていく。
今夜は夏祭りの日。近くの神社では縁日が行われていた。
そこでは多くの屋台が並び、沢山の人の楽しげな声に溢れている。
そんな喧騒から離れた丘に――わたしと翔ちゃんはいた。
ここには他に誰もいない。
空に上がる花火を寄り添いながら見つめる。ふたり手を重ねて。
わたしは、暑さで汗ばんだ翔ちゃんの手を強く握る。
「恋華……」
その事で翔ちゃんが、こちらに振り向く。
わたしの事も見て欲しかった。
この日のために、着慣れない新しい浴衣を着つけたのだから。
翔ちゃんは待ち合わせた時、可愛いと言ってくれたけど、まだ足りなかった。
もっと、もっと――わたしだけを見て欲しかった。
だから、翔ちゃんを真っ直ぐに見つめる。
今にも胸から溢れ出してしまいそうな、切ない想い。
それが伝わることを願って。
「翔ちゃん……」
その愛おしい名前を呼ぶ。
「恋…華……」
翔ちゃんも真っ直ぐにわたしを見てくれる。
わたし達は見つめあう。
そして、そっと――唇を重ねた。
翔ちゃんの唇はわずかに湿っていた。
そして何よりも温かった。
その熱が欲しくて、もっと深く重ねていく。
「んっ……」
僅かにくぐもる。
不意に涙が零れた。
その唇の熱さに。
わたしはその熱が欲しい。
だってわたしの唇はいつだって、冷たい気がするから。
本当のわたしは――もう〝死んでいる〟のだから。
翔ちゃんの熱を感じる時だけは聞こえるはずのない、壊れた懐中時計の針の音がわたしには――聞こえる。
唇を重ねるわたし達を、花火の光が照らす。
華恋
1
授業終了のベルが鳴り響いて、午前の授業が終わりを告げた。
そのベルを聞いて先生は授業終わらせて、教室を出て行く。
授業から解放された生徒達は、友達とお弁当を食べたり、学食に向かっていく。
だから、わたし分島恋華もお弁当を――ふたり分持って一緒に食べたいひとのところに行く。
髪の片方の房に付けた赤いリボンを揺らしながら。
そのひとは窓際の席に座って、やさしい目でわたしを待っていてくれる。
「翔ちゃん、ご飯食べよ!」
「そうしようか!」
クラスメイトで幼馴染の浅山翔太――翔ちゃんがわたしに微笑む。
「恋華、どこで食べようか?」
「わたしは、今日は屋上がいいかな」
「なら、そうしようか」
「うん!」
わたしは翔ちゃんと微笑み合う。
そんなわたし達の様子に、クラスメイトから冷やかしや声援が入る。
「浅山のリア充め、死ね!」
「可愛い幼馴染の恋人が、弁当作ってきてくれるとか、ラノベかよ!」
「相変わらず、おふたりさん熱いね~」
そんな声を背に、わたし達は教室を出る。
わたしも翔ちゃんも付き合うようになった最初の頃は、そんな声に戸惑いや照れもあったけど今では慣れたものだった。
それに、そんな声も慣れれば悪くないものだった。
だって翔ちゃんと恋人同士なんだって、強く自覚できるから。
夏の日差しが降り注ぐ中、学校の屋上に出る。
「やっぱり暑いかな?」
「でも、風は爽やかだよ!」
わたしは翔ちゃんを日差しの中へ手招きする。
「それなら!」
翔ちゃんも日差しへと出る。
柵の縁に背中を預けて、ふたりで並んでお弁当を食べる。
「翔ちゃん、お弁当美味しい?」
「うん、美味しいよ!」
その言葉が嘘ではない事はすぐに分かる。翔ちゃんは本当に美味しそうにお弁当を全部食べてくれるから。最初は失敗した事もあったけど、やっぱり翔ちゃんは全部食べてくれた。
翔ちゃんは優しいのだ。
「でも毎日、ふたり分作るのは大変だろ?」
食べ終えた翔ちゃんが言う。
「もう慣れちゃたよ。それに毎日作っているから、わたしの料理のスキルだってどんどん上がってるから、わたしにもいい事あるよ!」
「確かに恋華のお弁当は、どんどん美味しくなってる!」
「えへへ、褒めて頂き光栄です~」
「コイツめ~」
「翔ちゃん、まだご飯食べてる!」
翔ちゃんがわたしの頭をぐりぐりと撫でる。
勿論イヤじゃなかった。
ふたり共お弁当を食べ終えた後、色々な話をした。
授業の事、次のテストの事、その後にやって来る夏休みの事。
「夏休み、楽しみだな!」
「そんなに?」
「そんなに。その…今年は、恋人になった…幼馴染がいるし……」
翔ちゃんが恥ずかしそうに俯く。
「翔ちゃん。夏休み入った後にすぐ夏祭りがあるよ。その…今年は浴衣、新しくしたんだ……翔ちゃんに、見て欲しくて」
「恋華……」
私達は見つめ合う。
「翔ちゃん、お願い……」
目を閉じる。少し間があってから唇にぬくもりを感じた。
翔ちゃんの唇だ。
恋人になってから何度も重ねてきたけど、胸の中の熱さや甘さが薄れる事はない。むしろ深くなって、もっと欲しくなる。
わたしは幸せだ――どうしようもない程に。
翔ちゃんと恋人になれて本当に良かったと思う。
わたしにとって、この恋が〝全て〟だから。
◇
翔ちゃんに告白した日の事を思い出す。
高校二年生になって一か月が過ぎた頃、わたしは翔ちゃんに告白した。
ずっと、ずっと昔から好きだった。
でも、言いだせなかった。振られた時の事を考えて。
けれど、顔も良くて性格も優しい翔ちゃんをイイって、言う子も増えてきて。
だから告白した。誰にも取られたくなくて。
放課後の夕暮れの教室。わたしと翔ちゃんだけの空間。
そこで想いを告げた。
「ずっと、ずっと好きでした――だから、わたしと恋人になってください!」
最初、翔ちゃんは戸惑って、でも直ぐに照れながらも言ってくれたんだ。
「俺もずっと、恋華が好きだったよ」
その言葉に限り無い幸福と――一抹の悲しみを覚えた。
それからわたし達は抱き合って、初めて唇を重ねた。
好きなひととする初めてのキスは、涙の味がした。
大丈夫、わたしはずっとこの恋に生きていける。
翔ちゃんをもう〝誰〟にも渡さない。
2
その日――夏休み前、最後のテストの向けてわたしは翔ちゃんと勉強会をしていた。
わたしの家で。
今、わたしの家には誰もいない。
両親は共働きで夜まで帰ってこない。
だから――
「んっ……翔ちゃん、もう無理だよ……」
「恋華、もう少しだけ……もう少しだけ頑張って」
「やだあ、もう入らないよ……これ以上したら壊れちゃう……」
「いつもそう言って恋華は逃げるんだから、だから今日は……逃がさないよ」
「無理、無理なの…本当に……壊れちゃうよ――」
「――頭が!」
「はい!後一ページ!」
わたしの隣りに座る翔ちゃんが、無慈悲にも問題集のページをめくっていく。
並ぶ数式の羅列。わたしには、それが読めない魔法の呪文のようにしか見えない。ここまでの勉強で疲れ切ったわたしは、思わず頭を抱える。
「もう、恋華は仕方ないな……」
そんなわたしの様子を見た翔ちゃんが溜息を吐いた。
「少し、休憩にしよう」
その言葉を聞いて、応接間の畳の上に置かれたテーブルに突っ伏した。
「それにしても恋華は、本当に数学苦手だよね」
翔ちゃんが笑う。
翔ちゃんとの勉強会。でもそれは主に、数学が苦手なわたしのために開かれるものだった。翔ちゃん自身は殆ど苦手な科目はない。それどころか、学校での成績はいつも上位だった。
わたしの恋人は、頭もいい。
「うん、なんかね。数式って覚えるのが苦手」
机に突っ伏したまま、横目で見て答える。
「でも覚えてしまえば、大抵の問題は解けるよ。恋華は社会や歴史の年号は覚えられるんだから、できると思うんだけどな~」
「そんな事ないって~」
「でも、恋華は昔は算数得意だったろ?社会や歴史が得意だったのは――双華だったけ……」
翔ちゃんが昔を懐かしむように話す。
双華――久しぶりに聞いたその名前に、わたしのココロがうすら寒さ覚えた。
まるで首筋を、酷く冷たい手で撫でられたように。
僅かに身体が震え出す。
「なあ、恋華。今年のお盆は久しぶりに、ふたりで双華の墓参りに行かないか?俺達が恋人になった事とか……色々、報告したいし」
わたしを見つめる翔ちゃん。それはいつもの翔ちゃんの顔だ。ふと思いついただけなのだろう。
「大丈夫――だから」
わたしはつとめて平坦な声を出す。身体の震えに気が付かれないように。
「双華には、家族と行った時にわたしから話すから。それに双華は〝知っている〟と思うよ」
「そうかな?」
「そうだよ。だって双華は多分、いつもわたし達の――側にいるから」
「俺達の事を見守ってくれているのかな?」
「――きっと」
「そうだといいな、もし双華がいたら、今頃どうなっていたかな?分からないけど、多分楽しい毎日になっていたかな?」
翔ちゃんが思いを馳せる。訪れる事のなかった未来に。
その話を聞きながら、わたしは仮面のような笑顔で頷く。
翔ちゃん。もし――なんて無いんだよ。
あってはいけないのだ。
そんなモノは。
髪の房を結んだ赤いリボンに触れる。
◇
勉強会が終わった後、わたしの両親が帰ってくる少し前に翔ちゃんは帰っていった。
夕ご飯に誘ったんだけど、今日は家族の用事があるらしい。
それは仕方ないと思った。
だから今日は、さよならをした。
誰もいない家の中、自分の部屋にいた。
電気も付けずに。
ロッカーを開けて、備え付けられた大鏡を見る。
そこには高校の制服を着た〝わたし〟が映っている。
髪の赤いリボンを外す。
そうして思うのだった。
わたし――は誰だろう?
恋華なのか、あるいは双華なのか。
双華――はわたしの双子の妹だ。
彼女は五年前にわたしと一緒に事故にあった時、死んでしまった。
双華の事を思い出す。わたしと同じ容姿をした、あの子の事を。
彼女とわたしは本当によく似ていたので、見分けてもらうために色違いのリボンを付けていた。
わたしが赤、彼女が紫。
鏡に映った自分。
もし、双華が生きていたらわたしと同じ姿をしていただろうか?
もし、そうだとしたら翔ちゃんは誰と付き合っていたんだろう?
恋華?双華?
あるいは――
強い吐き気を覚えた。
しゃがみ込む。
吐く事はなくても、激しく咳き込んだ。
身体が震え出す。
やがて座っていることもできなくなって、床に倒れ込む。
気持ち悪い。
身体が寒い。
まるで寒気が、悪寒が、冷たい手になって身体中を這いずっているような感覚を覚えた。
震える身体を押さえながら、制服のスカートから壊れた懐中時計を取り出して強く握りしめる。
その事で少し、ココロが落ち着く。
その懐中時計はわたし達が事故にあった日、恋華が翔ちゃんから貰ったものだ。
壊れた懐中時計は、もう時を刻まない。
夏に訪れる盆の事を思い出す。
盆とは、死んだ先祖の霊を祀る行事。
死人と邂逅する日。
死者が現世に還る日。
ああ――
わたしは知っている。
死者は還らない。
還ってはいけない。
死者は時として、生者を脅かすのだから。
「翔ちゃん――」
続く苦しみの中で、愛おしいひとの名前を呼んだ。
3
夏休み前のテストを何とか無事に終わらせて、終業式の後。
わたし達は、学校の通学路に沿って広がる海岸を訪れた。
青い空、青い海。爽やかな風が運ぶ潮風の香り。
日差しは強くても、どこか涼しげに思えた。
そんな夏の海へと、わたしはローファーとソックスを脱ぐと飛び込む。
「つめたい!」
声を上げながらも、寄せては返す波の感触を素肌で楽しむ。
「翔ちゃんも、おいでよ!」
はしゃいで渚を走りながら、そんなわたしを砂浜で見つめる翔ちゃんを呼ぶ。
「濡れるし、どうしようかな~?」
なにやら試案顔
「おいでよ!気持ちいいよ!」
「ん~」
まだ悩んでいる。
「えい!」
翔ちゃんの側まで行くと、わたしは海水を手で掬って掛ける。
「うあ!」
水を顔に被って濡れる。
「やったな~、こうなったらお返してやる!」
スニーカーと靴下を脱ぐと、波に足を付けてわたしを追いかける。
そんな翔ちゃんからわたしは、声を上げて逃げ回る。
水を掛けたらかけ返し、追いかけては追いかけ返す。
――ささやかな夏の時間。
しばらくそんな事を繰り返した後、互いにずぶ濡れになる。
シャツが透けて翔ちゃんの身体の線や、素肌が露わになる。
その男性の身体に目を惹きつけられて、足を止めてしまう。
「恋華……?」
不意に、雰囲気の変わった事に気が付いた翔ちゃんも足を止める。
そしてわたしと同じように、透けて肌や下着が露わになっているわたしの身体に気が付く。
「その、ごめん!」
顔を赤くして、目を背ける。
ああ、翔ちゃんは優しくて真面目だと思う。
だから、わたしをとても大切にしてくれる。
それが凄く嬉しい。
でも時々その事が、少しだけ恨めしくも思える。
翔ちゃん――わたし、あなたになら全部あげてもいいんだよ?
ううん。全部、受け取って欲しんだよ。
心も身体も――
そんな想いを込めて、濡れた身体で抱きつく。
「わたし、翔ちゃんになら見られても、何をされてもいいんだよ?恋人なんだから」
耳元で囁く。
「恋華!」
翔ちゃんもわたしを抱きしめる。
いつもとは違ってそれは強く荒々しくて、激しい抱擁。
どこか苦しそうな息遣いが聞こえる。
熱い身体と体温を重ね合わせる。
「翔ちゃん、苦しいの?」
「苦しいよ、凄く。本当は優しくしたいのにこんなんじゃ――いつか恋華の事を乱暴に求めてしまいそうになる」
「そうしてもいいんだよ?」
「ありがとう。もう少しだけ経ったら、もっとこの関係に慣れたら俺、絶対に恋華の事――全部貰うから」
切ない言葉と想い。
「待ってるから」
わたしも、愛おしいひとの身体を強く抱きしめる。
――狂おしい程の想いで。
◇
夏の夕暮れ。オレンジに染まる世界。
翔ちゃんと別れた後、まだ乾ききっていない制服のまま海岸沿いの道を歩いていた。
腕には――花屋で買った葬花を抱いて。
街を歩けば蝉の声が聞こえる。
夕日に照らされて、わたしの影が陽炎のように揺れる。
そうして、わたしが訪れたのはかつて交通事故のあった場所。
小さな公園の近くの道路。
恋華と双華が事故に巻き込まれ――双華が逝った場所。
道路の近くの電線の下に、花を添える。
スカートのポケットから壊れた懐中時計を取り出して握り締める。
目を閉じて、そのまま手を合わせる。
そうして思い出すのは――双華の事、あの日の事。
これは昔話です。
――ある双子の。
恋華と双華というふたりの女の子がいました。
双子のわたし達は瓜二つと言ってもいい程、よく似た姿をしていました。
両親も含めて周りのひと達は誰も見分けられなかったので、色違いのリボンをしていた程です。
わたし達の仲は良く、互いの事を家族として、とても愛していました。
同じ姿をした半身であるお互いを。
そこにはわたし達ふたりだけの世界があったのです。
――そこに翔ちゃんが現れるまでは。
優しくて真面目でカッコよかった翔ちゃんに、わたし達ふたりは恋をしました。
ふたり共、翔ちゃんと同じ呼び方をしていました。愛情を込めて。
さて、困った事になりました。それまでは大概のものを仲良くふたりで分けあってきましたが、翔ちゃんはひとりしかいないのです。
この時ほど双子である事を、わたし達は呪ったことはありません。
どうして、同じひとを好きになってしまったのでしょうか?
互いの恋心を自覚して以来、わたし達は互いが憎いとさえ思いました。
でもそれは同じ姿をした自分を、自分の一部を否定するような行為でもありました。
傷付いて、傷つけて、傷付きあって――仲の良かったわたし達の関係はいつしか、自傷めいた苦しく張りつめたものになっていきました。
それでも――互いに翔ちゃんを諦めることは出来なかったのです。
そして、わたし達が事故にあった日。
その日は、恋華が翔ちゃんと先に公園に遊びに行ってしまいました。
双華はふたりの後を必死に追いかけました。
この頃、双華は焦りを覚えていました。
翔ちゃんの心が日に日に、恋華に傾いていくのが分かったからです。
どうして――双華は誰にともなく問いかけます。
同じ姿のわたし達。
好みだって、性格だってそこまで変わらないと思います。違うのは学校の成績で恋華は算数が得意で、双華が国語や社会が得意なくらい。
いったい恋華のどこを翔ちゃんは好きになったのでしょう?
それを翔ちゃんに聞くことは憚れました。
聞いてしまえばこの危うい関係は壊れて、恋華を、翔ちゃんを本当に心の底から憎んで止められなくなってしまいそうだったからです。
どうして――翔ちゃんは恋華を選んだの?
双華がふたりのいる筈の公園に着いた時には、西日の傾く夕方でした。
そこには恋華しかいませんでした。翔ちゃんはもう帰ってしまったみたいです。
「双華……」
恋華が双華を見ました、どこか嬉しそうに恥ずかしげに笑いながら。
手には懐中時計が握られていました。その懐中時計は翔ちゃんが、おじいちゃんから貰ってとても大切にしていたものでした。
何故、それが恋華の手にあるのでしょう?
双華は目眩を感じました。
世界が軋んで、壊れてしまうほどの。
自身と同じ顔で笑う恋華に激しい嫌悪を覚えました。
「その時計…どうして……恋華が持っているの?」
「翔ちゃんが、わたしにくれたの!」
「そうなんだ……」
「うん!」
恋華は笑います、本当に嬉しそうに。
自身を祝福するかのように。
逆に双華の口元は苦しげに歪んでいきます。
自身を呪うように、恋華を呪うように。
「恋華、その時計をわたしにも見せてよ――」
双華は嗤います。
その嗤いに何かを感じたのでしょうか?
「双華、そのごめん。今度でもいい?」
時計を隠すように腕に抱きます。
そんな仕草も双華には気に障りました。昔はなんでも分けあっていたのに。
「いいから、見せて!」
低い声を出して、恋華に向かって手を伸ばします。
それから逃れるように、恋華は走り出しました。
双華は追いかけます。
夕暮れの中でふたりの影が踊ります。
恋華は逃げます、大切なものを奪われまいと。
双華は追います、自分には無いものを求めて。
その事に夢中になり過ぎたのでしょうか?
ふたりはいつの間にか公園から外の歩道へ、更に先の道路へと出ていました。
しかも運が悪かった事にその時、一台の車が迫っていたのです。
ドライバーがふたりの少女に気付いた時には、もう遅かったのです。
響く急ブレーキの音。
ふたつの影が跳ね飛ばされて道路に転がりました。
その後に付いて広がる血の跡。
一瞬何が起きたのか分かりませんでした。
遅れて身体を激しい痛みが襲います。
その痛みに耐えながら目を開けると、そこにはわたしと同じ顔をした女の子が血に塗れてアスファルトの上に転がっていました。
その子の名前をわたしは呼びました。けれど何も答えてはくれません。
手を伸ばして身体に触れます。けれど身体は冷たく、青白かったのです。
その事で気づいてしまいました。
もう――彼女は、わたしの半身が喪れてしまったことに。
涙が零れました。恋の事で憎んでもいましたが、本当は心の底から愛していたから。
彼女の手を見れば、そこには壊れてしまった懐中時計が大切そうに握られていました。
その時計を見た瞬間に――わたしは何かに憑かれてしまったのです。
その手から時計を奪うと自分のリボンを外して、彼女の血の色に染まって赤くなったリボンと取り換えてしまったのです。
こうして双華は死んで、恋華が生きることになりました。
修ちゃんに想いを抱かれた恋華だけが。
双華は棺桶に――棺に葬られました。
――永遠に。
目を開ける。
不意に口の中に血の味を覚えた。いつの間にか強く唇を噛んでしまったらしい。
口元を拭う。そこには赤い血の跡が付く。
時計を仕舞い込んで、わたしは歩きだす。
血のようにも思える朱に染まる世界の中を。
日はもうすぐ沈む。
最後の残光。
わたしの影は夜の闇に飲まれ始める。
海から吹く潮風は昼間と違って鼻に付いた。
どこか錆臭い。
それは血の匂いにも似ていた。
わたしは――この匂いが嫌いだ。
生きている事を強く実感する。
けれど、すぐにその実感が曖昧になるからだ。
わたしは誰なんだろう?
そんな、思いに心が蝕まれる。
わたしの生の実感は、翔ちゃんへの想いの中にしかない。
ああ――まるで〝幽霊〟のようだ。
4
夏祭りを迎えたその日の夕方。
縁日のある神社の近くで、わたしは翔ちゃんと待ち合わせていた。
待ち合わせの時間よりもまだ早い時間。
わたしはバッグから取り出した鏡を見て顔や髪を確認する。お母さんに手伝ってもらって着つけた新しいオレンジの浴衣も見渡す。
おかしいところは無いよね……?
「恋華、おまたせ!」
シャツとジーンズを着た翔ちゃんに声を掛けられる。
「あわわわ……」
驚いて少しテンパる。
「恋華、どうしたの。大丈夫……?」
恥ずかしさに顔を赤くしながらも、コクコクと頷く。
「恋華、新しい浴衣似合ってる!その…凄く可愛い……」
翔ちゃんも気恥しげに頬をかきながらも、そう言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、その腕に抱きつく。
わたし達はそのまま縁日を歩いた。
今までも時々、手を繋いで歩いていたことはあったけどずっと腕に抱きついたままなのは初めてだった。
これも、お祭りの雰囲気のお陰なのかもしれない!
ふたりで金魚掬いをしたり、射的をしたり色々な事をした。
色々食べたりもした、たこ焼きや綿菓子、リンゴ飴も。
今、わたしの手の中にはスーパーボールがある。
ピンク色でラメの付いたもの。
これは翔ちゃんが取ってくれたものだ。
「そう言えば昔、双華がいた頃にさ。三人でお祭りに行った時、少しだけ恋華とだけこうして回った事があるんだけど覚えてる?」
わたしは頷く。
「その時にも恋華にスーパーボールを取ってあげたんだよな。似たようなヤツをさ。そのボールってまだ残ってる?」
「ごめん……分からない。その、事故にあってからわたし思い出せないこともあるから……」
「うん、知ってる。それでも、恋華が今も俺の隣りにいてくれるから構わないよ!」
翔ちゃんが笑う。
ああ、わたしは知らない。そんな思い出は。
知っているのは、その時ふたりからはぐれて探していた事だけ。
わたしの知らない恋華との思い出が、時々翔ちゃんから語られる。
わたしはそれを、事故にあった時の衝撃で覚えていない事に――記憶喪失紛いの事のせいにする。
それでも翔ちゃんはわたしを信じて疑わない。
ごめん、ごめんなさい。
わたしはいつだって、翔ちゃんに心の中で謝る。
それでもわたしは――この恋を叶えたかった。
この恋のためだけに生きていく。
空に花火が昇り始めた頃、わたし達はふたりだけで花火を見たくなってある場所に移動した。
そこは神社から少し離れた所にある丘。
昔、三人で偶然見つけた花火のよく見える場所。
そこで手を重ねて花火を見上げた。
そして、唇を重ねた。
唇を離した後、翔ちゃんは言った。
「恋華。この夏もいや――これからもずっと俺の側にいて欲しい。恋華が好きだから、ずっと好きだったから」
翔ちゃんの言葉はわたしを幸せにする。
それと同時に、わたしを深く傷つける。
それでもわたしはこの幸福を手放すことなんかできない。
だから――この幸せと痛みを繰り返していく。
ひとつの葬られた秘密を伴って。
「はい……!」
わたしは頷く、涙を零しながら。
花火は一瞬まぶしく煌めいては消える。
それは淡く、儚くすら思える。
しかし想いは――この恋心は巡る。
壊れた懐中時計は時を刻む。
終わる事は無く永遠に。
了
彼女は愚かしいのかもしれません。
それでも、叶えずにはいられなかった。
そんな想いを抱えていませんか?
ひとの想いをテーマにして書いております。白河律です。
現在の連載作品はコチラ http://ncode.syosetu.com/n3868dl/
「虚空の『セカイ』と魔女」
ひとの想いだけで出来た世界でのお話です。