第3話 進むも退くもなんとやら
学校を出てから歩いて五分のところに、駅がある。
都市開発計画のお陰で近年、駅周辺は急速に発展していた。駅内外に都内でも有名な店がこぞって新規オープンし、それを目玉に数多くの戸建てやマンションが立ち並ぶ。
由貴と柚子が歩いているのは、開発後に建設された高級戸建ての立ち並ぶ地区だった。
駅周辺は少しの隙間ももったいないと言わんばかりに密集した建物が立ち並ぶのだが、この地区は庭付きの戸立てがずらりと並ぶ。
密集した建物群から一変した広い家々に、由貴は自分が酷く場違いな場所にいるような気持ちになった。
舗装されたての綺麗な道路に、青々とした木々が立ち並ぶ。ランニングコースには最適かもしれないが、生活感のないただただ綺麗な町並みが、由貴を酷く居心地の悪い気持ちにさせた。
「この辺、なのか、更科さんの家があるの」
気まずげに由貴が問いかける。
「そうよ、こんな悪趣味なところに家を買っちゃったの。確かに私のことを考えて設備の充実した家を選んでくれたのは感謝してるけど、常識的に考えてモデルルームが立ち並んでるような家に誰が住みたいなんて思うのかしらね?」
周囲に立ち並ぶ高級感溢れる家々を、柚子は悪趣味と言い放つ。
思わず由貴がぽかん、と目を丸くしていると、
「あと私のことは柚子って呼んでちょうだいね、由貴。そうじゃないと私だけ呼び捨てって変じゃない」
そう言った柚子の頬が朱色を帯びるが、由貴は気づく余裕もなく壊れた機械のようにコクコクと頷いた。
しばらく歩き立ち並ぶ家々の中で一際大きい家の前で、柚子は立ち止まる。
「ここよ」
そこは豪邸、という名前がぴったりと当てはまる家だった。
洋風建築の外観はおそらく二階建てで、車が二台駐車されていた。庭はガーデン風の作りになっており、花々を愛でながらお茶が出来るようにか白いテーブルと二脚の椅子が置いてある。
白い外壁と赤い屋根作りの建物は、豪邸は悪趣味という由貴の印象を覆していた。
装飾の施された門を柚子自身が開き、由貴へと振り返る。
「ここ!? ていうか、そういうのって自動で開かないんだ?」
由貴の疑問に、
「だって自分で開けた方が早いじゃない」
と、柚子は言った。
確かにそれはそうかもしれないが、と由貴は腑に落ちない気持ちで唸る。
インターホンを押して、お手伝いさんか何かが出てきて、
『お帰りなさいませ、お嬢様』
と声を掛ける様子がとても似合う豪邸なのに、とそこまで想像し由貴はため息をついた。
(俺より力の強いお嬢様って、どうよ)
思いはしつつも由貴は何一つ口には出さず、歩き出した柚子の後をとぼとぼとついて行った。
◆
外から見れば豪邸なのだが、中は想像していたよりも生活感があり由貴は驚いた。
まず天井の照明はシャンデリアではなく普通のシーリングライトであり、玄関ホールの飾りつけは手作りの小物がセンス良く飾られていた。
(豪邸ってシャンデリアじゃないんだ)
そんなことを思っていたからか、ついぽろっと「普通だ」と由貴は言ってしまった。
「どんな想像してたのよ?」
思わずもれた言葉に、柚子は呆れてため息をつく。
「まあ、初めて家に来た人は皆同じことを言うけどね」
「そうなんだ……そうだろうな。これ、手作り?」
柚子の言葉に納得しつつ由貴は玄関の飾りつけを指差した。
「母のね。そういうの趣味だから」
「へえ」
何がどうやって出来ているのか由貴にはさっぱり分からなかったが、何となく凄いものなんだろうという想像で指を引っ込めた。
「お帰りなさい、柚子」
パタパタとスリッパの音をさせて、女性が駆けてくる。
年の頃は二十代後半。黒く長い髪を真っ赤なリボンで結んだ姿が特徴的な、優しげな笑顔を浮かべる女性だ。
柚子からキツイ印象をマイナスし優しげな微笑をプラスすれば、彼女になるだろうというほど柚子にとてもよく似ている。
(お姉さんかな)
咄嗟に由貴はそう判断し、頭を下げた。
「初めまして」
「あらあら! 可愛らしいお客様ね。柚子が男の子を連れてくるなんて!」
「お母さん!」
女性――母親の言葉を遮るような柚子の言葉に、由貴は驚いて目を丸くした。
「お、お母さん? お姉さんじゃないの!?」
「あらまあ! そんな嬉しいこと言ってくれるなんて!!」
嬉しい、と柚子の母親は頬を染めて喜ぶ。その姿は二十代後半にも見えなかった。
「私、お母さんが二十五歳の時の子供だからね」
瞬きを繰り返す由貴に、柚子はぽつりと由貴にだけ聞こえる声でそう言った。
(二十五歳。つまり、今俺たちの年齢は十六だから……)
由貴は考えるのを放棄した。
世の中には知らなくていいこともあると、由貴が本気で学んだ瞬間でもある。
「そうそう柚子。もう皆揃って待ってるわよ?」
誰のことだ、と由貴が柚子へと問いかける前に、
「こっちが終わったらすぐ行くから、お茶出しておいて。由貴、こっちよ」
そう言って、靴を脱ぎ近くの階段を上っていってしまう。
由貴はあわてて柚子の母親に会釈をし、靴を脱いで後を追いかけた。
階段を上り、柚子は一番奥の部屋の扉を開ける。
広い室内にベッドと机、クローゼットとソファに小さなテーブル。
女の子らしいピンク色や可愛らしい小物類は見当たらないが、清楚な白と緑で統一された室内だ。
「えっ、ちょっ!」
「なに驚いてるの? ちょっとその辺で待っててくれる?」
そう言って、柚子はクローゼットを躊躇いもなく開けた。
バッ、と音がしそうなほどの早さで由貴は視線を反らす。
(普通、男を部屋に入れて尚且つクローゼットを開けるか!?)
ドキドキと早鐘のように鳴り響く鼓動を落ち着かせながら、由貴はなるべく部屋の中を見ないよう視線の先にあった窓に意識を集中させた。
微かに香る甘い匂いに、握り締めた拳から汗がにじみ出る。
(落ち着け、落ち着け、クールダウン、クールダウン、俺はやれば出来る。心頭滅却すれば火もまた涼しだ、これは試練かもしれないがレベル的には高くない。これを乗り越えれば俺の手には勝利が待ってるんだ。負ければ即地獄。ゲームオーバーリセットボタンなしなんだよ、落ち着け俺!!)
混乱のあまり既に自分が何を言っているのかも分からない。
そんな状態のまま由貴は、硬直したように窓だけを一心に見続けた。
「うーん、これなら着られると思うんだけど……さて、由貴、由貴?」
集中しすぎていた由貴の心が柚子の声で現実へ戻ってくる。
視線を窓から柚子へとやり、由貴は固まった。
柚子が持っていたのは可愛らしいデザインの服だった。
胸元に赤いリボン、ブラウスの襟には細かな刺繍が施され、袖にもフリルと刺繍がふんだんに使われている。
上着であるジャケットの丈は短いが、飾りボタンと校章がアクセントになっており、スカートは短めでギャザーがたっぷり入っており、歩くたびにふわりと広がるデザインになっていた。
全体的に可愛らしいデザインだが甘さの感じさせない女生徒の制服だった。
「それ、なに?」
「見て分かるとおりの制服よ。私が通ってた女子中の制服」
さらりと答える柚子に、由貴は自分の顔が盛大に引きつっているのを自覚した。
「そうじゃない、そうじゃなくて!」
「ここの中学ってエスカレーター式だから高校もこのデザインなのよね。違いはリボンじゃなくて、中学の時はネクタイだったところかしら。だから、これは私が着てたものじゃないから! 本当は高等部へ行く気だったから制服も作り直したんだけど、引越しのために進路変更して今の学校を受験しちゃったから、安心して一度も袖は通してないから」
そう言い切って柚子は手にした制服を由貴にずいっと突き出した。
由貴は思わず受け取ってしまった制服と柚子とを見比べる。
「これを、俺に、どうしろと?」
頭の中で本能が由貴に警鐘を鳴らす。
聞くべきではない、と。
それでも聞かずにはいられない衝動と間違いであってほしい懇願な気持ちから、由貴は最悪の選択をしてしまう。
由貴の言葉に、柚子は微笑む。
それはさながら悪魔のような笑み。
悪魔というものを想像でしか知らないが、今の柚子こそが悪魔であると由貴は確信した。
「着なさい」