第1話 転校生
「敦子! キャッチボールするぞ!」
私がグラウンドに入るやいなや大声が轟いてきた。
声のする方を見ると、静江さんが既に着替えて準備万端で待ち構えていた。かたや私はというと、登校してきたばかりでまだ制服姿のままだ。
あの野球部のユニフォームを纏った長身の女性は山中静江さん。朝から元気な人だ。
セミロングのライトブラウンの髪が太陽を反射していて美しい。
美しい……のだが、その言動や性格のせいでどうしてもそういうイメージがつかないのが勿体ない。そんな彼女が何を隠そう、わが野球部のキャプテンなのである。
「私、まだ制服なんですけど」
「なら、まだ誰もいないしそこの木陰で着替えてこい。私が見守っててやるから」
「見守らないで見張ってて下さい」
朝練だからユニフォームに着替える必要もないので、すぐにジャージに着替え終えて髪をポニーテールに結った。
私は野球部の部員だ。
それも女子野球ではなく硬式の高校野球。マネージャーではなく選手として。
私が中学生の頃、高校野球規定の改変が行われた。その一つが、女子の公式戦参加許可、というものだった。
昨今、ごく僅かな人数ではあるが、女性のプロ野球選手が現れるようになってから、高野連も女子に活躍の機会を与えようという方針になったらしい。
肩が大体温まると、静江さんは腰を下ろしてキャッチャーミットを構えた。
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朝の教室は騒がしい。
別に大声を張り上げているわけでもないが、これだけの人数の話し声が集まれば、かなりの音量になる。
騒がしいのは割と好きだ。いくつもの音が混ざり合って、何とも付かない「騒音」というものが生まれる。
私はそういった騒音のある空間の方が集中できるのだ。
私が頬杖を突きながら虚空を見つめていると、視界に一人の生徒の姿が映った。名前は覚えていない。
というか覚える気もなかった。
「あの……佐山さん」
声をかけたのは真面目そうな感じの女子で、手にはプリントを持っていた。
「今日の昼休み、図書委員会あるから。はい、これ」
「あ、うん」
受け取ると、そこには図書委員会の時間と場所が印刷されていた。
そういえば目の前の彼女はクラス委員長だったと思い出す。けど特に親しくする予定もないので、また頭の片隅にしまう。
どうせ一年経てばまたクラス変わるんだから。
私は目を閉じた。視覚を遮ることで、逆に聴覚が冴えてくる。今までも聞こえていた騒音がさらに大きくなった。
チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まった。
しかし担任が教壇に立ってなお、クラス内の騒音は鳴り止まない。担任もそれを理解しているのか特に何も言ってくる様子はない。
「あー、皆突然でびっくりするかもしれないけど、転校生を紹介する。入ってきなさい」
担任が空いている扉の向こうを見ながら言うと、その転校生が教室内に入ってきた。
私はちらりとその姿を見た。黒髪のショートヘアが良く似合う、可愛らしい感じの女生徒だった。
「安達奈々といいます。九州から来ました。よろしくお願いします」
彼女はぺこりとお辞儀をして席につく。ちなみに、席は私のすぐ後ろだった。
ショートホームルームが終わってすぐの休み時間。
一時間目の授業の教科書を出してからいつものように周りの騒音を聞いていると、転校生への質問攻めが始まった。
席のすぐ後ろでやられるものだから、その内容は嫌でも耳に入ってくる。
安達奈々、十六歳。誕生日は二月十日。今回の転校は親の仕事の都合という理由からで、ここに来る前は福岡に住んでいたらしい。
一人っ子。シングルマザー。趣味は野球。向こうでは野球をやっていたらしく、この学校でも野球部に入る予定だそうだ。
……よくもまあ、たった五分間の休憩でここまで聞き出したものだ。
もしかすると、私がこのクラスの中で一番良く知っているのは転校生である彼女かもしれない。