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ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第三章
43/44

第42話 二人のエース

 七回の表、光陵高校の攻撃は三番から。


 丁寧に散らしていったつもりだったが、甘く入ったスライダーを狙われた。センター前ヒットとなって、この試合四本目のヒットが記録される。


 ここからは四番、五番と強打者が続く。集中して抑えにかからなければ、さっきの一点が無駄になってしまう。


 四番には初球ストレートを外角低め、さらにカーブをもう一つ外に決め、最後はフォーク。空振り三振に仕留めた。


 ここまでフォークは計十球ほど投げているが、どれも空振りまたは見逃しのストライクになっている。


 決め球としてこれ以上ない働きだが、流石に指が疲れてきた感じがある。


 五番の打席も最後はフォークで締めた。


 これでいくつ目の奪三振だろうか。もう覚えていないが、多分、奈々に聞けば答えてくれるだろう。


 これでツーアウト。ここからは下位打線だし、ランナーがいるのはあまり気にならない。……しかし。


「ボール。フォアボール」


 一点背負って少し気が抜けたのか、ストライクが中々入らなかった。


 際どいコースばかりに要求してくる奈々も奈々だが、思うように球がいかなかった。


 そう。私は油断していたのだ。何もかも。


 ツーアウト一二塁。この試合初めて得点圏にランナーを背負った。


 が、次のバッターは七番。平常心で投げれば大丈夫だ。大丈夫。そう言い聞かせて、私は初球を投じる。


「ストライク!」


 よし。ちゃんと狙ったところにボールがいった。


 球威もまだまだ衰えていない。大丈夫大丈夫。二球目もしっかりスライダーをストライクゾーンに入れた。


 ボール球を極力投げさせない配球をしてくれるため、奪三振数に反して球数は少ない。肩に疲れはない。まだ全然投げられる。


 三球目。サインはまたフォーク。コースは真ん中。一応ランナーの動きを警戒しつつ、私は足を上げた。


 そこから足を踏み出しつつ腕をテイクバック。体が開かないようにしながら踏み出した足を着地し、そこから腰、肩、肘とエネルギーを伝えるように身体を一本の軸のように動かす。


 生まれてから今まで何度繰り返してきたかも分からない動作。


 だが、今回は違っていた。


 足から全身を駆け上がっていったはずのエネルギーは、指の付け根で急激に失速した。


 ここまで蓄積してきたフォークの疲労が、この回、集中的にフォークを投げたことで一気にのしかかったのだ。



 指に、力が入らない。



 投げたというより、投げ出されたという表現の方が正しい。力のないボールが、私の手を離れて――


 カキーンと。低く鋭い弾道で硬球が外野へ飛び去っていく。


 右中間の打球だ。屋敷先輩がなんとか打球に追いつき、カットの荒木に送球した。


 二塁ランナーは三塁を回ってホームへ突入しようとしていた。タイミングは際どい。荒木は流れるような動作でホームへ送球する。


 荒木からの送球を奈々が捕るのと、ランナーがスライディングを始めるのが同時だった。


 その光景を、私はいつものマウンドの上ではなく、カバーに入ったホームベースの後ろから見ていた。


 地面を滑る音と、続いてスパイクとレガースがぶつかる音がした。そして、


「アウトッ!」


 主審の拳が突き上がった。


 途端、両ベンチから歓声と、落胆の声がそれぞれ吐き出された。だが、私はそんなことに構っている暇はなかった。


 私の視線は、うずくまって動かない奈々に、釘付けになっていた。



 ああ……。



 私は、また失ってしまうのか……?



「奈々っ!!」


 私は叫んだ。昔、両親が事故に遭った時。私は、同じように叫んでいたのだと思う。


 奈々は目を開けた。その瞳は弱々しい。


「立てる……?」


「うん、だいじょ……ぶっ」


 立ち上がろうとした奈々は、右足を地に着いた瞬間、顔をしかめた。浮かべるのは苦悶の表情。 


 右足を怪我したらしい。私はさらに動揺してしまう。


「あっちゃん……。私は大丈夫、だから……」


「で、でもっ!」


 私は完全に落ち着きを失っていた。周囲も騒然としている。主審は両チームの監督を呼び、話し合いをしているらしい。


「立てないんでしょ!? だったら早く病院行かなきゃ!」


「落ち着け、敦子!」


 静江さんが見かねて私を一喝した。私はびくっと肩を震わせ、静江さんの方を振り向く。


「お前が慌ててどうする。しっかりしろ、お前は奈々君のパートナーだろう?」


 パートナーだからこそ心配しているんじゃないか……。そう反論しようとしたが、奈々の言葉がそこへ割って入った。


「私は大丈夫。後のことは、あっちゃん。君に任せたよ」


 でも……、と言おうとして、私はその続きを見失った。


 奈々が大丈夫と言っているなら、大丈夫なのだろう。任せられたからには、やるしかない。けれど……。


「それじゃあ、安達さんは車で病院まで送っていくから」


「あ、待って監督」


 話し合いが終わり、山内監督が奈々を車まで運ぼうとした時。彼女は待ったをかけた。


 一応、簡単に固定するだけの応急処置は施した。あとは診断の結果次第ということになるが、本人の希望ということで、試合終了までベンチにいることが許可された。


「敦子、チェンジだ。一旦ベンチに戻ろう」


 私はぼんやりとしたままグラウンドを降りた。


 ダメだ、私は。奈々に任されているというのに。自分の投球に集中しなくちゃいけないのに。奈々のことばかり考えてしまう。


 彼女はああ言っていたけれど、やっぱり、かつての井川のようにいなくなってしまうんじゃないか、そういうことが頭をよぎってしまう。


 私のトラウマはそう簡単に薄らぐものではない。


 失う恐さ。それを知っているから、どうしても完全には安心し切れないでいるのだ。




 七回の裏の攻撃も終わり、八回の表。


 守備の交代が告げられた。キャッチャーには静江さんが入る。サードには控えの二年がコールされた。


「敦子。球種とコースはお前が決めろ。サインは球種だけでいい。コースは、どこへ投げても、どんな球でも捕ってやるから」


 静江さんはマウンド上の私にそう言った。久しぶりになる静江さんとのバッテリー。


 前までは信頼できるパートナーだったのに、今は少し頼りないように思える。……いや、静江さんが頼りないんじゃない。私が頼りないんだ。


 この回、先頭バッターの八番への初球、気の抜けたストレートが甘いコースに入った。


 そんなラッキーボールを見逃すはずもなく、フルスイングで打球は外野を越えていく。レフトオーバーのツーベースヒットとなった。


 ノーアウトランナー二塁という、この試合始まって以来最大のピンチを迎える。


 この状況で、バッターには九番井川。


「天才野球少女なんて呼ばれたあなたも、メンタル面は素人ね」


 井川が、皮肉を込めた言葉で私を嘲った。


 これまで調子よく投げていたのに。奈々が負傷するという大きすぎるアクシデントがあったとはいえ――今は、こんなザマだ。


 だが、頭で修正しようとしても、身体は良くも悪くも正直だ。私のモチベーションは限りなくゼロに近かった。


 井川に対する初球。ど真ん中の棒球。


「――チッ」


 彼女はそれを思い切り引っ張り、ファールにする。金網に叩きつけられる打球。わざと引っ張った。そんなバッティングだった。


「……本っ当に、どうしようもないわね」


 呆れた、という風に井川はバットを投げ出した。


 タイムをかけ、あろうことか私に向かって歩いてきた。マウンドに詰め寄った彼女の姿を、私は呆然と見ていた。


「あなた……さあ」


 私の胸倉を掴む勢いで、彼女は言い放った。



「また、リトルの時みたいに投げ出すつもり?」



 え……?


「無責任なのもいいところ。悲劇のヒロインぶって。あなたが辛いのは分かるけど、一番辛いのはさっき退場した彼女だっていうのが分からないの?」


 そうだ。私は、リトルリーグの時もそうだった。怪我した井川が一番辛いし悲しいはずなのに。せめて、残った私が頑張らないといけなかったのに。


 だけど、あの時の私はそんな気持ちも知らないで、自分が辛いからってあんな無様なピッチングを晒した。


「佐山敦子。あなたは昔から変わってない。やっぱり、本当のエースは私ね」


 昔から変わってない、か。彼女は私の過去の事情も、私の思いも、全て知っている。


 井川の言う通りだ。彼女には、本当に悪いことをした。……いや、そんな一言じゃ言い表せないぐらい、私がしでかしたことは無責任だった。


 一番辛いのは、私を残して逝った両親であり、あの時の井川聖であり、そして今の安達奈々なのだ。


 それに気付けないで、独り塞ぎ込んで。私はなんてバカなんだ。これじゃ……誰も、得しない。損しかしない。


 だから。井川に向かって、私は確かな声で、言った。



「あの時はごめんなさい。でも、本当のエースは私よ」



 試合前に自分に言い聞かせたように、そして、昔言っていたように。


 たとえ今は実力で劣っていようとも、負けない。絶対に。決意を瞳に灯し、私は井川を真っ直ぐに見つめる。


「何言ってるの。エースは私だってば」


 昔と同じように、井川はこう言い切った。満足したのか踵を返してバッターボックスへ戻っていった。

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