第10話 ラスト
辿り着いたのは海の見える小国。
朝の光がカフェの窓を透かし、
木の香りと潮の匂いが混ざり合う。
私は小さな店の扉を開き、
帳簿を開いた。
仕入れの交渉をし、
焼き上がったパンやケーキの温度を確かめる。
誰にも縛られず、誰の期待にも応えず、
自分の手で日々を回す労力は、
こんなにも穏やかで、
心地よいものなのだと改めて知った。
カウンターの向こうから、
常連客の笑顔が差し伸べられる。
「クリスチーナさん、このケーキは絶品です」
その何気ない一言が、
今の私にとっては宝石のように輝いた。
「あなた達の助けがあって、今があるわ。
感謝してるの。
どうぞ、召し上がれ」
何も持たない私を救ってくれたのは、
この国の人たち。
誰かの策略や計算ではなく、
ただおいしいと思った心が、真っすぐに伝わる。
それだけで、十分だった。
お昼過ぎ、潮風が店のカーテンを揺らす。
海は穏やかで、遠くの波音が小さく窓を打つ。
私はカフェの棚を整え、
焼きあがったケーキを一つひとつ並べながら、
深呼吸をする。
胸の奥にずっとあった重さが、
少しずつ、風と共に抜けていくのを感じた。
夕暮れ、
水平線の彼方に伯爵家の紋章を掲げた船が見える。
かつての湖の出来事、夫と息子の背中、
エレンの微笑み
――過去はすべて遠くで揺れている。
けれど、私は振り返らない。
その記憶がどんなに鮮やかであっても、
もう私の人生に介入できるものではない。
湖に沈んだあの日、私はすべてを終わらせた。
信じてくれなかった夫も、
私を遠ざけた息子も、
虚言に彩られた過去も、
すべて置き去りにした。
後悔は持ち主のもの。
私は背負わない。
夕陽が海面を黄金色に染め、
店の窓を赤く照らす。
私は一切れのケーキを手に取り、
香りを確かめ微笑む。
誰かに認めてもらうためではない。
ただ、私自身の手と心が作り出したものを、
静かに味わう。
――それだけで十分なのだ。
海風に髪を揺らされ、店の戸と窓を閉める。
遠くに見える船は、私の世界ではもう遠景のまま。
かつて支配され、背負わされ、傷ついた日々は、
すべて過去に沈んだ。
私は誰のものでもない。
誰にも縛られず、誰にも奪われず、自由に、
穏やかに、確かに生きる。
小さなカフェの一角で、
赤く染める光を受け、
今日も一日が終わる。
それは誰にも邪魔されない、
私だけの人生だった。
ー 完 ー
終わった_( _´ω`)_フゥ
恋愛要素、今までに2回入れてます。
でもクリスチーナ、鈍感だから…。




