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【連載版】夫は私を湖に沈め初恋の令嬢を救った――そして私は家族を捨てる  作者: 雛雪


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9/11

第9話 ざまぁ

誤字報告ありがとうございます!(´▽`)

修正しました。

湖の出来事は、

そうして屋敷に静かに影を落としていった。


主を失った夫人の部屋の冷え冷えとした静寂が、

日ごとに伯爵の胸を突き刺す。


あの日、彼が信じた「真実」の輪郭は、

時間の経過とともに(いびつ)な違和感へと変貌していった。

 

きっかけはレディ・エレンが何気なく口にした、

あの日に関する些細な矛盾だった。


一度生じた疑念は彼の理性を執拗(しつよう)に削り取り、

ついに彼はあの日一番近くにいた侍女を呼び出した。


「隠さずに言え。あの日、水際で何を見た。

……私を(あざむ)くことは許さない」

 

伯爵の逃げ場のない問いかけに、

侍女はついに耐えきれず、

床に伏して泣き崩れた。


「お茶会の日、

旦那様が奥様を怪物のように(にら)みつけ、

『何を勘違いして取り乱しているんだ』と突き放された……。

あのお姿があまりに恐ろしくて、本当のことなど、

口が裂けても言えませんでした」

 

侍女は床に伏したまま、

震える声で続けた。


「湖で奥様の背中を押したのはエレン様の方です。

あの方は奥様を深い場所へ押し流そうと、

わざと一緒に飛び込んだのです。

……私だけではありません。

湖の番をしていた船頭も、

その光景を間近で見ていたはずです」


伯爵は自分の指先が血の気が引いたように

白くなっていくのを見つめていた。


自分が「理性」だと信じて疑わなかったあの言葉が、

実は真実を握りつぶすための、

最も卑劣な凶器だったのだ。

 

追い打ちをかけるように一通の書状が届けられた。


送り主はあの日から伯爵の傍に寄り添っている

「初恋の令嬢」の、かつての夫からだった。


封を切った彼の目に飛び込んできたのは

あまりに醜悪な「過去」の記録だ。


度重なる不貞と放蕩、

さらには虚言を弄して

他家の夫人を追い出した姦計の数々。


その書状は彼女が婚家を追われた理由が、

救いようのない不行跡にあることを

無慈悲に告げていた。


「……っ、うあああ!」


伯爵は喉の奥で、

獣のような(うめ)き声を上げた。

 

彼は震える指先でその書状を握りつぶした。


侍女の証言という「今」の悪意と、

元夫からの書状という「過去」の罪。


それらが重なり合い、

彼が大切に思っていた初恋の、女の正体が、

救いようのない「悪女」であることを

残酷に証明していた。



――「何を勘違いして取り乱しているんだ」


かつて妻を突き放した自分の声が、

今は呪いのように脳内で反響している。


勘違いをしていたのは、

取り乱して真実を見失っていたのは、

他でもない自分だったのだ。


彼は鏡に映る自分の、

あまりに無知で傲慢な姿を軽蔑の眼差しで

見つめることしかできなかった。


彼は隣の部屋でしおらしく待っていた初恋の女

レディ・エレンを呼びつけると、

その書状を叩きつけた。


伯爵が投げ捨てた書状が、

レディ・エレンの足元で白く散らばった。


文面を目にし、

一瞬、彼女の表情が氷のように固まる。

しかし、

次の瞬間にはあの日湖畔で見せたのと同じ

「悲劇のヒロイン」の涙がその頬を伝った。


「……嘘よ。

これは私を(おとし)めようとする元夫の卑劣な作り話だわ!

信じて、

あなただけは私の味方だと思っていたのに……!」


レディ・エレンは(すが)り付こうと手を伸ばしたが、

伯爵はその指先が触れることさえ拒絶し、

汚らわしい虫を払うかのように身を引いた。


その瞳に宿るのは三ヶ月前、

妻を決別へと向かわせたあの「軽蔑」だ。


今やその刃は正真正銘の悪女へと向けられていた。


「見苦しい。

その声も、その涙も、もう私の耳には届かない。

……護衛を呼べ。

この女を門の外へ放り出せ」


伯爵の冷徹な一喝に、

エレンの顔から血の気が引き、

やがてその表情は(いびつ)に歪んだ。


もはや「聖女」を演じる意味がないと悟ったのか、

彼女は低く、

野卑やひな笑い声を漏らした。


「……ふん、教養ある伯爵様が聞いて呆れますわ。

女の安っぽい涙に騙されて、

尽くした妻を自らドブに捨てたのはどこのお方?

あなたこそ、世界一の悪人よ!」


エレンは狂ったように嘲笑(あざわら)いながら、

従僕たちに腕を掴まれ、

引きずられるようにして書斎から連れ出された。


屋敷の廊下には彼女が毒々しく吐き散らす呪詛(じゅそ)と、

執念深い叫び声が長く尾を引いた。


バタン、と重厚な玄関の扉が閉まる音が響く。

 

それは、

この屋敷に棲みついていた「悪女」が

完全に放逐された合図だった。



レディ・エレンが去り、屋敷に静寂が戻った。


しかし、それは安らぎではなく、

取り返しのつかない過ちを犯した者たちへの、

罰のような沈黙だった。


伯爵の傍らにはレディ・エレンを慕っていた息子が、

力なく立ち尽くしている。


「……お父様、

………お母様はもうもどらないの?」


震える息子の問いに、

伯爵は答える言葉を持たなかった。



息子は母の部屋に入った。


机の上は整えられ、

引き出しの中には成長記録が一冊残されている。


『今日はアランが一人で詩を暗唱できた』

『文字の癖が、少し直ってきた』

『叱ったあと、きちんと謝れた』


どれも淡々と記され、

感情は文字に乗っていない。


だが、母の手の跡は確かに残っていた。


息子はページを震える指でなぞる。


あの時、彼の口から出た言葉、

「最低だ」が耳から離れない。


母に投げたあの言葉の重さが、

今さらのように胸に落ちた。



残ったのは、整った机と、

母が紡いだ日々の痕跡だけ。


息子の胸に深く刻まれるのは、

言葉が届かなかった事実と、

もう二度と戻らない時間の重さだった。


エレン令嬢?エレン元夫人?…悩んだあげくのレディ・エレン。

エレンはこの後、馬車に乗せられて弟の継いだ子爵家へ戻されます。が、弟は姉の醜聞を嫌がりお金を渡して追い出すと。

なんだかんだ要領の良いエレンは裕福な商家のオジサマを落とし、そこに収まります。

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― 新着の感想 ―
元凶のはずのエレンの「女の安っぽい涙に騙されて、尽くした妻を自らドブに捨てたのはどこのお方?」という台詞に妙にスカッとしてしまいました。 エレンだけがクリスチーナの献身を理解していたんですね… そうい…
色香に迷ってた伯爵はともかく、息子がエレン(父と同年代のおばさん)に懐いた理由がよくわかりませんが、まぁ他人の無責任な優しさが、成長を期待するが故の母の厳しさより甘く感じられたって事なのかな。
ざまあというより自業自得?これ、旦那様毒婦に騙されて糟糠の妻と離婚したって周りからヒソヒソされて、後妻が今後来ないならざまあかな。息子は可哀想だけど母の愛は無限じゃないし、女は顔じゃないことと言ったら…
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