第13話 浮き沈みはなんとやら
喫茶店の出来事から翌日。
放課後のバンド練習後に、柚子は両手を叩いて自分に注目するよう合図を出した。
「ライブをやるわ」
練習を終え、各々が楽器から手を離したところで、柚子がそう切り出す。
「突然だな!」
「ホント、急にどうしたの?」
柏木と雛鳥の言葉に、柚子はポケットから一枚の紙を取り出した。
それを顔の位置まで掲げて、
「これがライブのチラシね。観客はとりあえず二百人くらいだから」
「多すぎだろっ!」
「柚子さん、そんなに人が入るとは思えません……」
「わたしたちでチケット売り歩くの? それはちょっと」
「そんなことしないわよ」
難色を示す由貴の言葉を、柚子はばっさりと切り捨てる。
「もうほとんど完売してるから。友人に渡したいなら枚数言ってくれる?」
「早いよ、柚子!」
「そうだぜっ! ライブやるって聞いた初日にほぼ完売とか、柚子ちゃんマジでなにもん?」
「…………そうですね。五枚ほどほしいです」
大騒ぎする雛鳥と柏木を横目に、春奈は淡々と自分の希望を述べている。そんな彼女たちの姿を一歩引いた位置で見ながら、由貴はもろ手を挙げて踊りだしそうな自分の身体に、必死にブレーキをかけていた。手のひらが汗ばみ、頬がじんわりと熱を持つ。
柚子たちが由貴の様子に気づいていたなら、体調不良かと心配するほど由貴の顔は赤く染まっていた。
(ライブ、ライブかあ! 何か夢みたいだ! でも歌うのは俺なわけで……『なずしらゆさ』渾身の新作を、俺が、観客の前で披露するのか!? うわあ、うわあ、ちょっこれ興奮する!!)
由貴が今にも踊りだしそうなほど興奮しているところで、
「ねえ、由貴はどうするのかしら?」
「えっ!」
突然柚子から声をかけられて、由貴は飛び上がって驚いた。意識が夢の世界でふらふら踊っていたところ、急に現実世界から拡声器で呼びつけられたかのような衝撃を受けたのだった。
「だから、チケットよ。用意するから枚数を言ってくれる?」
「柏木と雛鳥は?」
「三枚ずつだそうよ」
(せっかくの初ライブなんだから、誘いたいよな)
幾人かの顔を思い浮かべ、誘う人数を決めた由貴は柚子へと枚数を言おうとして、硬直した。
録音機材が設備されているコントロール・ルームと、由貴たちがいる楽器演奏を行ったブース。その間を隔てる防音ガラスに、ぼんやりとだが由貴の姿が映る。
赤いリボンが特徴的な制服。女装させられた日から由貴は必ずこの制服に着替えていた。柚子からは何度か私服にしないかと言われているが、これ以上他の女物を着ることに抵抗したためと、ラフな格好をする雛鳥以外のメンバーが制服姿のため、それほど気にもならなかったのだ。
項垂れた由貴は理由が分かっておらず不思議そうな顔をする柚子へ、小声で話しかけた。
「俺、ライブこの格好なのか?」
「…………そういえば、由貴は男なのよね」
「毎回化粧するやつが忘れんなよっ」
「化粧だけでしょ? 大丈夫よ、完璧に女の子だから」
「そういう問題じゃない!」
「そういう問題なのよ。じゃあ由貴はチケットいらないわね。それとも誰か誘う?」
「……いや……遠慮する」
「別にあなただってバラしたり、バレなければ誘ってもいいのに」
「友人に女装姿見せろってか? お前は鬼か」
「…………ああ、それもそうね。ごめんなさい」
「謝るな。悲しくなるから」
どことなく居た堪れない空気が漂う。
「柚子ちゃん、今日の練習はこれで終わりか?」
「えっ、ああそうね。ライブまで間がないけど、根のつめすぎは悪いからお開きにしましょう」
柏木の声に、柚子はほっと安堵のため息をついて全員を見回した。その様子に居た堪れなさから開放された由貴も肩を落とす。
「ライブは一ヵ月後。楽譜は頭に入ってるわね? 不安なところは自主練しておいてちょうだい。由貴は歌詞を完璧に覚えてね。今日は解散、お疲れ様でした!」
「お疲れさまー」
「おーつかれーい!」
「お疲れ様です」
「お疲れさま」
挨拶を交し合い、各々が楽器を片付ける。ほぼ毎日のように練習があるので、柚子のスタジオに楽器は置きっぱなしになっているのだ。
ギターをケースへとしまいながら、由貴はため息をつく。
(趣味でいじってただけだからライブなんて初めてなのに、しかも『なずしらゆさ』の新曲も歌うのに……いやそれは内緒だけど、俺なら絶対にチケット取って見に行くレアものなのにっ、なんで、な、ん、で、女装して出なきゃなんだよっ! 一生ものの記念だぞ! そりゃ柚子の力になるって自分に誓ったけど、女装して人前に立つってそれどんな試練!? でもライブまでは付き合う約束だし……せめて男の格好させてほしい)
もう一度、重いため息が出た。
どんよりと暗くなりそうな気持ちを頭を振って追い出し、由貴は顔を上げた。丁度、雛鳥と会話を終えた柚子へと近づく。
(とにかく着替えよう)
メンバーが帰った後に着替え、こっそりと柚子の家を出るため、着替えるには柚子の許可がいるのだ。すでに両手でも足りないほど柚子の部屋で着替えているため、由貴は当初のような初々しい恥ずかしさや気まずさなどは一切感じなくなっていた。
「柚子――」
「由貴さん」
柚子へと声をかける直前、由貴は春奈に呼び止められた。
振り向いた目の前に、整った美しいと呼ばれる類の容姿を持った少女の顔が目に入る。由貴は顔が赤くなるのを自覚して、あわてて距離をとった。春奈の容姿は年頃の少女が持つ可愛さや甘さがなく、人形のような美しさがある。そのため、振り返ったために至近距離から春奈の顔が目に入り、由貴はあわててしまったのだ。
もっとも第三者から見れば、由貴の方が容姿的にも取っ付きやすさからも春奈より上であるのだが、幸か不幸かそのことを由貴は今後とも知ることはない。
「由貴さん?」
「あっごめん。ちょっと驚いちゃって……」
不思議そうな顔をする春奈に、由貴は手を左右に軽く振った。ジェスチャーでの違う違う、というポーズなのだが、春奈は淡々とした様子のまま頭を軽く下げた。
「驚かせてしまって、ごめんなさい」
律儀だな、と由貴は関心する。
「それでどうかしたの? 柚子ならあっちにいるわよ」
「今日は由貴さんに用があるんです。あの、ここでは話しづらいので外でもいいですか?」
由貴はしばし春奈を見つめ、柚子へと視線を移した。
柚子は柏木と雛鳥の二人と話しており、由貴の視線に気づく様子はない。
「…………分かった、いいよ」
本来なら柚子と相談したい由貴だが、その柚子と相談出来ない以上、由貴は自分の判断で春奈と話すことに決めた。
「ちょっとごめん、メール入れるから」
「はい」
それでも一言入れるべきだと思い、柚子へとメールを送る。
「それじゃあ、行こう。三人とも、また明日」
「はい、それではお先に失礼致します」
「おつかれさーん!」
「また明日ねー」
「……あ、お疲れ様」
スタジオを出るとき、他の三人へと声をかける。
柏木と雛鳥の元気な声とは違い、柚子は困惑したような顔をして不思議そうに首を傾げた。その様子に由貴はさり気なく携帯の存在をアピールする。その仕草を見て、気づいた柚子が頷くのを確認し、由貴たちは外へと出たのだった。