とある荒野で
「はぁっ……はぁ、はあっ……!」
肩から二の腕にかけて紅の血を流し、荒野をただひとり駆けるのは、まだ年端もいかない小さな幼い娘です。
見渡す限り、荒野の赤い地面。遠くの方で、微かに硝煙があがっています。
もともとはとても上等なものだったと思わせる純白の服は、肩から裂け、真っ赤な血に染められてしまいました。肩から覗く白い肌は、生まれてこのかた、太陽の光を知らなかったように見えます。
人買いしか通らないこの荒野に、一体何が起こって幼い娘が来なければならないのでしょう。
今日はまだ、遠い西の果てでひとりの良き王が亡くなる、少し前。
ひとつの大帝国が滅んだ日です。
そう、先ほど、歴史が大きく変わる、そしてやがて、大陸中を震わせることになる大事件が起こったのでした。
不意に少女は立ち止まり、後ろを振り返りました。何もない、宙の一点を見つめ、まるで怯えるように、少しずつ後退しています。
「マー、キュ……リー……ごめ、んなさ……」
大切なひとの名を呼ぶ、掠れた声。
意識が途切れ、まるで人形の糸が切れるように、少女は荒野に倒れこみました。
見渡す限り、荒野の赤い地面。遠くの方で、微かに硝煙があがっています。
そして静かに、人買いの近づくひづめの音が、遠くから響いてきていました。
***
「おっ、これは上等じゃねーか……」
まるで道端で小銭でも見つけたような具合に、男は荒野の少女を鞭で絡め取りました。
人を人とも思わない、その所業。
「マードが滅びたってんで来てみら、手柄だな。どっから流れてきたかわかんねぇが、こりゃ高貴な貴族のタマかもしんねぇ……! へへへ」
串刺し王の、滅びの知らせを受けて、難民を漁りにきた人買いでしょう。
黒馬に乗る男は、じっとりと少女の全身を眺め回しました。そして、後ろの荷台に少女を放り込もうとした、その手を止めます。
大事な商品だ、傷つけるわけにはいかないと思い至ったように、小脇に大事そうに抱えました。
数百年の歴史を持つ、大帝国マード。
最近の風の噂では、串刺し王の気まぐれで、おととい、十六人もの罪なき人々が虐殺されたといいます。
そして今日、帝都サムハルより、血と怒りの匂いが漂ってきます。
人買いは足音薄く、荒野を駆け抜けて行きます。腕の中には、幼い少女。根城へ向かうのでしょう。
こうなっては、もう。誰の救いの手も少女に届きません。
ここは帝都の郊外です。
見渡す限り、荒野の赤い地面。遠くの方で、微かに硝煙があがっています。