新世界
新世界...ある人は200km/hを堺に世界は変わるといいます。100の桁が1から2になる。たったこれだけの間断のない世界になんの変化があるのでしょうか?
「ほらよ」
久方ぶりの愛車のキーだ。
四月のまだ冷ややかさの残る春の夜風に吹かれて凄みの増した愛車を目の当たりにした俺は、感嘆の声すら出なかった。
ワイドボディキットによって、ロー&ワイドにされた我がインプレッサはどこもかしくも機能美溢れる最強の峠マシンに仕立て上げられていた。
足回りにはワイド化されたボディに見合うような太いSタイヤとそれを支える頑丈で軽量なマグネシウム合金の6スポークホイールがオフセットされ、そのホイールから覗くブレーキにはいかついドリルドディスクと深紅に塗られたブレンボのパッドが奢られそのマシンの性能を雄弁に語っていた。
車内を見ればラリーカーばりのロールケージと計器類が顔を覗かせる。インパネはほとんどかつての面影はなかった。ついでにリアシートは姿を消していて、その場所はドンガラ状態だった。
メーター周りはセンターに10000rpmスケールのタコメーター、その横に配置されるのは2.0bar.まで掘られたブースト計、センターコンソールには水温、油温、油圧の3連メーター。そして、メインパワースイッチ、イグニッションスイッチ、オイルポンプスイッチと言ったスイッチ類が星のように鎮座していて、同時にこのインテリアには少し得体の知れない違和感があった。
後ろにまわると青く焦げ目のついたチタン製マフラーがリアバンパーにめり込んで存在感を放っていて、テールスポイラーは一体型だが、形状そのままカーボン製に変えられていた。
レカロシートに滑り込み、エンジンを始動させる。緊張のひと時。キュルキュルというスターターの音と共に目覚めたボクサーエンジンのアイドルは3000rpm。このとき、違和感の正体に初めて気がついた。
「お前...これ...」
ガレージの中へ駆け込むと、そこにあるべき「戒め」はもうその姿を消していた。
"ガチャ"
ボンネットの開く音がした。友樹が覗いていたのだ。なんとも寂しそうに、別れを告げるようにも、対話をしてるようにも見えた。
「友樹...。」
小刻みに震えるそのエンジンを彼はそっと眺めていた。そして、小さな声で
「Danke schön」(ダンケシェン)
そう言うと、静かにボンネットを閉めた。
「さて卓也!テストと行くか!」
友樹はテンションをガラリと変えて助手席に滑り込んだ。
「お、おう」
しばらく何が起こったのかわからなかったが、置いてかれまいとコクピットに滑り込んだ。
サイレンサーを付けていない近所迷惑極まりないインプレッサは人気のないシャッターのトンネルを峠へひた走る。
歩道がなくなり、道が蛇行しはじめると、タイヤを暖めるため少しずつペースを上げていく。エンジンのトルクは凄まじく、6速化されたミッションは少しの直線で4thに入り、車体全身から生み出されるトラクションはこの荒れた路面をもろともせず車を前に進めて、アクセルを踏めば即座に背中を蹴飛ばされた。そんなもんだから、急勾配である筈なのに、気づけばレブリミットの9000rpmに届いていたなんてザラだった。そして確信した。
速い!
あっという間に頂上まで来てしまった。
頂上の記念館の駐車場は時間がAM3:30なだけに、通常誰もいないのだが、そこにたった1台、車が止まっていた。
黄色のその車の車種は見る限りエボIX。こちらもワイドボディキット化され、いかつい存在感を放っていた。
「澤田クーン、遅いじゃないのー。」
ランエボから降りてきた中年男性はそう言って友樹に駆け寄った。
「でー、この人が飯田クン?」
お察しの通り、飯田クンとは飯田卓也、俺のことだ。
「すいません、セットアップ終わらなくて。
で、そうです、こいつが飯田卓也です。吉岡さん、本当に勝てばLUCIORAに出していただけるんですよね?」
勝つ?ルシオラ?はて?何のことだ?
「ああ、本当だよ。ただ、この車は峠スペシャルのウチのデモカーだし、ボクも第三回大会の優勝者だからね?今回の大会の出場者の下位の奴らには勝てる自信はあるよ?
つまるところ、君らに勝機があるとは思えないけどな。」
この男の手の豆を見る限り、男の腕は保証されたようなものだ。異彩を放つあの車もタダモノじゃない。このインプレッサと同等、いやそれ以上。控えめに言って化け物...と言ったところか。何が賭けられているかはわからない、ただ勝負に望む以上、負け戦をしに行くほど落ちぶれてはいない。ただ、これまで幾重のバトルを経験したつもりだが、負けることではなく、相手そのものが怖い、そう思ったのはこれが初めてだ。まるで自分の存在意義すら揺るがされかねない、そんな感覚に襲われる。
「それでもいいです。わかっています、申し込み審査もとい仕掛けたバトルに負けた場合二度と大会には出れないこと、観戦すら許されないこと。リスクはわかっています。確かにコイツ自体は何もわかっていません。もしかしたら今夜負けて尚、将来大会に出たいなんて言い出すかもしれません。でも彼は、飯田は今夜やらなきゃダメなんです。過去を知り、自分の運命を知るために。」
まるで訳がわからないが、男の表情は一気に硬化する。冷たく、険しい氷山のように。
「始めよう。」
重く、酷く冷たく無機質な一言を放ち、吉岡はランエボへ歩き出した。
"チュワーン"
未だかつて聞いたことのない音を奏でランエボは目を覚ました。無機質で機械的なそんな音だ。
「見てのとおりあのランエボはタダモンじゃない。4G63はツインチャージャーで過給されて650馬力、75kgf/mを発揮する。」
「ツイン...チャージャー?」
新しいチートに遭遇したときのような落胆感に似た何かが自分を襲った。諦め...とでも言おうか。
「ターボとスーパーチャージャーが一緒に付いてるんだ。下の回転数はスーパーチャージャーが、高回転はターボが中心になって過給して相互の弱点を打ち消してくれるから、エンジンには非の打ち所がないと言ってもいい。コースが下りきったところにあるパイロンでターンして登りきったところがゴールラインっていう上り下り混合コースだから、おそらく、無難に登りで仕掛けてくるはずだけど、かと言って下りが遅いかと言わればそうではないから、こちらは終始全開で行って運次第だな。あと、俺は乗らないから。」
スタートラインにはオレンジの街灯に照らされる黄色に塗られたランエボが今か今かと待ち構えていた。
3000rpmの高いアイドルを手のひらで感じながら車を右横につける。
吉岡は手にグローブをはめ込んで、まっすぐに街灯の照らす先の闇をただ見ていた。
いよいよスタートだ。友樹が合わせる。
「10second Before!」
集中...集中...エンジンのアイドルも、友樹のスタート合図も、時も、全てが遅く進む。
5ー
クラッチを切りギアをローへ押し込む。
4ー
息を長く吐いて、アクセルを踏む。タコメーターは6500rpmまで駆け上がり、エンジンは唸りをあげる。
3ー
その狭い二車線の峠道で、横並びの二台の音はひしめき合った。寄り添う事なく、ただひたすら交わりぶつかったのだ。
2ー
車内にもツインチャージャーの独特な作動音が侵入してくる。
怖い。車へ乗り込む彼への畏怖を今ここに思い出す。
1ー
ダメだ...集中しろ...集中...!
GOー!!!
友樹が手を振り下ろすと同時に二台は地面を蹴りつけた。4本の短い漆黒のブラッドマークが路面に刻まれた。
強烈な加速Gでシートに磔にされる。なんとか握るステアリングで1ヘアまでマシンを導く。その間の直線区間はほぼ互角。しかし200km/hをゆうに越すトップスピードはかつてとは全てが違った。4thを吹ききってトップスピードは235km/h、そこから70km/hまでフルブレーキング!ギアは3rdへ。鼻先1つ前に出てターンイン。温まりきっていないリアタイヤをあえて滑らせ外側を牽制しつつ、ついでにクラッチキックでバーンアウトを試みる。ドアtoノーズの状態で1ヘアをクリアして連続コーナーへ。踏みっぱなしの車間30cmの戦いが展開される。続くヘアピンのアプローチでエボが離れて、軽量&ウェルバランスなインプレッサがテンポよくヘアピンコンボをクリアしていく。ランエボとのアドバンテージは徐々に開き、心に周りを見る余裕ができたほどだった。
エンジンはターボの存在を忘れるくらいのレスポンスで微妙なアクセルコントロールをものの見事に反映してくれる。だが、4つのタイヤ全てが加速に徹してクリアする左90°コーナーでは、そのトルクがターボを主張した。
"継ぎ目"までの距離が縮まってくる。それにつれ、そのあまりに大きいアドバンテージに不安がつのった。嵐の前の静けさ...とでも言おうか、ルームミラーを50m後ろから照らすランエボのヘッドライトからは何も読み取れず、わからないという恐怖ばかりが思考をかき乱した。低速セクションに一旦の別れを告げ、"継ぎ目"へのジェットコースターをくだる。マシンは加速し200km/hオーバーへの世界へまた足を突っ込んだ。200km/hで2m右を流れるガードレールが肝を冷やす。
そして、背後でスーパーチャージャーが存在を謳った。
宿命のライバル対決にしてみました。
まぁ、両方結構チューニングしてる設定ですけどwツインチャージャーとか(笑)