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ポニーテールは笑わない。  作者: 藤和春幹
第二章
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第19話 過去の積み石

 昨日の出来事から一夜明けて、何もかも元に戻った気がした。


 皆と一緒にいて楽しかった。そんな感情は、私の心には一片も残っていない。それだけでなく、私の記憶には昨日という日のことがあまりない。


 まるで夢のような時間だった。


 現実に割り込んできたと思えば、終わってからはまた現実に戻されて、その夢の内容を忘れてしまう。


 それが快夢だったのか悪夢だったのか。それすらよく思い出せない。だが、夢から覚めなければよかった、という感想は抱かない。


 なんだかんだ言って、やっぱりこれが私なのだ。


 孤独だから何だと言う。孤独は寂しいかもしれないが、楽だ。だから私はそうやって生きてきた。


 その過去を否定してまで夢にすがるなんて、愚かでしかない。私は今まで積み重ねてきた物を放棄する気はないし、これからも同じように積み上げていく。


 その積み石は孤独な戦いかもしれない。それでも、私はそれをずっと続けていく。


 ずっと……ずっと…………。


 過去の私の積み石は価値あるものだ。それは決して無駄ではなく、捨てるのには惜しいもの。


 だが、その無数の石と一つの大岩。それら二つを天秤にかけたとき、一体どちらに傾くのだろうか。


 多くの過去を破壊した一つの現在が、果たして過去よりも尊いものだろうか……。


 そして、ここまで考えて、ようやく私は気付いたのだ。


 どうやら、私の心は矛盾を抱えていたらしい。尊い過去の積み石。このことが既に、どうしようもない矛盾を孕んでいるではないか。


 積み石などという脆いものが、尊いはずがないのに。


 積み石というたとえを使った時点で、私の心はすでに過去を否定していたのだ。今まで孤独に生きてきて、淡々と積み上げてきた無数の石ころ達。


 そう、何の価値もない、ただの石ころだ。それを積み上げたところで、結局ただの積み石でしかない。


 何が価値あるものだ。


 心の奥では、私はとうに過去を投げ出していたのに。本当は、今という時間に身を委ねたかったのに。




 月曜日の登校時間。足取りは軽い。


 だが、いつものように余裕をもって校門をくぐった私は、そこで思わぬ遭遇をすることになる。


「おっはよー、あっちゃん!」


「うっさい。あっちゃん言うな」


 安達だ。まるで待っていたかのように、校門のすぐ側に立っていた。


 というより、エナメルバッグを横に下ろしていることから考えて、本当に待っていたのだろう。


「いつもこれぐらいに来るの?」


「一応ね」


 今の時刻は刻限の二十分ほど前だ。うちの野球部は早朝練習もないし、むしろ私は早いほうだろう。周りを見渡しても生徒の姿はまばらだ。


「……あんたこそ、随分早く来てたんじゃない?」


 暗に待っていたことを皮肉ってみる。だがそれを気にする風でもなく、安達はさらりとこう返してきた。


「うん。六時に来て一人で朝練してた」


「六時?」


 ついさっき私が排除した言葉を言われて、すぐにはその意味を理解しかねた。数秒後にそれを理解して、私は少し顔をしかめる。


「一人で? わざわざ?」


「前の野球部はあったからさ、なんか落ち着かなくて」


 うちの野球部を批判する気はないのだろうが、少し負けた気分になる。


 私もたまに静江さんと朝練をするが、さすがに六時には敵わない。


 そういえば、安達が前にいた学校はどんな所なんだろう。彼女みたいな実力の選手がいるくらいだから、そこそこ野球は強いのだろう。


「それで、終わって下駄箱見たらあっちゃんまだ来てなかったから、待ってみたんだ」


「そう……」


 こいつが意外と練習好きなのは分かった。可愛い顔してちゃんと努力はしているのか。その努力あってのあの実力、ということだろうか。


 まあ、彼女の野球センスも少なからず影響しているのだろうが。あとあっちゃん言うな。


「行こ」


 安達はエナメルバッグを左肩にかけ、先導するように私の前を歩いた。


 最初からそのつもりだった。思わぬ足止めを食わなければ。なんて皮肉は通用しないだろうから、喉の奥にしまい込む。


 やっぱり、何となく頭が働いていない。変なことばかり考えてしまう。


 もやもやした気分のまま、靴を履き替えて階段を昇り、教室に直行した。


 その間、安達はしきりに世間話を振ってきていたが、生返事だけで済ませて半ば無視しながら歩いた。


 彼女が気にしている様子は無かったが、教室に入ってからは私に何か話をしようということはなかった。


 代わりにとでも言うのか、別のクラスメイトの輪に加わって行ったので、私は安達から目を切って席に着いた。


 頬杖を突き、いつものように周囲の喧騒に耳を澄ませる。


 それぞれ話す内容はバラバラだ。まあ、新学期始まってからもう二週間経つし、四月のこの時期にはイベントごとも少ない。


 一貫した話題は特にないということだろう。


 そうやって静かに朝の時間は過ぎていく。暫くしてチャイムが鳴り、朝のショートホームルームが始まる。


 それからは別段何もなく時間が過ぎ、昼休みになった。



 ――結局、何が変わったわけでもなかった。



「あっちゃん。一緒にお昼食べよ」



 ――なのにこいつは、どうしてこうも笑顔で話しかけてくるのか。


 どうしてこうも、私の孤独の積み石を容赦なく崩そうとするのか。


 今まで私が規則正しく積み上げてきた石の上に、こいつは一際大きな岩を乗せようとしている。私の孤独を、強引に破壊しようとしている。


 はっきり言って迷惑だ。


 私の孤独を侵すな。私は独りでいたい。独りにしてくれ。


「いい。一人で食べるから」


「みんなも一緒だよ。食事は人数多いほうが楽しいよ?」


 昨日のことを思い出した。


 ひとかけらも残っていなかったはずの夢ような出来事の記憶が、フラッシュバックするように脳裏に浮かぶ。


 それは本当に一瞬で、また探ろうとしても出てきてはくれなかった。


「ったく…………。しょうがないわね」


 そこには、積み石の上に自分から大岩を乗せようとしている私がいた。


 自分が生きてきた証を失うのが怖くて、私は過去を無理やりに美化しようとしていた。


 私は本心では、孤独を脱したいと思っていたのか?


「よーし。行こ、あっちゃん」


「……うん」


 でも、今の私には、大岩のような現実は重すぎて、とても抱えきれるものではなかった。だから、私はまだ積み石の上にそれを乗せることはできないでいた。


 私にはまだ、過去を捨てる決断ができなかったのだ。

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