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ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第三章
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第36話 文句言うなよ

「プレイボール!」


 試合は光陵高校の先攻で始まった。向こうのOBだとか言う審判のコールを聞いて、光陵の一番が打席に立ってバットを構える。


「ほんじゃ、軽く行きますかね」


 薄ら笑いを浮かべながら、バットを構える相手。かなり内角に踏み込んだクローズドスタンスだ。


 奈々のサインが飛んだ。インハイにストレートか。「黙らせろ」と言うことだろう。私はワインドアップから初球を放つ。


 コース、スピードともに完璧。申し分ないストレートが内角高めを抉った。


「うおっと……あ、危ねぇ」


「ストライクなんだから文句言うなよ」


 私はバッターに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、そう吐き捨てた。


 今の一球で、向こうのベンチにも少し動揺が走ったようだ。 二球目。サインは……ふむ。どうやら、早くも「秘密兵器」のご登場らしい。


「あっちゃーん! 落ち着いてー!」


 落ち着いているとも。


 気を集中させる。緊張はない。むしろ、初めて実戦でこれを試すことに高揚を感じている。


 ボールをしっかりと握り、前を見据える。力を抜いて投球動作に入り、テイクバックからしっかりと腕を振ってリリース。


 コースは真ん中。だが、これぐらいが丁度いい。相手が食いついてくれるからだ。今頃、ラッキーと思っていることだろう。


 甘い。私から放たれた白球の矢は、バッターに届く寸前――


「っ!」


 ――落ちた。


 スイングしたバッターは驚愕の表情を浮かべた。バットは当然空を切り、ボールは低めに構えたミットにしっかりと収まる。


 決め球の代名詞として名高い変化球。フォークだ。


 フォーク使いで有名な選手と言えば、昔ならフォークの神様と称えられた杉下茂や阪神の永久欠番である村山実、マサカリ投法の村田兆治、近年で言えばトルネード投法の野茂、大魔神佐々木などがいるだろうか。


 人差し指と中指でボールを挟む特徴的な握りは変化球の中でも最もよく知られていて、またそれに反して人を選ぶ変化球でもある。


 フォークには、強靭な握力もそうだが、大前提として指の長さが必要になる。


 私は女にしては指が長かった。だから、「何か新しい変化球を身につけよう」ということになった時、安達は迷わずフォークを勧めてきた。


『あっちゃんは指が長いから、絶対にフォークを投げたほうがいいと思う』


 絶対に、なんて言われてしまえば、断ることはできない。それからしばらく、私の特訓は続いた。


 部活中はもちろんのこと、彼女の早朝練習にも付き合い、休みの日には公園で練習した。一週間ほどで手応えを掴んできて、変化するようにはなったものの、まだ実戦レベルとはいかなかった。


 まして、決め球クラスまで引き上げるには、相当な時間を要しそうだった。


 しかし、奈々はそこで助けを出してくれた。「任せといて」と、そう言った彼女の言葉は間違いではなかったのだ。



『私に任せて、敦子ちゃん』



 申し出てくれたのは智美さんだった。


 遠征から帰ってきて、一日の休みだったのだろうが、その貴重な時間を彼女は私のために使ってくれたのだ。その首もとには、ミョルニルのペンダントが輝いている。


 オーバースロー時代の彼女の決め球はフォー クだった。同じ左投手と言うこともあり、彼女の指導で私のフォークの切れ味は飛躍的に上がった。


 それから暇があるたび、智美さんは特訓を手伝ってくれるようになった。「ただ落ちるだけ」だったフォークが、一ヶ月も経つ頃には決め球の域まで達していた。


 そして、ようやく完成したのだ。


 速度、落差、タイミング。変化のどの部分を持っても十分に「ウィニングショット」と呼べるフォークが。


「あっちゃん! ナイスボール!」


 談笑すら聞こえた三塁側ベンチは、シンと静まり返っていた。それを追うように今度はざわめきが聞こえ始める。


 私はつい笑みがこぼれそうになるのを何とか我慢して、再び投球に入る。


 サインはまた、フォーク。今度は低めに。


「くっ」


 回るバットをあざ笑うかのようにボールは地面を跳ねる。審判がストライクスリーを宣言した。


 バッターはすぐに振り逃げを試みるが、奈々はショートバウンドのボールをしっかりとキャッチしていた。


 彼女はすぐさまそれを一塁に送球する。振り逃げのチャンスすら与えない。


 フォークを何の躊躇いもなく放れるのは、奈々のこの捕球力あってこそだ。だが、キャッチャーの方に振り向きもせず振り逃げを狙いに行くとは、さすが名門の一番といったところか。


 バウンドした投球は、正確に捕球しても振り逃げの権利が生じる。そのルールを知ってはいても、咄嗟に判断して実行に移すのは並大抵のことではない。


 やはり、一筋縄ではいかないか。


「あっちゃん、良い球来てるよ! この調子で行こう!」


 私はうん、と頷く。


 二番が打席に立つ。その顔からは、既に楽観の色は消えていた。


 一球目、サインは低めのストレートだ。サイン通りに決めて見逃しのストライク。フォークの印象が焼き付いていては、このコースは手が出せないだろう。


 二球目も同じコースにストレート。手は出ない。三球目。また同じコース。


 今度は、――またストレートだ。


「ストライク、スリー。バッターアウト!」


 二連続奪三振。あの二番が慎重な打者であることは既に研究済みだ。


 続いて三番が左打席に入る。ここからが本番だ。光陵は投手力も当然高いのだが、名門と言われる由縁には打撃力の比重もかなり多い。


 特に今年のクリンナップは全国でもトップクラスだと言われている。 そんな相手だ。


 さっきのような直球一本では確実にホームランを打たれる。


 サインは、シュート。


「ぐっ……」


 バッターが呻く。完全に詰まった当たりはセカンドへ。内角低めからさらに内に食い込むシュート。あのコースはどう打ってもヒットにはならないだろう。


「ほいっ、さっ!」


 小気味いいテンポで荒木千弘が打球をさばく。


 彼女は一般的に不利と言われる左投げの二塁手だ。身体の右で取り、そのままくるっと回転してファーストに送球、アウトに仕留めた。


 二番が同じコースのストレート三つで倒れていることで、三番はそのコースに手を出してしまう。


 それを予測して、奈々はシュートを要求したのだ。フォークが投げられるということは、それだけでブラフになる。フォークがあれば、フォークがなくても打ち取れる。


 逆説的ではあるが、それだけウィニングショットの存在は大きいと言うことだ。――さて、チェンジだ。


「ナイスピー」


 さっき捕殺を記録した荒木が声をかけてきた。ふん。


「ナイスセカン、千弘」


「へ?」


 小さく言って、私はベンチに戻った。荒木は呆けたように一度立ち止まったが、すぐに追ってきた。

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