第2話 聞こえない足音
第3話は夜に投稿しますm(_ _)m
エレンが来てからも、
屋敷の一日は表向きには何一つ変わらなかった。
朝は鐘が鳴り、
使用人たちは持ち場へ散っていく。
朝食の支度が整い、夫は新聞を広げ、
息子は眠そうに席につく。
私はいつも通り少し遅れて席に着いた。
食卓に並ぶ料理を一目見て、
頭の中で確認する。
――焼き加減は問題ない。
――ソースは昨日より軽い。
――季節の果物は、息子の好みに合わせた切り方。
すべて私が指示した通りだった。
夫は私の采配に気づかない。
息子も気に留めない。
それでいい。
食後、私は執務室へ向かった。
帳簿を開き、昨日の支出と今日の予定を照らし合わせる。
そこへ家令が入ってきた。
「奥様、庭師の件ですが」
私は顔を上げた。
「南側の生垣ですね?」
家令は少し驚いたように目を瞬かせ、頷いた。
「はい。日照の関係で植え替えを検討しております」
「今は見送って。
秋口にもう一度判断しましょう」
理由を説明する必要はない。
家令は「承知しました」と一礼し、
迷いなく次の仕事へ向かった。
それがいつものやり取りだった。
昼前、執事が訪ねてきた。
「奥様、本日の来客ですが、予定より一刻ほど早まるとのことです」
「応接間はそのままで。
お茶を一度引いて、出す物は軽い菓子に切り替えて」
「かしこまりました」
執事は私の指示を疑わない。
それが正解だと知っているからだ。
エレンはその頃、庭を散歩していた。
白い日傘を差し庭師に声をかけ、
花の名前を尋ねている。
その姿は屋敷に不思議とよく馴染んでいた。
「奥様」
侍女が小声で言った。
「エレン様、昼食はご家族の皆さまと一緒にお取りしたいとのご要望です」
私は一瞬、考えた。
予定では客間で軽めの食事を取ることになっている。
だが拒む理由もない。
「分かりました。
席を一つ増やして」
それだけで配置は決まった。
昼食は滞りなく進んだ。
エレンはよく笑い、話題を選び、
誰の機嫌も損ねなかった。
夫は上機嫌だった。
「静養にはうちの屋敷が一番だな」
私は微笑んだ。
その言葉の裏に、
屋敷を回している人間の存在はない。
午後、息子が廊下で使用人に声を荒らげた。
「なんでまだ用意できてないんだ」
私は足を止めた。
「どうしたの?」
息子は少しばつが悪そうに視線を逸らした。
「……だって遅いから」
私は使用人を見た。
「理由は?」
「申し訳ありません。
別の用件を先に頼まれておりまして……」
「分かりました。
では次からは私に先に言いなさい」
それで終わりだった。
息子には何も言わなかった。
叱るほどのことではない。
背後でエレンが静かに息子の肩に手を置いた。
「待つのも大切よ」
その声は柔らかく、否定を含まない。
息子は小さく頷いた。
私はその様子を横目で見ただけだった。
屋敷は今日も問題なく回った。
帳簿も人も予定も、
すべて私の判断の上にあった。
それなのに、
夕方、ふと気づく。
誰も私に礼を言わない。
感謝されていないわけではないし、求めてる訳でもない。
ただ、
そこに私がいること自体が前提になっている。
それは以前から、そうだったはずなのに。
なぜかその日、私は少しだけ、
ー自分の足音が聞こえなくなった気がした。




