表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第三章
41/44

第40話 奇襲

 四回の裏の攻撃は、私からだった。


 とにかく、ストレートとスローカーブのコンビネーションだけでなく、井川はカットボールという第三の武器を使うらしい。


 まあ、何かあるとは思っていたが、よりにもよってカットボールというのはかなり厄介な存在になる。


 さて、どうするか。


 カットボールを混ぜられるということは、ストレートとスローカーブの単純な二択の上に、さらにストレートとカットボールの二択が追加されたことになる。


 ヤマを張ってはスローカーブが打てず、ヤマを張らなければカットボールが打てない。ジレンマだった。


 どうすればいい。分からないまま、私は打席に立った。


 一球目。外角の際どいコース。僅かに外れたと思いきや、手元でストライクゾーンに抉りこむように変化する。


「ストライク!」


 これが、カットボールか。なるほど。カット、とは過言ではないらしい。触ると本当に切れそうだ。


 続く二球目はスローカーブだった。手が出ない。


 まずい。このままではどっちつかずになってしまう。カーブを狙うか、カットボールを狙うか、それともストレートか。


 せめて、スイングのタイミングだけでも決めておきたい。なら、迷わずストレート狙いだ。


 打てるか、ということは気にしない。どうせノーアウトランナーなしだ。気楽に行こう。


「ストライク、スリー! バッターアウト!」


 三球目。スローカーブだった。


 ダメだ。完全に読まれている。こんなの、どうやって打ち崩すんだ?



「……奈々」


「あっちゃんが言いたいことは分かるよ」


 ベンチに戻るなり呼びかけた私に、彼女は視線を移してまたすぐ戻した。そしてそのまま長考の体勢に入る。


 やがて、五番の静江さんがゴロに仕留められた頃に、彼女は長考から覚めて顔を上げた。


 上げるなり、一息にこう言い切った。



「奇襲を仕掛けよう」



 何を言っているんだ、とも思ったが冷静に考えてみるとあながち悪い選択肢ではない。


「悔しいけど、今の私達じゃ井川には勝てないよ。怪物という名は伊達じゃない」


 過去を振り返っても怪物と呼ばれる選手は、いずれも甲子園で活躍し、スターと呼ばれた逸材ばかりだ。


 決して舐めていたわけじゃない。しかし同じ高校生、井川に至っては私と同学年ということが感覚を鈍らせていた。


 彼女は、間違いなく怪物と呼ぶに相応しい。まざまざとその現実を見せつけられた。


「この回、このまま三者凡退で終わったら、次の回は七番から始まる。それも三者凡退になったとすれば、六回の攻撃は一番からだから、そこで仕掛けるんだ」


 私は五回の表と六回の表。それぞれ一本ずつヒットを許しはしたが、二塁を踏ませず無失点に抑えた。


 良い流れが来ているように見えるが、こちら側の攻撃は見事なまでにノーヒット。


 六回の裏は一番からの攻撃となる。


 作戦は滞りなくスタートした。一番打者の屋敷先輩に、奈々のサインが飛ぶ。屋敷先輩は強く頷き、フォームに構えた。


 初球から動いた。奇襲を仕掛ける、と彼女は言った。なるほど、そういうことか。


「ファースト! 急げ!」


 光陵のキャッチャーが、初めて慌てた声を上げる。今まで気付かなかったが女子の声だ。


 仕掛けたのはセーフティバント。


 屋敷先輩は、井川が投じた初球ストレートを綺麗に三塁線に転がした。


 終盤に来て初めてのバント決行は、奇襲としてこれ以上ないくらいの威力を発揮した。サードは反応が遅れ、しかもボールを掴むのにもたついた。


 そんな守備で送球が間に合うはずもなく、まんまと内野安打を記録した。


 初めてのノーアウトのランナー。しかも出たのは俊足の屋敷先輩。真骨頂だ。


 次は二番の荒木の打席だが、カットボールの存在がある以上、荒木のヒッティングが成功するとは限らない。


 ここで奈々が指示したのは盗塁。光陵のキャッチャーも強肩ではあるが奈々ほどではない。


 ならば、いつも練習で私と奈々のバッテリーからばんばん二塁を奪い取っている屋敷先輩なら、心配いらないだろう。


 予定通りに盗塁を成功させ、ノーアウト二塁とする。


 先制のチャンスだ。だが、チャンスだけ作って後はヒット待ち、というだけでは点は取れない。さらに戦術を重ねなければ。


 ワンナッシングからの二球目。



 ――また、屋敷先輩はスタートを切る。



 ただし、今度は単独スチールではない。確実にランナーを進めるためのコンビプレーだ。


 コン、と。鈍い音。ボールはインフィールドを転がっていく。


 送りバントだ。スタートを切った屋敷先輩は悠々三塁へ。バッターランナー荒木はアウトになり、ワンナウト三塁に変わった。


「……よし」


 奈々は満足げに頷いて打席に向かった。


 ワンナウトで俊足のランナーが三塁、打席には安達奈々。これはもう、点を取れないほうがおかしいぐらいの状況だ。


 私が相手の立場なら、ここはスクイズを警戒するだろう。


 もうお互い無得点のまま六回。勝とうとするなら、ここで用心するに越したことはない。そして、内野ゴロでも最悪点が入るという状況だから、内野前進シフトを敷いてくるだろう。


 特殊な状況であるからこそ、相手の作戦は絞れてくる。


 だが、そんなことは相手も織り込み済みだろうから、それを踏まえた上でのさらに高位の戦術を図ってくるだろう。問題は、奈々がそれを越える策を用意しているのかどうかということだ。


 奈々のインサイドワークが、相手よりも勝っているか、否か。


 奈々が構えを取る。同時に、井川がセットポジションに入り、そして内野は定位置よりも前に出てくる。


 瞬間、異様なまでの緊張感がグラウンドを包み込む。私は息を呑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ