第27話 おはよう
夢を、見ていた。
悪夢ではない。むしろ、最近の私にしては珍しいことに、快夢と言っても差し支えないものだったと思う。
よく内容は覚えていない。でも、その温かさは覚えている。
私はベッドから身体を起こした。真新しい清潔そうなシーツを抜け出し、床に足を着ける。
立ち上がって私は自分の全身を検めた。
服は、寝入ってしまう前と同じだった。膝丈パンツと黒い上着という軽装。フリーマーケットで安く売っていたものを見つけて買っただけのものだ。
下着もそのままだった。私は寝る時はいつも下着を着けないから、心なしか胸が苦しい気がする。まあ、誇れるほど胸も無いが。
夢見心地のまま、私は部屋を出た。
廊下をおぼつかない足取りで歩いていき、階段を下りる。――あれ? おかしいな。
違和感を覚えつつも、私の覚醒しきっていない脳はそれ以上の思考をやめた。代わりに、今度はいい匂いが鼻を突いてくる。味噌の香りだ。
リビングのドアを開けると、それはさらに確かなものになる。私は段々現実に引き戻されていくようだった。
「あっちゃん。おはよ」
その声で、私は完全に現世に舞い戻った。
「あれ……」
寝ぼけ眼で周りを見渡す。
だだっ広い、と言っても過言ではないだろうリビングは、明らかに私の家とは違っていた。
それに、私の部屋は一階にあるから、リビングに行くのに階段を降りる必要はないのだ。
じゃあ、ここはどこだ?
「よく眠れた?」
「あ……うん」
思わず返事をしてしまう。
目の前にいるのは、安達奈々。間違いない。でも、どうして彼女が? と、そこで気付く。
「ここって……あんたの家?」
「そだよ。あっちゃん、あの後泣き疲れて寝ちゃったから、使ってない部屋のベッドまで運んだんだよ」
「ああ……そう」
ふうん。私がその意味を理解するまでに、数秒。
「……うあっ…………」
数秒後、私は激しい自己嫌悪に苛まれていた。恥ずかしい。超恥ずかしい。
知り合いの家に泊まるなんて経験は当然初めてだし、しかも、私は意識がなかったのだ。
運ばれたということは、多分彼女に担がれたのだろうが、そのことを想像するだけで顔から火が出るようだ。
トドメとばかりに、昨日の記憶がまざまざと蘇ってくる。
私も冷静さを欠いていたとはいえ、彼女の前で泣いたなんて、墓まで持って行ってでも周りには隠し通したいところだ。
「と、智美さんは……?」
「昨日からビジター三連戦だからいないよ」
そういえば智美さんにも失礼なことをしてしまった。
「はあ…………」
ため息を一つ。
私はそれだけで、もうどうで もよくなっていた。
前までの私なら分からなかったが、少なくとも今の私には、この状況を受け入れることはそう難しくはなかった。
何となく、打ち解けた気がするのだ。私が抱えるものを全て吐き出して、彼女も同じようにして、そうしたことで私は彼女に心を許していた。
……そうだ。まだ言ってなかったことがあった。
「あの、さ」
「んー?」
「……ごめん」
私が本気で人に謝るのは、何時ぶりだろう。
「へ? なんで謝るの?」
「一週間ぐらい前だけど。いきなり怒って出て行ったりして、ごめん、ってこと」
これだけは、しっかりしておきたかった。本来の目的は果たせたとはいえ、私が悪いことをしたのは変わりないのだから。
しかし、彼女はふるふると首を横に振る。
「あっちゃんが謝ることないよ。それなら、私だって悪かったし。あっちゃんの奥まで干渉するようなこと言っちゃってさ。……ごめんね、あっちゃん」
あっちゃんあっちゃん言うな。でも、そうか。こういう奴だった。
もしかすると、彼女のこういう人を気遣いすぎる性格は、彼女の過去が影響しているのかもしれない。まあ、どうでもいいが。
「そういえば、今何時?」
私は話題を切り替える。そういう私も、結構空気とかは気にする方だ。
「十時半」
「は?」
今日は平日のはずだったが。あれ……遅刻?
「あんた、学校は?」
とりあえず自分のことは棚に上げてみる。
「あっちゃん中々起きないからさ。待ってたらこんな時間だし、まあ別に良いかなーなんて」
「そう……」
確かに、私一人ここに置いていかれても困る。
今日ぐらいは、できれば休みたい気分だったし、欠席ということにしておいても良いだろう。 静江さんには、後で連絡を入れておこう。
「とにかく、あっちゃん。朝ご飯食べないと」
思えば、最近よく突っ込みを怠っている。私も着々と変わっていこうとしているらしい。
「ありがとう。奈々」
「うん。……うん? あっ、あっちゃんっ! いま、なんて!?」
「別になんでもないわよ。あっちゃん言うな」
今度、日頃の仕返しになっちゃんとでも呼んでやろうか。私はそんな不毛なことを考えていた。




