第24話 仕上げがなんとやら
「それじゃあ、ライブ終了と成功を祝って、乾杯!」
『乾杯!』
かちんっ、と音を立ててグラスを合わせる。
由貴は全員とグラスを合わせてから、少しだけ炭酸ジュースを口に含んだ。
「カーッ! 最高にうめえなおい!」
「オヤジ臭いよ、柏木」
「頼んだのは烏龍茶だと思ったのですが、ビールを飲んだ仕事疲れの中年みたいです」
「うるせーよ! 春奈ちゃんだって同じ烏龍茶だろ!?」
「そうですよ。でもこの際、飲んでいるものは関係ないのではないかと」
「未成年のあたしたちじゃあ、お酒は飲めないもんねー。あ、ここのジンジャーエール美味しい!」
「ジンジャーかよ。オレ、生姜駄目なんだよなあ」
「私は生姜紅茶が好きです」
そんな賑やかな雰囲気の三人を見つめながら、由貴は隣に座る柚子へと視線を向けた。
口元にアイスティーの入ったグラスを当てているだけで、飲んだ様子がまったくないことに首を傾げる。
(何をそんなに悩んでるんだ?)
目の前にある壁をひたすら睨むような目つきで見つめる柚子に、由貴はどうしようかと天井を見上げて深呼吸し、意を決して視線を戻した。
「柚子、どうかしたの?」
「…………んー」
気の抜けた力のない返事に、これは聞こえてないなと由貴は肩を竦めた。
苦笑しながら、言葉を続ける。
「飲み物が口に合わないとか?」
「……んー」
「お腹でも空いた?」
「……んー」
「何か食べる?」
「……んー」
「それともライブで気になるミスでもあった?」
「……んー」
「俺、じゃない。わたしが何かミスした?」
「……んー」
「もしくは次の活動について考えてたりする?」
「……んー」
「あいうえお順の最後の文字は?」
「……んー」
「わたしは紅茶ならアップルティーが一番好きなんだけど、柚子は何が好き?」
「…………ミルクティ」
(一応聞いてはいたのか)
同じ返事ばかりを繰り返す柚子が、違う反応を返したのに由貴は驚いた。
てっきり聞こえていないものだとばかり思っていたのだが、反応があったため逆に困惑する。
「聞こえてたのか?」
「んー」
(それはどっちだ!?)
気の抜けた返事に、偶然聞こえた単語に返事を返しただけなのか、それとも本当にきちんと聞いていたのか疑問である。
やり場のない衝動を発散できず、由貴は深い深いため息をついた。
「由貴」
「えっ?」
だが、気の抜けた返事しか返さず何事か思考していた柚子が、由貴の名前を鋭く呼ぶ。
あわてて視線を柚子へと向ければ、彼女はまっすぐに由貴を見つめていた。
突然の事態に由貴は思わず、会話に入ってこない三人へと視線を向ける。
「良いではないか、良いではないか!」
「何処の親父ですか?」
「うわ~んっ! あたし最近、こんなことばっかり~っ!!」
「柏木さん、飲んでもいないのに酔った振りはどうかと思いますよ?」
「でもよー春奈ちゃん。目の前に女の子がいるんだぜ?」
「そうですね。というか全員女ですから」
「こういう場合は、悪乗りして絡むのが一般常識だろ?」
「何処の一般常識ですか?」
「日本国の一般常識さ。ほら雛鳥ちゃん、抵抗しないで上着くらい脱いじまえよ」
「ぜっっっっっったいに嫌っ!」
「嫌なのは分かりますが、ジャケットを脱ぐくらいならいいじゃありませんか?」
「同性に服を無理やり脱がされるなんて、絶対嫌!」
「おーおー、良い声上げて抵抗するねえ雛鳥ちゃんよお。そう抵抗されるとますます滾るぜ!」
「いいいいぃぃぃぃやあああああああ!!!」
「無駄な抵抗は止めるべきですよ、雛鳥さん。その方が平和ですから」
「なら、春奈は脱げるわけ!?」
「脱げますよ」
「春奈ちゃんはイジリ甲斐がねーよなあ。その点、雛鳥ちゃんはもう最高だな!」
「あうぅぅぅー……こっ、ここは命がけで挑むべきところ?」
「大げさです。そして挑まないでください、多分柏木さんが勝ちますから」
「それなら助けてよー!」
「お断りです」
「うーん、春奈ちゃんのそういうクールなところはホント惚れ惚れすっけど、雛鳥ちゃんの往生際の悪さもイジメ心を巧みに刺激するんだよなあ」
「へんたいいいいいいいい!!」
「いえ、この程度ならまだ許容範囲内ですよ」
「んじゃま雛鳥ちゃーん、ちょっと楽しいことしましょうよ」
「そんなことより私は柚子さんとお話がした――」
「はああああるううううなあああああー!! もちろん助けてくれるよねっ?」
「…………そう言いながら私の右腕を拘束するのは何故でしょうか?」
混沌と書いてカオスと読む空間が出来ていた。
由貴は何も見なかったことにして視線を戻し、同じように三人へと視線を向けていた柚子も「私は何も見なかった」と呟いてから由貴へと視線を戻した。
見つめあい、言葉の出ない二人の間に、三人の珍妙なやり取りが絶えず耳に入る。
しかし由貴は決して柚子から視線を外さないよう、両手を膝の上で固く握り締めた。
「由貴」
もう一度、真剣な声色で柚子が呼ぶ。
由貴は頷き、
「何だ?」
首も傾げた。
両手は未だ固く握られ、膝の上。
「由貴の事情をメンバーに話そうと思うの」
「…………ちょっと待って」
突然の柚子の言葉に由貴は固まった。
(俺の事情を話すって、つまり俺が女装した男だってことを話すってことなのか? 何でそんな死亡フラグ立てなきゃいけないんだよっ。戦地で仲間に「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」的な某有名死亡フラグ立てるようなもんだろ!? 柚子は俺のこと殺したいほど憎いのか? それとも死人に口なし的な口封じですか? ドラム缶にセメントと一緒に詰め込まれて、東京湾にでも沈められるのか!?)
「由貴、顔色悪いけど?」
「俺は今、必死に死亡フラグを回避する方法を模索中だ」
「どうしてそんなことになってるのか由貴の頭が大変心配だけど、落ち着きなさい」
「落ち着け? 落ち着けませんよこんちくしょう! 死亡フラグ立てられて落ち着けるかっ!」
「とにかく深呼吸でもしなさい。そして私の話をきちんと聞いてちょうだい」
威圧感と共にナイフのような鋭い視線で睨まれ、由貴はぎこちない深呼吸を繰り返した。
心臓が握り締められているかのようなプレッシャーに、頬を汗が伝う。背中からは冷や汗が噴出し、手のひらからも汗が滲む。
(女の子が怒ると無条件で土下座したくなるほど恐いな)
「落ち着いた?」
「落ち着きました」
「そう。それでね、メンバーにはあなたが入った経緯とかを簡単に説明しようと思うの。由貴とは今回のライブまでって約束があるし」
「あ、ああ。つまり抜ける理由を説明するんだな?」
「そうよ。あと由貴最大の秘密はもちろん隠すから大丈夫」
「致命的汚点である秘密も、元はと言えば柚子の所為な気がするんだが」
「却下。そんな意見は聞きません」
「ホント少しでいいから十回に一回でいいから、俺の意見も参考にしてほしいんだけど」
「参考程度なんて謙虚ね。日本人の美徳だわ」
「なら十回に九回ほど意見を確実に受け入れろ、とか言われたらその通りにするのか?」
「しないわ」
「…………だからさ、参考程度でいいよ」
「そんなに落ち込まないでよ? とにかく良いわね」
「柚子のお好きなように」
投げやり気味にそう言えば、柚子は眉間に皺を寄せたがすぐに気を取り直し、じゃれあう三人へと身体ごと向き直った。そして、困惑顔で由貴を見る。
ジャケットを脱がせた柏木と春奈が雛鳥の胸を揉んでいるところを見て、由貴はしばし呆然とし、胡乱な目で三人を見つめた。
「良いではないか良いではないか!」
「……なんて羨ましい」
「もう止めてー! 揉まないでー!! 助けてー!」
由貴は顔を柚子へと向け、ゆっくりと首を振った。
「……終わるまで、待とうか」
「……そうね」
「待たないで助けてよ!」
「あら、聞こえていたのね」
「明らかに聞こえるように言ったじゃん! 何さも今気づきました的なこと言うの!? こっち見て言ってれば誰でも気づくからー!!」
「はいはい、落ち着こうぜ雛鳥ちゃん」
「そうですよ雛鳥さん。短気は損気ですよ」
「人の胸揉みながら言われても説得力ないわー!」
「……とにかく落ち着こうよ、ほら、深呼吸深呼吸」
促す由貴の言葉に、雛鳥の胸から手を離した柏木と春奈、涙目の雛鳥が深く深呼吸した。
吸って、吐いてと三度繰り返し、落ち着いたのか飲み物へと手を伸ばす。雛鳥だけは着崩れた服をあわてて直していた。
「さて、それじゃあ少しいいかしら?」
「もちろんです、柚子さん」
「…………春奈の変わり身の早さって言うか、柚子大好きなところはある意味で尊敬するわ」
「だよな」
「でも少しは反省するべきだと思うな。柏木も」
「それは言わない約束だぜ、由貴ちゃん!」
ウインクする柏木に由貴は苦笑して肩を落とした。恨みがましい視線を柏木へと向ける雛鳥のことは、あえて視界に入れないようにする。
「皆に言っておくべきことがあるの」
そう静かに言った柚子の言葉に、全員が耳を傾ける。
語られる内容を既に知っている由貴も、知れず息を呑んだ。
「実は由貴は私が無理矢理このバンドに引き込んだの。たまたま同じ学校で、偶然廊下を歩いていた時にぶつかったのが縁。由貴が楽器演奏出来るかの確認をする前に、かなり強引に加入させてしまったの」
柚子から語られた内容に、驚きの表情で雛鳥、柏木、春奈が由貴を見る。
見つめられる由貴は三人の様子に苦笑するだけで、何も言わなかった。
「これについてはもう、きちんと由貴に謝罪してあるわ。その上で由貴本人から今回のライブまで私に協力してくれると、約束してくれた」
「ホントかよっ!?」
柏木が驚きに声を上げ、由貴を見た。春奈と雛鳥も驚きに目を丸くする。
そんな様子の、三人の凝視するような視線に由貴は頷いて見せた。
「事後報告になってしまってごめんなさい。でも、ライブの前に話すと、動揺すると思ったからなの」
「するよ! もの凄くするよ!! というか心臓止まるかもー!!」
「雛鳥さんは驚きすぎです。しかし、確かに、驚きました」
「マジかよ……ここで抜けるなんて信じられねーよ」
「ごめん」
申し訳ない、と由貴は頭を下げた。
そんな由貴にあわてて柚子が頭を上げさせる。
「由貴が悪いんじゃないわ! 私がかなり強引に引き込んだから……」
(……そうだ、とかここで言ったら、かなり空気台無しにするよな)
思わず浮かんだ考えを、由貴はそっと心にしまい込んだ。
「だから、この場を借りてもう一度言うわ。由貴、本当にありがとう。お陰で私は自分に今、必要なことが何なのか分かったの」
「柚子が今、必要なこと?」
「そうよ。とても大切で、とても重要なもの。だから、それを教えてくれたあなたに感謝しているの」
由貴の手を取り、柚子は笑った。
桜並木が満開に咲き誇ったような美しさと、散っていく僅かな寂しさを感じさせる笑みを。
「オレからも言わせてくれ。由貴ちゃん、ホントにありがとな。ライブすげー楽しかったぜ!」
柏木の手が由貴と柚子の手に重なる。
「あたしからも! 色々と迷惑かけちゃったけど、楽しかったよ! ありがとう!!」
そう言って、雛鳥の手が重なる。
「私からもお礼を言いますね。ありがとうございます」
最後に、春奈の手が重なった。
今まで見た中で最高の笑顔を浮かべる柚子たちの姿と言葉に、由貴の瞳から堪えきれない涙が溢れる。
ぽろぽろと真珠のように落ちる涙に、由貴は恥ずかしさも、悲しさも、感じなかった。
ただ嬉しさと切なさと、自分でも理解出来ない気持ちが心で渦を巻く。
「あり……が…………っうぅ」
「由貴、せめて最後なんだから、一言くらい欲しいところなんだけど」
泣きじゃくる由貴の手から手を離し、柚子はハンカチで柚子の涙を拭いた。
「由貴ちゃんは意外と泣き虫なんだな」
「うぅぅ……ぐすっ、しかたないよー、なけるもんっ」
「何で雛鳥さんが泣くんですか? 良ければティッシュ使ってください」
「こんな時でも春奈ちゃんはクールだね……や、そうでもないか」
「何ですかっ」
「いや別に。ただ雛鳥ちゃんが使い切る前に、自分の分のティッシュ確保した方がいいんじゃねーの?」
「余計なお世話ですっ。柏木さんだって目元潤んでますよ」
「涙腺弱いんだよっ!」
「もうっ、あなたたちまで泣かないでちょうだいよ」
そう言った柚子が、少しだけ目を細めたことに由貴は気づかなかった。
「由貴、ねえ由貴。私はあなたに大変な迷惑をかけたわね」
「そん……こと、なぃ……」
「ありがとう。でも私だって自分の行動に反省してるのよ。でも、あなたがいたお陰で、このバンドは私の想像以上に好い形になった。あなたのお陰よ」
「わたしっ……だけじゃな……」
「ええ、雛鳥も柏木も、春奈もいたからこそのバンド。でもバンドはボーカルが華だもの。やっぱりあなたの存在が一番大きいわ」
「ボーカルなくしてバンドは成り立たないからな」
「というよりも、由貴なくしてあたしたちのバンドが成り立たないだね」
「その通りですね」
「ええ、まったくその通りだわ。ねえ由貴」
真剣みを帯びた柚子の言葉に由貴は顔を上げる。
涙で目も目元も真っ赤になった顔を、それでも柚子へとまっすぐに向ける。
「ありがとう、私の力になってくれて」
「ゆず……」
「ありがとう、雛鳥や柏木、春奈の力になってくれて」
「……うん」
「ねえ由貴、このバンド、嫌い?」
「そんなことっ!」
「なら好き?」
「もちろん!」
「みんなのことは?」
「好きじゃなきゃ辞めてる!」
「私もみんなも、由貴のこと好きよ。ねえ由貴、このバンド、素敵よね?」
「うん!」
「私の作る歌、好きなのよね?」
「うんっ!」
「なら、このまま続けてくれるわよね?」
「分かった! ………………………………あれ?」
こてん、と首を傾げる由貴に、柚子は満面の笑みを浮かべる。
「良かったわ! これなら新しいボーカルを探さなくて済むわね!!」
「はい?」
「いやー、一時はどうなるかと思ったけど、由貴ちゃんが続けるって言ってくれて助かったな!」
「え?」
「柚子さんの様子から何となく読めていましたが、まさかこうまで呆気なく片付くとは……」
「あのー」
「でも良かったっ! また皆でバンド出来るね!!」
「ちょっ、ちょっと待った!」
「待ったはなし、よ」
晴れ晴れと笑う四人の様子に、涙の代わりに冷や汗が出始めた由貴が待ったをかけるが、柚子は笑いながらポケットから手のひらサイズの小さな機械を取り出した。
いくつかあるボタンのひとつを押すと、ピッと機械音が鳴る。
「携帯だと録音時間が短いから、念のためにボイスレコーダーを用意しておいたけど正解ね」
「なっ、なんのために……?」
「それはもちろん。言質のためよ」
「音声も立派な証拠品ですからね」
「まあ、諦めが肝心だよな!」
「そうそう!」
笑いあう春奈、柏木、雛鳥の言葉に、由貴は呆気に取られる。
金魚のように口を開けては閉じてを繰り返すが、意味のある言葉は出てこなかった。
そんな様子の由貴に苦笑しながら、
「私の目的のため、まだまだバンドはこれからなんだから、ここで抜けられたら困るのよ。それに言ったでしょ、あなたはとても大切で重要なことを教えてくれたって」
「それって……?」
「仲間よ」
柚子の前へと立ち、柚子は後ろを振り返る。
嬉しさを前面に出した笑顔が、二人を見つめていた。
「とても大切で、とても重要なもの。私は今まで一人だったけど、今回のことで分かったの。仲間の大切さを」
「柚子」
「だからね、由貴。これからもよろしくね?」
今日までに見てきた中で文句なしに最高の笑顔を浮かべる仲間たちに、由貴は困ったような、それでも嬉しさを隠し切れない笑みで苦笑した――。