レベル0の賢者、円満退職する~円満退職のはずなのになぜか元上司は追放したと思っているようです~
「リオネル・アークライト。お前をこの魔導局から追放する!」
朝礼の場で局長のダリウス様がそう言った。
私は手に持っていた退職届の控えを見た。提出済みで受理印もあり退職日は本日付。引き継ぎ資料は三冊用意し備品の返却も机の掃除も済ませてある。お世話になった同僚への焼き菓子も昨日配った。
少なくとも私の認識では円満退職である。
「ええと、局長」
「なんだ。命乞いか」
「いえ退職の手続きは総務課で完了しています」
「ふん。最後まで言い訳か」
「言い訳というより書類上の確認です」
私は控えを一枚めくった。
「退職理由は一身上の都合。具体的には故郷の母が腰を悪くしたので家業の薬草園を手伝うためです。局長印もあります」
「そんなものは知らん!」
「あります」
私が書類の右下を指さすとそこにはしっかり局長印が押されていた。ダリウス様は目をそらした。
どうやら読まずに押したらしい。魔導局ではよくあることだ。
◇
この国ではたいていの人間にレベルがある。冒険者は魔物を倒せば上がるし役人でも勤務年数や功績でじわじわ上がる。
ただし私のレベルは一度も上がらなかった。
生まれてから二十八年ずっとレベル0である。体力は普通で剣は普通以下。走れば息が切れるし階段を三階まで上がる途中で書類を持ち替える。魔物退治に連れていかれたこともあるがスライムに足を取られて半日動けなかった。
要するに人としてはかなり弱い。
その代わり魔法だけは変だった。
火魔法レベル9。水魔法レベル10。風魔法レベル9。土魔法レベル10。結界魔法レベル8。治癒魔法レベル7。解析魔法レベル10。古代魔法レベル6。
人のレベルは0なのに魔法のレベルだけが勝手に育っていく。
そのせいで私は魔導局に拾われた。最初は便利係として壊れた結界を直し魔法陣の誤字を探し古い封印を読み解いた。ほかにも暴走した炉を冷やし雨漏りする資料室には防水魔法をかけた。
気づけば十年が過ぎいつの間にか同僚たちは私を賢者と呼び始めていた。
ただし局長だけはずっとこう呼んでいた。
「レベル0の雑用係」
役職名としては長い。
◇
「お前のようなレベル0を今まで置いてやっただけでも感謝するんだな」
朝礼室にダリウス様の声が響く。
魔導局の職員たちは微妙な顔をしていた。誰も手を叩かない。誰も驚かない。受付係のマリーなど私の後ろで小さく「昨日お別れ会しましたよね」とつぶやいている。
確かにしたしケーキも出た。
ダリウス様だけは呼ばれていなかった。呼ぶと説教が始まってケーキが乾くからである。
「リオネル。お前は今この瞬間より王立魔導局から除名だ」
「本日付で退職です」
「追放だ!」
「ではその認識違いも引き継ぎ事項に入れておきます」
「この私に逆らう気か!」
「総務課の処理に従っているだけです」
ダリウス様が机を叩くと私が昨日かけ直した脚の補強魔法が反応して机全体が青く光った。
かなり丈夫である。私の仕事は最後まで丁寧だ。
「とにかく出ていけ! もう戻ってくることは許さん!」
「承知しました。退職後の再雇用予定はありません」
「そういう意味ではない!」
どの意味なのか。
私は荷物を持ち上げた。荷物といっても鞄ひとつだ。十年働いたわりに私物は少ない。職場に置いておくとだいたい誰かの資料に埋もれるからである。
同僚たちがそわそわし始めた。
「リオネルさん、本当に行くんですか」
「ええ。馬車の時間がありますので」
「餞別は昨日渡しましたけどこれも」
マリーが差し出した小さな包みの中身はたぶん茶葉だ。彼女の机の引き出しからはいつもいい匂いがしていた。
「ありがとうございます。大事に飲みます」
「手紙書いてくださいね」
「薬草園の住所は帰ったら手紙で知らせます」
横から研究員のハルトが分厚い束を抱えてきた。
「これ引き継ぎ資料の追加です」
「私が書いた資料ですね」
「はい。私が理解できなかったところに付箋を」
束の半分以上が付箋で黄色かった。
「これは追加資料ではなく助けてくださいという悲鳴では?」
「助けてください」
「退職日に言わないでください」
私は鞄から薄い冊子を出した。
「解析魔法の基礎だけ別にまとめてあります。わからないところはマリーさんに聞いてください。マリーさんは見た目よりかなり読めます」
「リオネルさん、それ褒めてます?」
「褒めています」
マリーが腕を組むとダリウス様が咳払いをした。
「感動の別れを演じるな! こいつは追放されるのだ!」
「だから退職ですって」
職員全員の声が重なった。こういうときだけは妙に息が合っている。
◇
魔導局の玄関には見送りの人たちが集まっていた。
総務課長が退職証明書を渡してくれる。
「アークライトさん。こちら正式な退職証明です。失業手当は申請済みですがご実家の家業を手伝うなら商業組合への登録もお忘れなく」
「ありがとうございます」
「あと局長の発言は気にしないでください。あの方は追放という言葉が好きなので」
「好きで済ませていいんですか」
「済ませないための書類も準備しています」
総務課長は笑わなかった。ダリウス様より怖い。
その後ろでは研究員や受付係だけでなく魔導炉管理班と結界修復班の同僚たちも手を振っていた。十年いれば嫌なことも多く徹夜もした。理不尽な命令も受けたし書類棚の下敷きになったこともある。
それでもこうして見送ってくれる人がいるなら悪い職場ではなかったと思う。上司以外は。
「リオネルさん!」
新人の少年が走ってきた。
「これ返します!」
彼が差し出したのは古びた杖だった。
「それは君にあげたものです」
「でも俺まだ使いこなせなくて」
「なら持っていてください。使いこなせるようになるまで」
「いいんですか」
「杖は飾るものではなく使うものです。あと魔力を込める前に深呼吸。君は焦ると杖先が右にずれます」
「はい!」
少年が杖を抱えた顔を見ていると馬車の御者に呼ばれた。
「アークライトさん、そろそろ出ますよ」
「あ、はい」
私は同僚たちに頭を下げた。
「お世話になりました」
玄関先で皆が頭を下げ返してくれた。その向こうではダリウス様だけが腕を組んでいた。
「二度と戻ってくるなよ、レベル0」
「はい。退職ですので」
「追放だ!」
「では追放扱いにしたい場合は総務課に訂正申請を」
総務課長が一歩前に出るとダリウス様は口を閉じた。
私は馬車に乗った。
◇
故郷の村に着いたのは三日後だった。
王都から北へ向かう馬車で二日かかりそこから乗合馬車に半日揺られた。最後は徒歩になり荷物は少ないはずなのに坂道で肩紐が食い込んだ。レベル0の体は正直である。
村の入り口には古い木の看板がある。
『メルク村。薬草と山羊の村』
山羊が薬草より後ろに書かれていることに昔から山羊派の村人が不満を持っているがどうでもいい争いだ。
村に入るとすぐに幼なじみのナディアに見つかった。赤毛を後ろで束ね腕まくりをしている。昔から力仕事が似合う人だったが今は完全に村の顔役みたいになっている。
「リオネル!」
「ただいま戻りました」
「本当に帰ってきたんだね。王都で賢者になったって聞いたけど」
「人違いです」
「嘘つけ。村長が張り切って『うちの村から賢者が出た』って看板作りかけてたよ」
「止めてください」
「止めた。代わりに『レベル0帰郷』って書こうとしてたからそれも止めた」
「村長に会うのが怖くなりました」
ナディアは笑ったあと私の鞄をひょいと持ち上げた。
「軽いね」
「私には重かったです」
「昔から筋肉はなかったもんね」
「十年経っても育ちませんでした」
「魔法は?」
「育ちました」
「じゃあ十分」
雑な評価だが村ではこれくらいが楽だった。
実家の薬草園は村の外れにある。母は膝に毛布を掛けて杖を横に置き家の前の椅子に座っていた。以前より年を取ったと思う。手を振ろうとして途中で手首だけが動いた。
「リオ」
「母さん。ただいま」
「退職できたのかい」
「はい。円満に」
私が言うと母はうなずいた。
「ならよかった」
母は昔から細かい説明を求めないので助かる。
その日の夕方ナディアが村の掲示板から一枚の紙を剥がして持ってきた。
「これ王都から回ってきた噂なんだけど」
「何ですか」
「『レベル0の賢者、無能として魔導局を追放される』」
「早いですね」
噂の足は馬より速い。
私は紙を受け取った。書いたのは王都の三流瓦版らしい。字は大きく内容は雑だった。
『王立魔導局のダリウス局長がついに決断。長年居座ったレベル0の男を追放。局は新体制へ』
昨日まで結界修復の予定すら私の引き継ぎ資料に頼っていたのに新体制とは大きく出たものだ。
「追放されたの?」
「退職です」
「円満?」
「円満です」
「じゃあ何で追放って書かれてるの」
「元上司がそう思っているようです」
「面倒な人だね」
「はい」
私は紙をたたんだ。
「とても」
◇
退職後の生活は思ったより忙しかった。
薬草園の柵は傾き乾燥小屋の屋根は雨漏りして井戸の水路も詰まり気味だった。そのうえ山羊は薬草を食べるので本当に遠慮がない。
私は朝から土魔法で柵を直し水魔法で水路を洗い風魔法で乾燥小屋の空気を回した。
レベル0でも魔法は使える。むしろ王都の魔導炉より薬草園の方が魔法の使い道は多かった。
「リオ、これどうにかなる?」
隣家のおばあさんが割れた鍋を持ってきた。
「鍋は鍛冶屋に」
「そこを何とか」
「私は賢者であって鍋屋では」
そう言いながら金属補修の魔法をかけると鍋はくっついた。
「助かったよ」
「直火にかける前に一度水を入れて試してください」
「わかった」
次に村長が来た。
「リオネル、橋の結界を見てくれんか。山の魔獣が近くまで来たらしい」
「結界は一昨日直しました」
「ならついでに看板を」
「賢者看板は作りません」
「まだ何も言っとらん」
「顔に書いてあります」
その次に子どもたちが来た。
「賢者様! 火の魔法見せて!」
「薬草園では火気厳禁です」
「じゃあ水!」
「水路掃除なら手伝ってください」
「えー」
「魔法見学料です」
子どもたちは文句を言いながら水路の葉っぱを拾った。
魔導局にいた頃より誰かの役に立っている実感はある。ただし給料がないのは大きな問題である。
◇
魔導局から最初の手紙が来たのは帰郷して十日目で差出人はマリーだった。
『リオネルさんへ。退職後に局長があなたの机を別の研究員に使わせようとしましたが机にかけられていた自動整理魔法が持ち主以外の使用を拒みました。現在は書類が局長室の前に積み上がっています。解除方法を教えてください』
私は返事を書いた。
『机の右側面にある小さな魔法陣を三回叩いてください。ただし局長が叩くと反省文の下書きが出ます』
一週間ほど後にマリーから返事が来た。
『出ました』
何が出たかは書かれていないがたぶん反省文だ。
さらに三日後にハルトから手紙が来た。
『解析魔法の基礎冊子が役立っています。ただ局長が「レベル0の残した資料など使うな」と言ったので全員で表紙を変えました。現在は「局内標準解析手順書」という名前です』
名前を変えただけというところが実に魔導局らしい。
そのまた翌週に総務課長から正式な書簡が届いた。
『ダリウス局長より貴殿の退職処理を「追放処分」に変更したいとの申請がありました。却下しました。本人同意のない不利益変更はできません。念のため報告いたします』
私はその書簡を母に見せた。母は眼鏡をかけ直して読み終えるとぽつりと言った。
「暇なのかいその上司は」
「忙しいはずです」
「じゃあ仕事が下手なんだね」
「はい」
母は容赦がなかった。
◇
さらに一か月後にダリウス様本人が村へ来た。
村の入り口に豪華な馬車が止まり御者が困った顔で村人に道を聞いていた。村では珍しい光景なので山羊まで見に来ていた。
私が薬草を束ねているとナディアが走ってきた。
「リオネル、王都から偉そうな人が来た」
「偉い人ですか」
「偉そうな人」
「なら心当たりがあります」
村の広場へ行くとダリウス様が立っていた。王都で見たときより疲れているらしく髪も乱れている。高そうなマントには山道の泥がついていた。
「リオネル・アークライト!」
「お久しぶりです。局長」
「まだ局長と呼ぶか」
「退職済みですのでほかの呼び方がわかりません」
「ふん」
ダリウス様が周囲を見回すと村人たちが遠巻きに眺めていた。子どもたちは山羊の後ろに隠れているが隠れ場所としてはあまり頼れない。
「随分とみすぼらしい場所に落ちたものだな」
「故郷です」
「そのような村で薬草いじりとは」
「家業です」
「レベル0には似合いだ」
ナディアが一歩前に出ようとしたので私は手で止めた。
こういう人の相手は怒った方が負ける。ただしたまに怒らない方が疲れる。
「それで本日は何のご用件でしょうか」
ダリウス様は顎を上げた。
「戻ってこい」
「嫌です」
「まだ内容を言っていない!」
「戻ってこいと言いました」
「条件を聞け!」
「条件次第ではなく嫌です」
村人たちがざわつく中でダリウス様の顔が赤くなる。
「貴様、自分の立場がわかっているのか。私はお前を追放したが寛大にも復帰の機会を」
「私は退職しました」
「追放だ!」
「総務課が却下したはずですが」
「なぜ知っている!」
「本人に通知が来ました」
ダリウス様は口を閉じた。わかりやすい。
王都ではどうにかなっていたのかもしれないが村の広場でやるとかなり目立つ。
村長が杖をついて近づいてきた。
「リオネル。この方は?」
「元上司です」
「退職したのに追放したと思っている方か」
「はい」
村長の声がやけに大きいのはわざとかもしれない。
ダリウス様の眉が跳ねた。
「老人、口を慎め。私は王立魔導局の局長だぞ」
「そうか。わしはこの村の村長だ」
「村長ごときが」
「この村ではわしが一番偉い」
村長は胸を張った。
正確には村では山羊の群れの長の方が強いのだが今は黙っておく。
「リオネルはもう村の薬草師じゃ。王都に戻すつもりはない」
「薬草師だと? そいつは賢者だぞ」
「さっきレベル0には薬草いじりが似合いと言ったばかりでは」
「それとこれとは別だ!」
別らしい。実に便利な言葉だ。
◇
事情を聞くと魔導局はかなり困っていた。
魔導炉は調整できず結界修復の予定も遅れ古代文書の解析まで止まっていた。資料棚の自動整理も暴走して局長の机にだけ未処理書類を運んでいるらしい。
最後の件だけは私のせいではなくたぶん机の判断だ。
「お前が勝手に辞めたせいで局は混乱している」
「一か月前に退職届を出しました」
「私に相談がなかった」
「直属上司に提出しました」
「私は読んでいない」
「それは相談以前の問題です」
私は薬草園の木箱に腰掛けた。
ダリウス様は立ったままだ。座ればいいのに村人が用意した丸椅子を見下して使わなかったせいで足元の泥に片足を取られている。
高い靴は村道には向かない。
「戻れば追放を取り消してやる」
「退職を取り消すつもりはありません」
「給金は上げる」
「故郷に戻るための退職です」
「役職も用意する」
「母の腰は役職では治りません」
「王都で治療師を雇えばいい」
「母はこの村を離れたがりません」
「わがままだな」
ナディアが手に持っていた鍬を握り直したので私は今度も止めた。
鍬はさすがにまずい。山羊の群れまでじわじわ近づいているのもまずい。山羊はなぜか偉そうな人間に強いのだ。
「局長」
「なんだ」
「私は魔導局で十年働きました。仕事に不満がなかったとは言いません。でも得るものもありました。同僚にも恵まれました。だから手順を踏んで退職しました」
「……」
「追放されたつもりはありません。追い出されたとも思っていません。私は自分で帰ると決めました」
ダリウス様は腕を組んだまま何も言わない。
私は立ち上がる。
「戻りません」
「本気で言っているのか」
「はい」
「王都で賢者と呼ばれる身分を捨てるのか」
「村では鍋も直します」
「誇ることか」
「鍋が直ると夕飯が作れます」
村人たちがうなずいた。魔導炉より鍋の方が生活に近いというだけの話だ。
ダリウス様はしばらく黙ったあと低い声で言った。
「後悔するぞ」
「そのときは薬草茶を飲みます」
「そういう意味ではない!」
「では別の意味で後悔します」
ナディアが吹き出し村長も咳をした。たぶん笑ったのだろう。
ダリウス様は踵を返した。
「勝手にするがいい。レベル0などいなくても何とかなる」
「そうですね」
私はうなずいた。
「何とかしてください」
彼は振り返らずそのまま馬車へ向かった。
途中で山羊にマントの端を噛まれた。
「あっ」
村人の誰かが声を出した。
ダリウス様がマントを引くと山羊も負けずに引っ張り返し高級な布がびりっと嫌な音を立てた。
私は目をそらした。
村では山羊にも礼を尽くした方がいい。
◇
ダリウス様が帰ったあと村長が私の肩を叩いた。
「よく言った」
「疲れました」
「で、リオネル」
「はい」
「魔導局には戻らんのじゃな」
「戻りません」
「なら村の結界を正式に任せてもいいか」
「はい。できる範囲で」
「あと薬草園の看板じゃが」
「賢者看板は作りません」
「まだ何も言っとらん」
「顔に書いてあります」
村長は残念そうにした。
その日の夕方に私は薬草園の柵に新しい結界を張った。山の魔獣や害虫を防ぎ乾燥も抑える。ついでに山羊よけも入れた。
ところが山羊よけだけは失敗し山羊たちは普通に入ってきた。
「なぜ」
山羊は薬草の横で堂々と草を食べておりレベル0の私より肝が据わっている。その様子を見てナディアが隣で笑っていた。
「賢者でも山羊には勝てないんだ」
「相性が悪いだけです」
「レベルは?」
「0です」
「山羊は?」
「体感では8くらいあります」
「強いね」
強い。
私は結界の魔法陣を見直したが文字に誤りはなく魔力の流れも正常だった。それなのに山羊は通る。つまり山羊が結界を結界だと思っていないらしい。ひどい理屈だ。
◇
翌週王都から新聞が届いた。
『レベル0の賢者、追放ではなく円満退職だった』
見出しは大きくその下には小さくこう続いている。
『王立魔導局、引き継ぎ資料の重要性を再確認』
かなり柔らかい表現だった。
母は新聞を読み終えるとお茶をすすった。
「元上司はどうなったんだい」
「総務課長からの手紙では監査が入ったそうです」
「そうかい」
「あと局長室の机が未処理書類を吐き出し続けているそうです」
「机も働いているんだね」
「よく働く机です」
母は窓の外を見た。薬草園ではナディアが山羊を追い払っているが山羊は三歩で戻ってくる。やはり体感レベル8はある。
「リオ」
「はい」
「戻ってきてよかったかい」
私は新聞をたたんだ。
王都には大きな図書館も整った実験室もあった。魔導炉の低い音も夜遅くまで明かりのついた研究棟も嫌いではなかった。
ただ今の机には薬草の束があり窓の外には山羊がいる。台所では母の鍋が湯気を立てている。
「はい」
私は新聞を母に返した。
「ただし山羊よけ結界だけは未解決です」
「それは大問題だね」
「はい」
そこへ玄関の鈴が鳴ったので出てみると子どもたちが立っていた。
「賢者様! 魔法教えて!」
「薬草園の水やりなら」
「えー」
「水魔法の実習です」
「本当に?」
「本当に」
子どもたちは顔を見合わせたあとばけつを取りに走っていった。
二十八年間ずっとレベル0のままの私は杖を手に取る。魔法だけが勝手に育って賢者と呼ばれ円満退職したはずなのに追放扱いされて結局は故郷で水やりを教えている。
今日の予定表には薬草の乾燥、橋の結界点検、子どもたちの水魔法実習、山羊よけ結界の再検討が並んでいる。賢者の仕事として正しいのかはわからない。
少なくとも王都で未処理書類と戦うよりは健康にいい。
「リオネル!」
そのとき外からナディアの呼ぶ声が飛んできた。
「山羊がまた薬草食べてる!」
「今行きます!」
私は杖を持ったままナディアの待つ外へ出た。賢者の仕事は今日も多い。まずは山羊との交渉からだった。




