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ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第三章
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第38話 久しぶりね

 二回の表。光陵高校は右の四番からの攻撃だ。


 この四番は、静江さんが収集したデータによれば、内角には滅法強いが外角の打率は大したことがない。特に外角低めともなれば、アベレージは二割を下回る。


 ならば、そこを徹底的に攻めるのが筋と言うものだろう。


 奈々の配球は容赦がない。まず、アウトローのカーブでストライクを取る。次にストレートを外に外し、今度はまた外にスライダーを決めて追い込む。


 さらに外角にチェンジアップを外す。外に外に。外角の意識を植え付ける。バッターは得意の内角が来ないことに苛立ちと焦りを感じているはずだ。


 そこへ、最後に内角へフォークを放る。


 ここぞとばかりにスイングされたバットは、フォークの軌道に合うはずもなく空を切る。


 まるで、予定調和。完璧に彼女の思惑通りだった。データを元にした抜け目のないリードは、本当に感心させられる。


 だが逆に言えば、名門の四番ともなると、これぐらい慎重に投げなければ打たれてもおかしくないということなのだろう。


 続く右の五番は、逆に内角に弱い。


 わざわざホームベースから離れた位置に立っているのも、その弱点を克服するためだろう。


 ここは、ストレート中心の配球だ。初球を内角低めにストレート、次は同じコースにカーブを放り二球で追い込む。


 四番のこともある。そろそろ、内角攻めに気付く頃だろう。


 そこで、外角へシュートを投げる。やや内側に気が向いていたバッターは、突然の外角に思わず手が出てしまったらしい。


 バットは届いた。だが、先端で引っ掛けたようなバッティングになる。


「ファースト!」


 奈々が叫ぶ。


 前進してきたファーストは難なくゴロを捌き、ベースカバーに入った荒木に送球する。審判の拳が上がり、ツーアウトとなった。


 その後の六番は三振に仕留め、二回もノーヒットで終了し、裏の攻撃に移った。


 二回の裏は静かなものだった。


 成峰の攻撃は六番からだったが、六七八と井川のスローカーブに翻弄され手も足も出なかった。


 大した休憩も貰えずに、私はすぐまたマウンドに立つ。


 七、八番は全く問題ない。セオリー通り、変化球で追い込みストレートとフォークで仕留める。七番はフライ、八番は三振で切って取った。


 そして、ラストバッター。九番ピッチャー、井川。


 調子は良い。彼女を打ち取れば打者一巡パーフェクトとなる。


「あなた、佐山敦子で合ってる?」


「?」


 突然、バッターボックスの井川から声が掛けられた。確かに私は佐山敦子だ。それがどうした。


「調子良さそうね」


 彼女は口元を吊り上げて不敵に笑った。その表情には少しの皮肉と、悪戯っぽさが含まれている気がした。


 その口調に違和感を覚えたが、今は集中だ。試合中のお喋りはあまり好きじゃない。


 初球。外角にストレートを決める。ここを抑えれば一区切り。九番と言えど、手は抜かない。と、思っていたのだが。


 あ、やば――


 フォークを投げようとしたところだった。不意に握力が抜け、正規のリリースポイントより手前でボールが手を離れてしまう。


 完全なすっぽ抜け。失投だ。


 しかも、あらぬ方向に飛んでいくのならまだ良かったのだが、その失投はあろうことかストライクゾーンに。ど真ん中に飛び込んでいった。


 カキーン、と。


 案の定、ボールはバットの芯で捕えられる。打球は真っ直ぐ、私の所へ駆けてくる。


「くっ……」


 グローブで打球を掴もうとしたが、捕りきれず前へ弾いてしまう。


 このまま私が捕りに行っても、絶対に間に合わないだろう。


「あっちゃん! 任せて!」


 だが、打球を捕ったのは安達だった。ホームベースを跨いでインフィールドに入り、転がっているボールを素手で掴む。


 タイミングは微妙だったが、そこは強肩の奈々だ。正確かつ迅速なスローイングによって、バッターランナーの井川をアウトにした。


 これでスリーアウト。打者一巡パー フェクトの完成だ。


 井川は特に悔しがる様子もなく、一塁ベースを駆け抜けたところで肩越しに私と奈々に視線を送る。


 チェンジになって、私は三塁側ベンチへ戻る井川と交錯した。



「久しぶり、敦子」



 再び声を掛けられて一瞬分からなかったがその違和感にすぐ気付く。


 敦子。


 私のことをそう呼ぶ人は、数えるほどしかいない。お父さんお母さんを含めた身内の人たちと、静江さんと……。――ああ、そうか。


 その声と顔、発音の仕方に聞き覚えがあると思っていたら。


「いがわ……ひじり……?」


 井川聖。


 それが彼女の名前だった。かつて共にリトルリーグでエースの座を奪い合った彼女。右腕を故障し、私の前から姿を消した彼女。


 はは。怪我、治ってたのか……。


「……久しぶりね、聖」


 もしかしたら、事故のショックを忘れたくて、彼女の名前を今まで思い出さなかったのかもしれない。


 右投げのスローカーブ使いと言えば、彼女以外になかったはずなのに。


 井川は振り向いた。


 今なら分かる。それは、幾度となくいがみ合い、競い合い、そして笑い合った、ライバルの成長した姿だった。


 当時、私と同じくらい長かった髪はばっさりカットされていて、ぱっと見の印象はずいぶん見違えていた。


「変わったじゃない、気がつかなかった」


「そう。あなたは何も変わらないわね」


 それは外観の話か実力の話か。一瞬、どちらの意味だろうと考えた。



「あなたじゃ、私には勝てない」



 また。あの時と同じ台詞を。私にとって一番屈辱的なことを言い残し、踵を返して三塁側ベンチに戻っていった。

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