第2話 長い物にはなんとやら
由貴は少女とは思えぬ強い力に腕を引かれ、空き教室へと連れてこられた。
机と椅子が重ねて置かれているだけの教室。定期的に掃除しているからか、埃っぽさは感じられなかった。使われていない教室はいくつかあり、ここはその一つでもある。
その教室へ強引に連れ込まれながら、由貴は必死に腕を振りほどこうとするが、びくともしなかった。
(何で女の子なのに、こんな強い力持ってるんだよ! 俺より強くないか!?)
握りこまれた場所は絶対に痣になってるだろうな、と遠い目になりながら現実逃避を試みる。
が、少女はそれを許しはしなかった。
「今すぐ、こっちを向きなさい。会話をする時は相手の目を見てするべきでしょう?」
そう言って腕を放されたと思えば襟首を掴まれ、由貴は少し咳き込んだ。
「くっ、苦しいから!」
「あら。ごめんなさい」
(絶対に悪いと思ってない!)
悪びれた様子もなく少女は襟首を放し、今度は肩を掴む。
それほど力は入れられていないが、先ほどの腕を掴んでいた握力を思い出し、由貴の顔は引きつった。
「念のために、ねぇ?」
逃亡防止だと暗に匂わせて言う彼女にため息をつく。
「さて、とりあえず貴方の名前を聞かせてもらえるかしら?」
「泊由貴だよ。君は?」
「由貴ね。男でも女でもありそうな名前で好都合だわ」
少女はそう言って、一人納得したように頷く。
「私の名前は更科柚子。唐突だけど泊由貴、貴方には私の計画に協力してもらおうわ」
「ホントに唐突だ!」
思わず抗議すれば、少女――更科柚子は由貴を鼻で笑った。
「何よ、勝手に女の秘密を暴いておきながら協力もしてくれないわけ? 度量の狭い男ね」
「なんだと!」
「というか貴方に拒否権があると思ってるの?」
柚子の物言いに由貴は顔をしかめて、開き直るように鼻で笑い返した。
「そっちこそ、自分が覆面ソングライター『なずしらゆさ』って、バラされたら困るんじゃないか?」
「あら、なら私は貴方に無理やり空き教室に連れ込まれて、あーんなことや、こーんなことまでされて、さらに口ではとても言えないようなことをされたって学校中に言いふらしてやるわ」
柚子の言葉に、由貴は絶句した。
例えば電車に乗っていた男性が女性に言われもなく痴漢呼ばわりされる。もちろんそんな事実はないのだが、ほぼ確実に男性は痴漢男として有罪になることが確定していると言っていい。
女性が言い張れば無実でも罪に問われてしまうほど、性犯罪はデリケートな問題と言える。
つまり、この場で柚子が制服を少し乱し悲鳴を上げて助けを呼んだ場合、ほぼ確実に由貴は警察のお世話になると言ってしまっていいだろう。
罪には問われずに済んでも、学校中から白い目で見られることは確実である。
そんな自分の姿を想像し、由貴は憎憎しげに柚子を見上げ、
(……背、高い)
硬直した。
更科柚子は腰まで届く髪に可愛らしいカチューシャをつけ、校則であるセーラー服を細身の体格ながらきっちり着こなしていた。
見るものを惹きつけるオーラのようなものを持った十人中十人が美少女と答えるだろう少女だ。
そして身長百六十五センチの柚子は、当然ながら由貴よりも背が高い。そのため見上げなければいけないのだが……由貴は思わず近くにあった机に縋りついた。
「ちょっ、どうしたのよ!?」
突然の由貴の行動に柚子はあわてた声を上げる。
「お」
「お?」
「俺よりも背、高い」
「…………はあ?」
その言葉に柚子は呆れた声を上げ、由貴の姿を下から上までじっくり見た。
「大丈夫よ、貴方の背が高いと私が困るから。可愛い顔だけじゃなく、身長もやっぱりそれなりじゃないとだし」
「は?」
柚子の言葉に違和感を感じ、由貴は顔を上げる。
だが彼女は満面の笑みを浮かべて、
「答えは分かりきってるけど一応聞くわ。協力してくれるわね、由貴?」
由貴の肩に置いていた手に力を込めた。
(痛い! 痛い! 痛い!!)
ギリギリギリっ、と音が聞こえそうなほど、由貴の肩に柚子の指が食い込む。
あまりの痛さに叫びたい気持ちを我慢しつつ、由貴は必死に首を立てに振った。
由貴が頷いたことで柚子は満足げな笑みになり、ようやく肩から手を放す。
(何か、さっきと同じパターンじゃないか?)
思いはしても、由貴は懸命に口を閉ざした。
出会いから一時間と経たず、由貴は柚子が怒らせてはいけない人物だと心に強く刻み込んだ。
「話が早くて助かるわ。それじゃあまず私の計画についても説明したいから、ついてきてくれる?」
(『ついてきてくれる?』が『ついてきなさい』に聞こえるんだけど……気のせいなんかじゃないよな)
思わず出かかったため息を噛み殺し、由貴は力なく頷いた。
「……どーにでもなれ」
そう言った由貴の言葉に柚子が目を光らせていたが、俯いた由貴には見えていなかった。