第7話 痛む上に塩をなんとやら
五人が両手を広げて横に並んでも、足りないほどの広さに由貴たちは圧倒された。
右手側の壁にはギターやベースがびっしりと並び、扉から見て奥の方にグランドピアノが配置され、その手前にドラムセットが二台配置されている。左手側はガラス張りになっており、音響や録音機材などが設置されたコントロール・ルームが見えた。
部屋の隅にはアンプなどの機材も置かれており、雑然とした印象を与える。
(俺の部屋の倍以上あるな。畳み十二畳以上ってとこか? どんだけ広いんだよ、この家はっ!)
「凄い……」
「確かに、これは、凄いです」
雛鳥と春奈が呟く。
「ごちゃごちゃしててごめんね。でも機材は揃ってるから、ベースとギターは好きなものを使ってちょうだい。あと、足元はコードだらけだから気をつけてね」
柚子が注意するように、縦横無尽にコードが部屋の床を覆うように至る所から伸びていた。目だけでどのコードかを辿って行っても、途中でコード同士が絡まりあっているため、どの機械に接続されているのか把握するのは難しいだろう状況だ。
由貴たちは足元に注意してスタジオ内へと踏み込む。
踏み応えのある硬いコードや細いコードなどに足を取られないよう慎重に足元を見ながら、各々の演奏楽器の所まで歩いていく。
由貴と雛鳥、春奈はそれぞれギターとベースの置いてある壁際まで移動し、柏木はさっそくピアノの調子を見るために鍵盤を鳴らした。柚子はドラムの調子を見ながら、さり気なく由貴の様子を気にかけている。
由貴は雛鳥と相談しながら、各々のギターを選んだ。振り返ればベースを抱えた春奈が既に指定の位置を示す椅子の前へと向かっていた。
スタジオの一番奥にピアノがあり、その手前にドラム、そして右から雛鳥担当のギター、中央にコーラス兼ギター担当の由貴、ベースの春奈という一般的なバンドと同じ位置に目印である椅子が置いてある。
「広いよねぇ。こんな大きなスタジオがあるんだし、柚子の両親ってバンドでもやってるのかな?」
そう話を振る雛鳥に、由貴は苦笑した。
(ここってやっぱり『なずしらゆさ』のためのスタジオなんだろうな)
ちらりと柚子を見れば、にっこり笑顔で返される。
由貴は何も見なかったことにした。
「そうだな……ね。でもタダでこんなところ使えるのは、ラッキーだよ、ね?」
男口調になりそうなところを由貴はギリギリで誤魔化す。自然に話せず言葉使いに注意しなくてはいけないことが、由貴を精神的に疲れさせていた。
(喜ぶべきことは鏡がないから、自分の女装姿を直視しなくていいことだな)
それでも足元を見れば短いスカートが目に入り、顔に茶髪の髪が掛かる。
女装に慣れてきたことを喜ぶべきか、慣れてきてしまったことを涙するべきか。由貴は心の中で真剣に悩んだ。
「由貴はさ」
「なに?」
突然の会話に由貴は動揺するが、顔には一切ださぬよう耐え切る。
「中学の頃、バンドでもやってたの?」
雛鳥の言葉に由貴は首を傾げた。
「バンドはやってないよ、ギターを趣味でかじってただけで……なんで?」
「あ、そうなの? 柚子が連れて来たから、てっきり中学でバンド組んでたのかと思った」
何故、柚子が連れて来たからと言ってバンドを組んでいたことになるのだろうかと由貴は首を傾げた。
そんな由貴の様子に、雛鳥は笑って話し出す。
「このメンバーは皆、柚子がスタウトしたんだよ」
柚子、柏木、春奈を順に見て、雛鳥は由貴へと視線を戻す。
「あたしは中学最後の文化祭で解散ライブをやった時にスカウトされてね。あの時は寂しくて残念で、でも達成感でもうすっごく泣いちゃってさ」
「続けなかったの?」
「皆違う高校だったし、ストリートとか学校外で会ってまでやる気はなかったみたい。情熱打ち込んでたのはあたしだけだったからね」
(それって、寂しいな)
由貴は黙って雛鳥の話に耳を傾けた。
ふと雛鳥に気づかないよう由貴が周囲を確認すれば、ピアノを弾いていた柏木やベースの調節をしていた春奈、ドラムの確認をしていた柚子までもが雛鳥の話に聞き耳を立てていた。
ただしバレないよう三人ともが楽譜を持って読む振りをしているが、柏木の持つ楽譜だけ反対になっていた。
「ボロボロ泣いてたのもメンバー内のあたしだけで、皆は受験前に肩の荷が下りたって感じの清々しい顔してたのよ。何だか居た堪れなくなって会場を飛び出した時に後ろから声を掛けられてね」
「泣いてたのに?」
「そう、泣いてたのに。涙と鼻水で顔ぐちゃぐちゃでさ、もう振り向くのがつらいわ、でも無視も出来ないわで、あのタイミングはないわーって今でも思うよ」
思わず由貴は、柚子へと視線をやる。
柚子が気まずそうに天井を見つめていたので、由貴は何も見ていないふりをした。
「もうどうしようかと思ってたら、あたしの目の前に回り込んで柚子が言うのよ。『貴女の才能はここで終わるべきじゃない。私と一緒にバンド組みましょう!』って」
「初対面で!?」
「そうそう! もう寂しいやら残念やら泣きすぎやらで頭こんがらがってる時に、急にそんなこと言うんだもん。驚いちゃって」
「なんて返した?」
「誰!? って返したわ。間髪入れずに『更科柚子よ!』なんて言われた時は、ああこの子、大物だって思ったわねー」
「あー……」
由貴の脳内想像に、目を真っ赤にした雛鳥の前に堂々と仁王立ちする柚子の姿がありありと浮かんだ。
両手を腰に当て、背筋を伸ばしての堂々とした仁王立ち。
(格好いいかもしれない)
そう考える由貴は、自分が毒されてきたことに気づいていない。
「まあ、そういうわけでここにいるんだけど、由貴はどうなのかなーてね」
「今日たまたまぶつかったのが縁で、何でかこういうことになった……のよ。でも雛鳥はすごいね」
「なにが?」
「だって話にあったやり取りでスカウトに応じたわけだ……でしょう。ある意味、雛鳥も大物だと思うけど」
由貴の脳内では、未だに仁王立ちした柚子の姿が浮かんでいる。
そして自分がここにいる理由となった先ほどの、柚子とのファーストコンタクトを思い出し由貴は心の中で落ち込んだ。
(出来れば俺も雛鳥みたいなやりとりが良かったな)
それでも女装をする結果は変わらないことに今の由貴は思い足らなかった。
「そうかなー。でもあの状態であたしと同じやりとりしたら、ほとんどの人はOK出すと思うけどなあ」
「そうかもね」
雛鳥の言葉に、由貴は頷く。
(確かに柚子って漫画とかで言うカリスマみたいなのがあるような気がする)
「でも泣いてるところは勘弁してほしいけどねー」
「そうだね。お……わたしも泣いてる姿は見られたくないなあ」
一生の恥である女装を晒しているのだから、せめて泣き姿くらいは隠しておきたいと由貴は思う。
それと同時に、
(近いうちに泣き顔も見られるような気がするのは、何でだ?)
根拠のない不安感に由貴は腕を擦った。
「ところでそろそろギターは決まったかしら?」
「えっ、あ、ごめん!」
「すぐにチューニングするから!!」
タイミング良く――実際に聞く耳を立ててタイミングを計っていたのだが――柚子が声を掛けてきた。
その言葉に由貴と雛鳥はあわてて選んだギターを手に取り、指定の位置まで駆けて行く。
だが、
「うわあっ!」
急いだ所為で足元が疎かになり、由貴はコードに足を引っ掛け体勢を崩した。
そのまま近くにいた雛鳥を巻き込み、
「きゃあ!」
上に伸し掛かるように、転倒した。
ふに。
むにゅ。
(……柔らかい?)
思わぬ感触に由貴の思考は一時停止するが、それが何であるか由貴は瞬時に理解した。
同時に間違いであってほしいと思う。
だがもちろん、由貴の希望は叶えられず、想像通りのものが顔に当たっていた。
雛鳥の胸、である。
下敷きにしてしまった時、偶然にも顔が胸の位置に来てしまったのだ。
由貴は大慌てで仰け反るように身体を起こした。
「ごっ、ごめっ!!??」
謝ろうと声を上げたところで、雛鳥の訝しげな顔つきに気づく。
由貴はどうしたのかと首を傾げながら雛鳥の視線を追えば――
手のひらは由貴の詰め物で偽装した胸に触れていた。
「うわああああっ!!」
驚きのあまり、由貴は勢い良く身体を起こして雛鳥から飛びのいた。
「由貴ちゃんて初々しいねぇ。女同士で胸触っちまっただけで過剰反応しすぎだっつーの」
「私は同性でも胸は触られたくありません」
「えー、でもよ、体育の時とか胸触りっこしたりしないか? 特に巨乳の子」
「しません」
「春名ちゃんはクールだな。しかもビューティーだぜ」
「ありがとうございます」
そんな柏木と春奈のやり取りも、由貴と雛鳥の耳には届かない。
由貴は青ざめた顔で金魚のように口を開けては閉じてを繰り返していた。
床から立ち上がった雛鳥の視線も、疑惑を帯びたまま。
両者の間に言い知れぬ沈黙がしばし流れ--雛鳥が口を開く。
「由貴、君って本当に女の子なの?」