第4話 遠くなった席
その日は特別な催しのある日ではなかった。
来客もなく、
祝宴も予定されていない。
いつも通りの夕食だった。
それでも朝から屋敷は少しだけ慌ただしかった。
夫が珍しく在宅で、息子も居る。
私は昼前に執務室で指示を出し、
厨房と給仕の配置を確認した。
席順はいつも通り。
そう思っていた。
夕刻、食堂に向かうと、
すでに夫とエレンが立ち話をしていた。
エレンは淡い色のドレスを着ていて、
華美ではないがよく似合っていた。
光を受けて柔らかく見える。
「夫人」
彼女は私に気づくと自然に微笑み、軽く会釈した。
私は頷き、席へ向かった。
そのときだった。
夫が椅子を引いた。
私がいつも座ってる席、
ー彼の隣の椅子だった。
「こちらへ」
それは誰に向けられた言葉か、
考える必要もなかった。
エレンは一瞬だけ戸惑ったように見えたが、
すぐに「ありがとうございます」と言って腰を下ろした。
動作は控えめで、
遠慮がちで、
だからこそ自然だった。
私は少し離れた場所に座った。
誰かがそうさせたわけではない。
ただ、
そこが「今の私の席」になっただけだった。
給仕が料理を運び始める。
誰も何も言わない。
私は椅子に座り、背筋を伸ばした。
言葉は喉まで上がった。
けれど口には出なかった。
ここで何かを言えば、私が狭量となる。
エレンは「体調を崩した客」になり、
夫は「配慮をした人」になり、
私は「それを咎めた妻」になる。
それだけのことだ。
食事は滞りなく進んだ。
エレンは食が細いふりはしなかった。
無理に笑いもしない。
けれど、夫の話にはよく頷き、
息子の言葉には目線を落として聞いた。
「学校ではどう?」
そう尋ねられた息子は少し照れたように答えた。
「……普通」
「普通、って言えるのは、ちゃんとしている証拠よ」
息子は嬉しそうだった。
私は黙ってナイフを置いた。
食事の後、息子はエレンの部屋を訪ねた。
「物語の続き、また話してくれる?」
そう言う声が私の部屋まで聞こえた。
「もちろん」
返事は明るい。
私は自室で、
その声が遠ざかるのを聞いていた。
扉を隔てた向こうからページをめくる音と、笑い合う声が聞こえた気がした。
翌朝、食堂に入ると、
エレンはすでに席についていた。
昨日と同じ場所。
夫の隣。
誰も席を確認しなかった。
誰も指示を待たなかった。
それが「決まった」のだと、
私は理解した。
息子は私を見ると一礼した。
丁寧で正しくて、
どこか距離のある仕草だった。
「行ってきます」
「ええ」
それだけで会話は終わった。
屋敷は今日も問題なく回っている。
帳簿も、采配も、
形式上は何一つ変わっていない。
それでも食卓の中心だけが、
確実に私から離れていった。
私はまだ何も失っていない。
そう思おうとすれば思えた。
ただ――
戻れる席が、
もう用意されていないことだけは、
はっきりと分かっていた。
なんか私、席の話ばかり書いてる気がする。
個人的にトラウマがあるのかしら?




