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ガールズバンドはじめました  作者: やなぎ のき
10/24

第10話 女三人寄ればなんとやら 2

 柚子の家を出てから駅へと向かい、そこから線路沿いの道を十分ほど歩いたところに店はあった。

 一軒家が立ち並ぶ中、ウィンドウにアンティークものであろうガラス製品が配置され、独特な雰囲気を醸し出していた。飾りの施された柱には緑の蔦が絡まり、扉の白さが目を引く。古い洋館を思わせるような店だった。


「ここ?」

「そう。女性専用カフェなんだって」

「女性専用……?」


 雛鳥がそう言い、由貴は頬が引きつりそうになった。


(……おいおい、俺が入るのはまずいだろーが)


 そう思い、由貴は柚子へと視線を向け、


「へぇーそんなもんがあんのか。面白そうだな!」

「男の人がいないのですか。それはいいですね」

「春奈は男嫌いだもんね」


 柏木、春奈と和やかに談笑している姿に言葉を失った。

 由貴が懸命に柚子へと合図を送るが、柚子は気づいているのか、気づいていて無視しているのか何の反応もない。由貴は肩を落とす。


(アイツ俺のこと男だって覚えてるよな?)


 思わず考えた嫌な想像に、由貴は頭を振ってイメージを外へと排除した。

 そんな由貴の様子に欠片も気づくことはなく、四人はさっさと店内へと入っていってしまう。一瞬このまま逃げてしまおうかと考えるのだが、


「どうしたの、由貴? 早く入ろうよ!」


 由貴がなかなか入ろうとしないことに気づいた雛鳥が、戻ってきてしまった。思わず苦笑いする由貴を不思議そうに眺め、雛鳥は由貴の腕を取る。


「大丈夫よ。五人の場合って確かに一人半端だけど、席は円卓だから!」


(何か勘違いされてる?)


 雛鳥は由貴が遠慮しているのではないかと思ったらしい。それは当然誤解なのだか、誤解を解く適当な理由も本当のことを話すことも出来ず、由貴は頷き雛鳥と店内へ入るしかなかった。

 白い壁に木目の床、至る所に飾られたアンティーク食器が目を引く店内。中はそれほど広くなく、円卓が四席あるだけの小規模なものだった。つまり、一度に四組までの客しか入れないということであり、正直儲かっているのかと由貴は現実逃避に走る脳内で考えていた。


「いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ」


 アルバイトだろうか、十六、七歳の少女が柔らかく微笑み頭を下げた。紺のワンピースと白いエプロンが制服というより、メイドを彷彿とさせる。由貴にその手の知識はなかったが、今やテレビなどでメイド喫茶が普通に紹介されているため、そういった感想を抱いたのだ。

 ウエイトレスである少女の横を通り、一番奥の席へと柚子、由貴、雛鳥、柏木、春奈という順に座る。柚子が最初に座ったことで、自然とこういう座り順になったのだった。


「客はわたしたちだけなんだから、手前に座った方が良くない?」


 由貴が疑問を持って聞けば、


「空いてるなら奥に座るでしょ、普通」


 柚子は何を当たり前なことをと言わんばかりに、呆れたような顔をした。


「まあそういうのは人それぞれかもな。オレも手間より奥に座る派だし」

「あたしはどっちでもいいかな。カウンターとか気にせず座れるから」

「角の席に座ります。そうすれば男の人が近くに座ることもないので」

「へー……」


 どうも呆れられるようなことはないようなので、柚子には後で抗議しようと由貴は胸に決めた。


「それより何頼む? お茶とケーキ?」

「紅茶が美味しいよー。あとチーズケーキが美味しいって評判!」

「オレは炭酸にするよ、好きだし。レモンスカッシュとモンブランで」

「甘すぎる組み合わせですけど、大丈夫ですか?」

「甘いもんは何でもいける!」

「分かる分かる! 甘いものって際限なくいけるのよねー。あたしもこの間、ロールケーキ一本を一人で食べちゃったの!!」

「雛鳥の気持ち分かるわ! ロールケーキってついつい食べ過ぎて、気がつくと一人で食べきっちゃうのよね。私はロイヤルミルクティーとショートケーキにするわ」

「では私も柚子さんと同じもので」

「私と同じものでいいの?」

「はい」

「春奈ちゃんは柚子ちゃんにべったりだなー、雛鳥ちゃんと由貴ちゃんはどうするんだ?」

「あたしはアイスティーとチーズケーキにしようかな。由貴は?」

「えっ!? あっ、ええと」


 それまで四人の会話を呆然と聞いていた由貴は突然話を振られ、うろたえた。

 メニューに急いで目を通し、何とか「アイスティー」とだけ答える。


「ケーキ食べないの? 由貴は細いんだから食べた方がいいよ?」

「そうだぜ! ダイエットなんて十代でする必要ないって言うしよ」

「それ以前にもっと食べた方がいいですよ。細すぎます」

「確かにもう少し肉付き欲しいわよね」


 四人の善意からの言葉は由貴の胸に突き刺さるようだった。

 彼女らは知らないが、由貴が成長期の男子らしく良く食べる。朝からご飯を二杯に味噌汁と魚と言った今時珍しいほどのきっちりした和食を食べ、昼の弁当は標準男子が使う大きさのものだ。夜は朝の二倍は軽く食べ、間食にスナック菓子もぺろりと平らげる。

 大食漢というほどではないが、小柄な体格とは裏腹に食事量は多いのだ。それでも太らないのは、由貴自身不思議でしょうがない。


「えと、じゃあ……いちごタルトで」

「アイスティーといちごタルトだな。店員さーん、注文おねがいしまーす!」


 柏木が頷き、こちらの様子を伺っていたウエイトレスの少女を呼んだ。いつ注文を取りに伺おうかと悩んでいたらしく、柏木の声にパッと表情を明るくする姿は小動物を彷彿とさせた。


「お待たせしました、ご注文をどうぞ!」


 柔らかい笑顔でハキハキと話す少女に、由貴は知らず知らずため息をついた。


「どうかしましたか?」

「えっ、あっ、うん、なんでもない」


 春奈に聞かれ、動揺しながらも問題ないと返した。そんな由貴の様子を伺うように見ていた春奈だが、何も話さないと分かると視線をそらした。


(ウエイトレスの彼女を見て、癒されたなんて言えないよなあ)


 そう考える自分は疲れているのだろうかと由貴は思うが、バンドが軌道に乗るまでは休息などありはしないことも理解していた。


(バンドが落ち着いたら、絶対に一人で出かけよう)


 しかしそんな日は来ないような気がする自分の勘に、由貴は悪寒を感じるのだった。

 しばらくして注文の品が円卓に並べられウエイトレスが席を離れると、柚子が会話の先陣を切った。


「それにしても、女性専用カフェなんて初めて聞いたわ」

「確かになー。オレはメイドカフェとかなら聞いたことあるぜ」

「それは知りませんが、男性がいないのは助かります」

「まあ女同士でないと話せないことってあるものねー」


(男が混じってるけどな)


 しかしそれをバラすわけにもいかず、由貴は心の中で三人に謝罪し、柚子には恨み言を飛ばすことにした。


「あの、さ、こういう店って本当に男は入らないの?」


 居心地悪そうに店内を見渡す由貴に気づかず、雛鳥は笑う。


「基本的に男の人は入店禁止なんだから入らないよ。それに女性専用だって店の外の看板に書いてあるのに入ろうとするなんて、気持ち悪いじゃない?」


 ぐさ、と雛鳥の言葉が由貴の心に突き刺さる。


「由貴ちゃんも面白いこと聞くなー! つか、もしかして彼氏いるから一緒に来たいなあとか思った?」

「いません。思っていません」

「ざんねーん」


(男に彼氏がいてたまるか!)


「でも由貴の言うことは一理あるわね。たまたま知らずに、看板も見ずに入ろうとしたカップル客とかいるかもしれないもの」

「確かいたらしいよ。それでカップル客の場合、稀に男性が入店することもあるそうなんだー」

「へえ。まあカップルの仲裂くなんざ、馬に蹴られて~だしな」

「他人のことなんてどうでもいいです」

「さすがクールビューティー春奈ちゃんだ」


 じゃれあう柏木と春奈、雛鳥を横目に由貴はこっそり隣へ座る柚子へと話しかけた。


(お前さ、俺が男だってこと、本気で忘れてないか?)

(…………忘れてないわよ)

(最初の沈黙はなんだ、目をそらすな!)


 視線をそらす柚子の様子に、由貴は目を細くして睨む。

 その視線に柚子が由貴にだけ聞こえるよう、ワザとらしく咳払いをした。


(それで由貴は何がいいたいの?)

(早く店を出たいんだよ。こういうところに男の俺がいるべきじゃないだろ?)


 男とバレれば確実に変態であり、雛鳥の言葉を借りるなら気持ち悪いと後ろ指さされることになるだろう。そんな様子を想像し、由貴は頭を抱えた。


(そんなに心配しなくても大丈夫よ)

(何でだよ?)


 由貴は顔を上げた。

 満面の笑みを浮かべる柚子に手のひらや背中から冷や汗が流れるが、由貴は気合で気にしない振りをする。


(だってあなた、どこからどう見ても女の子だもの。服を引ん剥かれでもしない限り、バレないわよ)

(……………………そう、か?)

(ええ。だから安心しなさい)


 柚子の言葉に由貴は複雑な思いで項垂れた。完璧な女に見えるから安心していいという言葉に納得すればいいのか、男としてそれはどうなんだと悲しめばいいのか、混乱した由貴は正常な判断が出来ずにいた。

 しかし結局のところ女装を辞めるという選択肢が由貴に与えられていない現状、由貴がどう考えたところで事態が変わることはない。

 思考がそこへと行き当たったところで、 


(深く考えるのはやめよう)


 由貴はこれ以上、深く考えることを放棄した。


(それより、『こっち』をどうするべきか)


「ねえねえモンブラン一口ちょうだい?」

「いいぜ。つかよ、回せばよくね? オレもチーズケーキ欲しいし」

「由貴さんのタルトが気になります」

「ケーキのお皿、中央に置いたらどうかしら?」


 いつの間にか女性陣の話題はケーキへと移っていたらしい。

 お互いのケーキを食べる、という事態に由貴は必死の形相で柚子へと視線を送った。


(ちょっ、おい! 俺、男! おれ、おとこ!!)

(大丈夫よ。私は気にしないから)

(他のやつが気にするだろ!? そしてお前も少しは気にしろよ!)


 そんな由貴の必死のお願いを、


(ケーキの食べ比べ程度でごちゃごちゃ言わないの。ホントあなたどんだけ乙女なのよ?)


 吹雪を彷彿とさせるような冷たい視線と共に、柚子は鼻で笑った。


(……俺が乙女なら、お前は漢だこんにゃろう)


 そんな精一杯の由貴の抗議をさらりと無視して、柚子は幸せそうにケーキを食べる。

 今日の柚子は当てにならない、由貴はそう確信した。


「ん? 由貴ちゃん、お前食べてねーじゃん。遠慮せずに食えよ」

「ホントですね。どうぞ食べてください」


 女性陣はケーキに夢中で未だ手を出しかねる由貴には気づいていない。このまま食べずにやり過ごせると思っていた由貴だったが、それに目ざとく柏木が気づいた。

 柏木と春奈に一口サイズに取り分けたケーキを差し出され、硬直する。


(いやいやいや、さすがに無理、ちょっ、家族や恋人でもない女の子からの『あ~ん』はない!)


 二人にそんな意図がないことは由貴も十分承知しているが、それでも突然の出来事に対応できないでいた。


「ほらほら、早く食べて食べて! あたしのチーズケーキもあげるから」


 差し出される一口大のケーキが刺さった、フォークが三つ。

 由貴が男の格好をしていたのなら、世の男たちが腹立たしく思うほど分かりやすい見事なハーレム構図と言えるだろう。しかしここは女性専用カフェであり、客は由貴たちだけである。しかもこの面子で由貴が男の格好が出来る可能性は、現時点では限りなくゼロだと言ってしまえた。


(助けろよ)


 絶対に助けてくれないと分かってはいても、由貴は柚子につい頼るように視線を向けてしまう。

 柚子は右手を握り拳にし、親指を立て、グッジョブサインを出した。助ける気皆無である。

 しかたなく由貴は腹をくくい、まず柏木のモンブランを食べた。甘い上品な栗の味と香りが口に広がるが、緊張のあまり甘いとしか由貴には感じられなかった。

 満足げな柏木の次に、春奈のショートケーキを食べる。ごくごく普通のショートケーキだったのだが由貴には甘く感じられるだけで、雛鳥の差し出したチーズケーキも今の由貴には甘いとしか感じられなかった。本来ならしっとりとした口当たりの滑らかな評判のチーズケーキが味わえたのだが、由貴にとってはようやく終わる拷問のような対応にほっと一息をつくのだった。


「雛鳥が言うとおり、ここのチーズケーキ美味しいわね。今度はそれ頼もうかしら」

「確かになー。でも由貴ちゃんのタルトも美味かったぜ」

「サクサクの生地がとっても美味しいです。次は違う種類のタルトも頼んでみたいですね」

「あたしはここに来るたびにチーズケーキ頼んじゃうんだよねー。今度こそはチョコレートケーキとか頼みたいなあ」

「おっ、そっちも美味そうだよな!」

「でも今日はもう時間も時間だから、頼むなら次にしなさいね?」

「分かってるよー。さすがに一日にケーキ二つも頼んだら、体重計に乗れないわ」

「体重計は怖いですからね」

「あー……女の天敵だからな、やつは」

「その点、由貴は……」

「な、なななななに?」


 女性陣の途切れることなくなされる会話に、圧倒されっぱなしの由貴は混ざろうという意思事態を放棄し、ただただ相槌を打っていた。

 そのため、四人の視線が自分へと集中したことに大いに動揺してしまう。


「……由貴さん、失礼を承知でお聞きしても宜しいでしょうか?」

「は、はい?」

「体重、いくつ?」

「出来れば身長と体脂肪率もな。携帯で平均値出すからよ」

「最近の携帯アプリは身長と体重を入れるだけで、自分の体型が平均かどうか分かるものね」

「はあ?」

「覚えている限りでいいですから、まずは体重を!」

「えっ……確か、四十四キロ」

「四十四ですって!?」

「おまっ、何食ったらそんなに細くなるんだよっ!!」

「し、身長は! 身長はいくつなのよ!」


 目を吊り上げ身を乗り出さん勢いで四人は由貴へと迫る。

 その鬼気迫る勢いに、由貴は少し涙目になった。


「し、身長は、確か、百六十センチだったかと」

「どうなの柏木!?」

「今の数値は許されるわけ?」

「……やばいぜ」


 携帯を見ていた柏木がぽつりと言ったあと、画面を由貴たちへ見えるようひっくり返した。

 身長体重の平均値がグラフで表示してある画面に、全員が息を呑む。


「平均なら五十キロ超えてる感じらしいぜ」

「……私、由貴さんと同じくらいの身長ですけど、四十四キロなんて数字見たことありません」

「あたしなんて身長百七十あるのに……」

「想像以上のモヤシ体ね。体脂肪は分からないの?」

「モヤシは余計なお世話だ! ……よ。体脂肪は確か一桁だったけど」

「体脂肪一桁とかお前の身体何で出来てんの!?」

「由貴、今すぐケーキを食べるべきだわ。一人でワンホールくらい」

「ワンホール!?」

「それは良いアイデアです。由貴さん、もっと食べて太りましょうよ」


 そう言って、春奈はメニューのデザート欄を開いてテーブルに置いた。


「太りすぎは困るけど、肉付きが良い程度なら問題ないわね」

「とりあえず何か頼むか?」

「ええっ、ちょっ、もう食べれないから!」


 由貴があわててそう言えば、四人はしぶしぶながらもメニューをテーブルの端に戻した。

 本来の由貴は大食いというほどではないが、食べるほうだ。しかし、この場でそのことを話すのが得策じゃないことくらい、由貴にも分かっていた。


「そういえば、柚子さんの歌詞ってちょっと『なずしらゆさ』に似てますね」


 春奈の言葉に柚子はカップを落とさなかった自分を、これでもかと褒め称えた。


「ああ! それはオレも思った思った!」

「確かに似てるかも。何処がってわけじゃないんだけど……」


 柏木と雛鳥も頷いて同意した。

 由貴は柚子の様子を気にしながら(それはそうだろうな)と、心の中でだけ呟いた。


「でも柚子さんの歌の方が素敵です!」


 頬を染めて言う春奈の言葉に、由貴はカチンと来た。


「『なずしらゆさ』もいいよ!」

「お、珍しく由貴ちゃんが強く出たな。もしかして『なずしらゆさ』のファンか?」

「……そう、だけど」

「まああの人の歌、良い歌だからねー。最近は酷いけど」


 ぴくり、と柚子の肩が震えたのに由貴は気づいた。


「確かにな。由貴ちゃんには悪いけど、少し前に出た新曲は何が良いのかって感じだったしなあ」

「売れて天狗になってるんですよ。印税とか凄そうですし」

「あんな曲で印税がっぽりでしょう? 羨ましいわー」

「確かに! でも人気絶頂の『なずしらゆさ』があの程度の歌しか作れなくなったなら、柚子ちゃんがデビューすれば大人気間違いなしじゃね?」

「それは良いアイデアですね!!」

「あははっ、それならあたしたち込みでメジャーデビューかなあ!」

「夢はでかく行きたいぜ」

「そうですよねえ。ねえ、柚子さん?」

「……えっ、あ、そっそう、ね」


 春奈の言葉に柚子はぎこちなく笑い返した。

 俯き何かを堪えようとする柚子の姿に、由貴は戸惑いながら気づかれないように柚子の様子を伺う。


「そこまで言わなくとも……」


 由貴がフォローの言葉を投げるが、


「でも事実だろ? 由貴ちゃんだってそうは思わねえの?」


 ストレートに打ち返された。

 由貴が続く言葉を言えないでいると、柚子が椅子から立ち上がった。


「ごめん、ちょっとトイレ」

「いってらっしゃい」


 ぎこちない、由貴から見たら何かを我慢して堪える笑顔で柚子は化粧室へと小走りで駆けていった。


(追いかけないと!)


 どうしてそう思ったのか、由貴にも理解出来ていない。

 それでも由貴は椅子から立ち上がった。


「ごめん、わたしもトイレ」


 三人に断ってから、小走りで駆けて行く。

 その後ろを、席を立ち柚子を追いかけようとした春奈がじっと見つめていた。



 ◆



 店内からは死角となる位置に化粧室と書かれた扉があった。木の質感を感じさせる素朴な作りは、店の雰囲気を損なわない配慮がされている。

 その扉へ手を掛けたところで由貴は、はたりと気づく。


(もし、もしも本当に柚子がトイレだったら……俺、かなりマズくないか?)


 先ほどの様子を見る限り、由貴とて本来の目的のために柚子がトイレに行ったとは考えにくい。

 だが、由貴は扉の前で躊躇してしまう。それは時折訪れるカップルの男性用のためなのか、隣にきちんと男性用トイレがあるからだ。柚子が入ったのは間違いなく女性用トイレであるため、由貴は踏み込むのを躊躇してしまう。


(どうしよう……でも柚子の様子から見て、確実に傷ついてトイレに逃げたって感じだったし。それなら余計なお世話でも慰めたい! でも本当にトイレだったとしたら……俺、変態として警察に通報されるよな?)


 由貴は頭を抱えたくなるのを必死に我慢した。頭を抱えると、カツラがずれるかもしれないからだ。

 しかしいつまでもトイレの前で一人百面相をしているのも、確実に怪しまれるだろうことは由貴にも十分すぎるほど分かっていた。


(ええい、本当にトイレだったら土下座でも何でもしてやるよ!)


 由貴は扉の取っ手へと、力強く手を掛けた。

 祈るように押し、扉を開く。

 軋んだ音を立てるそれはまるで、地獄へのカウントダウンのようであった。



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