第32話 憧れの人へ
というわけで、やって来た。アクセサリーショップ「ビフレスト」。
ビフレストといえば、北欧神話において地上とアースガルズをつなぐ虹の橋のことだ。
おそらく、七色に輝く宝石を意識したネーミングなのだろう。「ビフレスト」は商店街の中でも、立地が悪いせいかあまり知られていないマイナーな店だ。
アクセサリーに精通している人か、あるいは私のようにこの街を熟知しているような人でなければ、中々この店には辿り着けないだろう。
しかしながら、客足の少なさに反して品揃えは豊富で、所狭しと並べられた商品のせいで少し窮屈なぐらいだ。
この店には宝石をあしらった高級なものはもちろん、シルバーアクセサリーなどの安価なものまで色々と揃っている。私が今つけている十字架のペンダントとブレスレットも、この店で買ったものだ。
休日ともなれば、大通りの人口密度はかなりのものになるけど、そういう時はこの店の過疎具合はむしろ嬉しい。
空調の効いた静かで快適な店内は、商店街の騒がしさをひとつ離れた安らぎの空間と化している。
「へえ、こんなお店もあるんだ」
「裏道に入らないといけないから……あんまり知られてないみたい」
「さすが歩くマップだね!」
「あんたに言われるとむかつく」
それから私達は店内を見て回ることにした。アクセサリーの数々がぎっしりと敷き詰められている――そう表現してもいいくらいたくさんある店内で、品定めをしていた奈々がふと口を開く。
「お母さんにプレゼントしようと思ってるんだ。そろそろ誕生日だからね」
「へえ」
ああ、智美さんにね。納得。
「で、あっちゃんが気に入ったのを買おうと思ってる。だから自由に選んでみてよ」
え、そんなに責任重大だったの私。
「そんな、でも私、センスとかないし」
「でもその十字架のアクセサリーかっこいいし。あっちゃんお願い!」
まじか。まさかあの、上野智美さんの誕生日プレゼントを私が選ぶ日がくるとは……。これは本気を出さざるをえない。色んな意味で。
とりあえず、私は了承の返事の代わりに一つ質問をした。
「とりあえず、予算を聞きたいんだけど」
「二、三万円くらいまでなら出せるよ」
さすがに宝石が入ってるものだと買えるのは限られてくるけど、三万円もあるなら銀や銅といった金属製のアクセサリーは結構幅がある。
一瞬、自分とお揃いのやつを考えたけど、私の十字架のやつはペンダントとブレスレットを合わせても一万円いかないぐらいのものだ。
お揃いは諦めたが、シルバーアクセサリーのコーナーから見て回ることにした。
「智美さん、智美さん……」
智美さんの姿を思い浮かべつつ似合いそうなものを、と探してみる。けれど、もとよりアクセサリーはファッションに合わせるものだし、あまりにも判断材料が少ない。
しかも、シルバーアクセサリーは人気があるために種類が多く、早速プレゼント選びは難航の色を示し始めた。
失くし物を探すのも大変だけど、形の定まらない探し物を探すのはもっと大変だというのが身に染みて分かる。
「ねえ」
「うん?」
「えと、どの種類がいいのかな。その、指輪とかネックレスとか、そういうの」
膨大な量ある商品も、一応ちゃんと種別ごとの小コーナーに分かれている。シルバーアクセサリーというカテゴリの中で、指輪コーナー、腕輪コーナー、というような感じで。
それを絞れば、ある程度は探すのも簡単になる。
「やっぱり、頭や首につけるものかな。ネックレスなり、ペンダントなり」
奈々は何秒も考えずに答えを言った。あらかじめ決めていたのかもしれない。私が理由を聞く前に、彼女は付け加えた。
「その人の顔の近くにあった方が、なんか嬉しいんじゃないかと思って」
「へえ」
それは確かに、そうだと思う。奈々もちゃんと分かっていた。
婚約だ結婚だと言ったら指輪だろうけど、大切な人に贈るものなら、その人の顔と一緒に見れたほうが嬉しいし、幸せな気分になると思う。
「あ、髪飾りとかどうかな?」
奈々は特に考えもなさげといった様子で言った。それから、私は答える。
「髪飾りは微妙かな。髪は……飾らない方が綺麗だから、智美さん」
そこだけは譲れなかった。何せ、昔から憧れてた人ですから。
「えっと、じゃあこっちの方とかどう?」
私は奈々を首飾りのコーナーに案内した。
シルバーアクセサリーで多いのは、ネックレスよりはペンダントだ。ペンダントというのは、首飾りの中でも先端にペンダントトップという飾りがついているものを指すけれど、そのペンダントトップの形状はさまざまだ。
私がつけているような十字架のものもあれば、ハートや星型といった図形的なものから、龍などをかたどった細かい装飾のものまである。
奈々はそれらを真剣な面持ちで品定めしていくように見ていった。負けじと、私も智美さんのプレゼント選びを再開する。
そんな調子で一つ一つ見ていくうちに、見覚えのあるペンダントトップを見つけ、私はそれを手に取った。
「これって……」
「ん? それ何?」
すぐ隣で見ていた安達が、興味津々と言った顔でそのペンダントに視線を向ける。
しかし、それが何なのか分からなかったのか、すぐに「んん?」と首を捻った。まあ、普通の人には少し分かりにくいものだろう。
「イカリ……?」
安達が疑問符いっぱいに聞いてくる。
形状は確かに船のイカリに近いものがあるけれど、両端は尖っているわけではなく、平たくなっている。これはハンマー、だ。
「これは、ミョルニルよ」
「ミニョルミ、ル? あー、えっと……何?」
北欧神話において、ミョルニルは雷の神トールが扱うウォーハンマーだ。ミョルニルを模したレプリカは北欧では人気があり、それをトップに飾ったペンダントが日本にも出回っているらしい。
これはその一つなのだろう。……という説明を軽くすると、奈々はなるほど、と納得した様子でもう一度ミョルニルのペンダントを見た。多分よく分かってないと思う。
そして、また私に向き直って言った。
「あっちゃんはこれが気に入った?」
「え? いや……」
どうだろう。服なら着てみたい、という欲求から選べるけれど、アクセサリーは前も言ったとおり服に合わせるものだし、単体でこれ、 というのはよく分からない。
今の私の服装だって着てみたいから買ったものだけど、十字架はそれに合うように選んだだけだ。
気に入ったかどうか、と言われれば答えづらいのだけれど、少なくとも、
「興味はある……かな」
「じゃあこれにしよう」
「!?」
安達はうんうん、と満足げに頷いている。そこには、反論の余地を与えない完成された雰囲気があった。
決定、らしい。値段は決して高いものじゃない。けれど、普通は知らないような、あるいは知っていても武器をかたどったペンダントなんて、智美さんがもらって喜ぶのかな。
「あっちゃんが選んでくれた物だもん。お母さん、きっと気に入るよ」
あわあわする私に、奈々は喜々とした感じの表情で言う。
「予約とかできるのかな。今日はお金持ってきてないから」
「できる、と思う。店長さんに頼めば」
「分かった。ちょっと行ってくるね」
奈々はレジまで小走りで行ってしまった。少し経ってから店長さんを連れて戻ってきて、あれこれと話をしているようだった。
その様子を、若干恐縮気味に見つめる私がいた。それでも、あいつのあの嬉しそうな顔を見るだけで、そんな不安も吹き飛んでしまう気がした。
子どもみたいに無邪気で、でも大人びた顔も見せたりして。ほんと犬みたいだ。
私は奈々の後について店を出る。時刻はまだ夕方にもなっていないくらいで、空はまだ青いままだった。
「私の用は終わったけど……。あっちゃんはどこか行きたいところある?」
「……特に、ないけど」
「本当に?」
確かにどこに行きたいわけでもないけれど、彼女と一緒ならどこに行っても楽しい気がした。
でも、それを言い出す勇気は私にはなくて、結局また自分を押し殺してしまう。 私は、いつまでたっても臆病なままで。
「あっちゃん。謙虚なのもいいと思うけど、もっと積極的になった方がいいと思うよ?」
へ? と、私は唐突な指摘に、今日何度目かも分からない気の抜けた返事をした。
「あっちゃんは、何かしたいことある?」
私は押し黙ってしまう。
謙虚といえば確かに聞こえはいいけど、要するにさっきも言ったように臆病なだけだ。短いながらも築いてきた「友達」という関係を崩したくないというのもあった。
でも、奈々は踏み込んでもいいと。ある程度なら、私が望むことに応えてくれると。そう言ってくれている。「それ」が友達なのだと。
私は、少し遠くに見える看板を指差した。
「あそこ」
「あれって……バッティングセンター? あっちゃん、バッティング好きなの?」
「打つ方はピッチングほど興味ない。ただ、その……バントの、練習を……」
「えーっ!? せっかくの休日なのに、バントの練習!? あっちゃん、どんだけ野球漬けなの!」
どことなく、奈々の声色には驚きと歓喜の色が混じっていた。
「うるさい……。嫌なら、別にいいけど」
「もちろん付き合うよ!」
これからが、本当の友達への一歩だと思う。




