とある優しい国で
「あーもう、めんどくせェ」
真っ黒装束に身を包み、腕を頭の後ろで組む、不機嫌を隠さない青年が王宮から歩いてきます。
カッカッと音の鳴る、異様に大きな足。ときどき覗く鋭い眼光、左頬にするりと伸びた前髪。それが彼の、トレードマークのようです。
今日も、どんよりとした雲がかかり、赤月ののぼる、いつもと変わらぬいい天気です。
その青年は、見るところ、そんな年かさがあるようには見えません。王宮に入れる身分にも見えません。
王宮に一体なんの用があったのでしょう。
「ったく、王もよ、旧友だからってなんでも頼んでくれるなよ。しかも、次期王様探しダァ? そんな大役をただの友人ごときに頼んでいいのかよ」
ああ、そうでした。この国の国民は年を取らないのでした。姿も生まれたときのままです。
この国では、男と女の間から子が産まれるのではなく、皆、国王の一部から生まれるのです。
ただし、国の中でただひとり、まさにその王となった国民だけ、王になったその瞬間から年を取り始めるのです。
今日は、そんな王様の亡くなった日。
この青年は先程、唯一無二の親友の死を、見守ってきたところなのでした。
「しかも、心と外見の見合った、自分よりいい王様だって? はっ、都合良すぎだろ」
青年の周りに誰かの気配はありません。青年はひとりで、宙に向かって喋ります。
何か煮え切らない想いを、言葉にぶつけるように。
「……外見なんて、関係ねーよ。お前より、いい奴なんて、どこにもいねーよ……」
ついに青年の足は止まり、空を見上げました。後ろで組んでいた腕も、前に組み替えます。
「…………」
何も言わない彼は、じっとそのまま、しばらく立ち続けました。
その腕の下で、静かに、雫が流れていきました。
***
先王が亡くなってから、2年が経ちました。今日は、2年前の先王が亡くなった日ちょうどです。
今日も、どんよりとてもいい天気です。
あの青年は、2年前から姿は全く変わらないまま、丘の上の先王のお墓の前にいます。先王は、藤色の花が好きな方でした。青年は、王の部屋からも見えた、中庭で摘んだ小ぶりの花を、墓の前に供えます。
「じゃあ、そろそろ行ってくっかな」
先王の死の知らせは国中に広がり、国民に大きなショックを与えました。しかし、やがて受け入れられなかった死も、国民たちに浸透してゆきました。
青年も、2年の間にその国の幹部となりました。
先王の死からしばらくすると次の王の話も表に出るようになり、2年もすると、様々な次期国王候補の情報が青年の元に集まりました。
この国では、全ての国民が国王の子であり、国王になる資格があるのです。
「セタ・セオトラント様。ご出発のお時間です」
「ああ。もう行く……」
青年もといセタ様は、次期国王候補の情報を元に、次期国王を決める旅に今日、出発することに決めました。
そのために、先王の、王としての最後のお別れをしに来たのでした。
「セタ様。本当に誰も付けずに、おひとりで行かれるのですか」
セタ様の良き友人にあられます、ヨーンス様が、セタ様を心配なさっています。
セタ様は、いかにも次期国王探し、という体で行くのではなく、旅人を装い、リアルな候補たちに触れ、その上で見極めたいとお考えなのでした。
「まぁな。それに、あいつの遺言のおかげで、今年は異常に候補が少ないらしいし」
やれやれと首を振ったセタ様は、少しだけ寂しそうに笑いました。
ヨーンス様は、了解したというように軽く頷きましたが、顔は強張ったままです。
「いつでも援助いたします。気をつけて、無事に国王をお連れ帰ってください」
「すまない。頼む。俺が留守の間の国のことも。つーかお前、出発の前くらい、他人行儀やめろよ」
「いえ、あぁ……そうだな。……といっても何を言えば……まぁ、またな。……僕のことは心配しなくていい」
「ふっ、おい、他に言うことねーのかよ」
セタ様は、荷物を背負いなおし、墓前から立ち上がりました。
東の彼方から、からからと冷たい風が吹いてきて、セタ様たちの服の裾をはためかせました。
「まずは東に行こうかな」
「ここは西の端なのだから、何処に行くにも東だろう」
「そりゃそうだな」
口調は軽いお二人ですが、どことなく不安そうな面持ちでいらっしゃいます。
国は広いようで狭いのですから、旅なんてきっとすぐ終わってしまいますのに。
ですが、冒険には危険がつきものだと、身に染みて解っているふたりなのでしょう。
暫く見つめ合い、親友の姿をかたく目に焼き付けようとしています。
親友を失ってしまう苦しみを、二度と味わいたくないのでしょう。もう、二度と。
「じゃあ、行ってくっわ。またな」
「……お気をつけて。必ずまた会おう」
「おう」
***
醜い。
それが、この国に課せられた、運命です。
どれだけ心が清らかで、どれだけ人に優しく手を差し伸べることができても、この国の住民は、皆、怪物。
頭や手足は異様に大きかったり、身体の随所にはあってはならないものがあったりする。醜い彼らは、満足に微笑むことすら出来なかったのです。
隣国からはいつも、親愛の握手ではなく、冷徹な討伐隊が差し向けられます。
それでも国民は、挫けませんでした。
清き心を忘れず、万人に等しく優しい王を慕い、慎ましやかに暮らしてきました。
とある国の内情を憂える王は、王になってから八度目の討伐隊が来たとき、ついに決心なされました。
こんな王が立つ国のままでは、民がかわいそうでならない。次期国王は、隣国との和解をはかることのできる者にしよう、と。
『身も、心も清らかな、民にも、そして隣国にも慕われる、愛らしい者を。自分より、もっと良い王になれる者に、次期国王を任せよう』────と。