Squeal and Scream
「親父、俺も母さんも元気にしてるよ。Xも元気だ。ピーキーなのも相変わらずだし。だから心配しないで。まだ二人ともそっちにはいけなそうだから、今のうち一人じゃないとできないことしててね。」
真夏の太陽が身体を焦がす。墓参りを済ますと、木陰の車へと足早に戻った。ドアをあけ、エンジンに火を入れる。スターターのキュルルルと言う音の後に、エンジンが些か盛大に目を覚まし、やがて冷気がエアコン口から身体を冷やした....
とはならない。この手の旧車では当たり前なのか、このX限定なのかはさておき、とにかく、冷気のお出迎えはないのだ。走り出して窓をあけても熱風が車内を謳歌するだけで何一つこの身体を冷やしてくれるものはない。否、エアコン口からの微々たる冷風が気休めの涼しさは与えてくれる。が、ナイロン製のシャツでも着ようものなら地獄絵図そのものだ。母さんのエアコンのガンガン効くエアウェイブで来れば何一つ不自由しないのは確かだが、親父の命日だ、親父が愛してやまなかったこのXでくるのが、筋という物だろう。
そうこうしているうちに家に着く。
「ただいまー」
この言葉を発した後、居間のエアコンのスイッチを入れ、乾いた服に袖を通し、冷凍庫からラクトアイスを取ってきて、冷えた居間でトドと化しながらアイスを嗜むまでのこの流れが俺にとっては1つの動作だ。
テレビを付けると、昼下がりの一息つきたいマダムへ向けたショッピングチャンネルが宣伝をしていた。が、真珠のネックレスなどに興味の欠片もないのでチャンネルを回した。あるテレビ局で手が止まる。
「あの事故からはや20年、あの日起こったことの全て」
20年前の今日 東名高速道路
「お父さーん、つまんないよー。早く行こうよー。」
当時8歳の俺はこの長旅に心底疲れていたらしく、飽きも飽きて駄々をこね始めていた。
「捕まっちゃったらもっとつけないぞー。」
「えー、やーだー」
「じゃあもうちょっと待ってなさい?もうちょっとで着くから。」
母が見かねて援護する。
「ちょっとってどれくらいー?」
「そうだなーあと1時間くら」
「あなた!前っ!」
突如として母が叫ぶ。その場を支配する緊張感に時までも遅くなる。その声から直ぐに俺はシートベルトに圧迫された。そして
"ガシャーン"
何かが車の右前ピラーをへし折り、父を潰した。朦朧とする意識の中で記憶しているのはここまでだ。ここから担架に乗せられるまで記憶はない。
これが、20年前の記憶の全てだ。薄れることのない衝撃、その場を読み込めないほどの緊張感。全てを記憶している。残酷なほどに。
TVの上空からの映像ではその惨劇が映し出されていた。飛び散るガラス片、車のパーツ、トレーラーのダブルタイヤ、右Aピラーのへし折れたレガシィ。ペシャンコの小型車とそれを衝いたと見られるSUV。黒焦げのバイク。壁に刺さるセダン。
TVの伝える事後調査での全貌は
整備不良を抱えた過積載のトレーラーが法定速度を大きく超えて左コーナーに差し掛かる。固定が甘い過積載の大量の荷物が右側へ偏り、車体は大きくロールする。そして、それに耐えかねた右後輪の車軸はへし折れてダブルタイヤはなぜか速度を保ったまま中央分離帯を超え反対車線へ。そして偶然走っていたレガシィのAピラーと親父を押しつぶしてバイクにヒット。ライダーは投げ出され地面に叩きつけられる。叩きつけられたライダーをよけようとしたシティは左に急旋回後、壁を避けようと右にフルステア。膨れ上がったヨーはシティのコントロール能力を奪い、スピン。横を向いたシティの横腹にパニックに陥ったパジェロが相対速度90km/hで突っ込んだ。突っ込まれたシティはくの字に折れ曲がり、横転。ドライバーは即死した。
とのことだった。正直、あの衝撃や惨状を伝えるには余りに事足りぬということが身に染みた。そして心を悲しみに染めた。
親父とライダーとシティのドライバーの3人の命を奪ったこの事故はこれで幕を閉じた。悪魔のしわざなのか人の災いなのか。
ただ、タイヤか人かわからぬ悲鳴を今でも覚えている。
ああ、あの瞬間が頭の中に反芻する。
「夫は、夫は助かるんでしょうか。生きていますよね?」
担架で救助されたとき、うろ覚えだが母が泣きすがっていたのを覚えている。言葉をためらう隊員の反応で全てを悟った母は、その場に慟哭と共に崩れさった。
過去と向き合っているといつの間にやら西日傾く時刻になっていた。
一年でこの日だけ。いつ何時忙しなく動いている母が仏壇の前で不動の岩と化す。
これが何を意味するかというと、"夕飯の支度しろ"だ。
それを思い出すと、酷く億劫になった。
「はあーあ。買ってこよう。」
大きくため息を漏らすと掛けてあるキーを手に取り、バケットシートに滑り込んだ。
「あーあめんどくせぇ」
キーを捻るといつもの小煩いエンジンと小刻みに身体を揺さぶる振動が身を包む。なんだか、"おい、こういう時くらい親孝行せんか"と親父に説教されている気がした。
「さーせんしたぁ」
小さくそう呟くとギアをローに入れた。