「本当にあったかもしれない」部分
8話目の「本当にあったかもしれない」部分投稿。
「ある意味怖い話」部分は、来週頭に投稿予定。
「呪物」というものをご存じだろうか?
簡単に言うと、対象に不幸をもたらす、負の感情の詰まった「なにか」だ。
人工的に作られるものもあれば、自然発生してしまうものもあるが、どちらにしろ、それを効果的に使うにはかなりの制限がある。作っているところを人に見られてはいけないとか、真夜中の神社で儀式を行わなければならないとか、あるいは、相手に知られないよう対象の屋敷の敷地に埋めなければならないとか、相手の体の一部を埋め込まなくてはならないとか。
平安時代には、相手に対し呪物を使って呪いをかけることは重罪とされており、ことが露見すれば、たとえ上級貴族であろうとも手ひどい罰が与えられた。現代では、さすがに法律で罰せられることはないが、たとえば、頭に金輪をつけた白装束姿で夜な夜なわら人形に五寸釘を打ち込む姿を目撃されれば、近所の悪い噂の的になること請け合いだし、その後金輪際、周囲の人とまっとうな人間関係を結ぶことは不可能になるだろう。
このように、呪物を使った呪詛とは、使用がかなり面倒で、リスクも多い攻撃方法だ。にもかかわらず、千年以上前から現代まで、憎い相手にこの方法を用いて復讐しようとする人間が絶えないのは、直接手を下すことのない分、逮捕拘束されるリスクが低く、その上効果的に相手を弱らせられる、と信じられてきたからだろう。
なにしろ呪物は、一度しかけるのに成功しさえすれば、見つからない限り――場合によっては見つかってからもずっと――効果を発揮し続けるのだから。
国枝ゆいさんが「それ」を最初に見つけたのは、一人暮らしをしている女性専用ワンルームマンションの、クローゼットだった。
学年末の試験シーズンが終わり、新学年がはじまるまでの間の、いわゆる春休み中のことである。
久々に大掃除でもしようかと、とりあえずしまい込んでいたさまざまなものを収納から引っ張り出していたところ、クローゼットの奥からコロリと「それ」が転がり出てきたのだ。
なんだろう、これ?
長さ10センチほどの、細長い、小さな木箱である。細長い面の一つが蓋となっており、かぱっと開くようになっている。が、箱の上からなにやら流麗な書体で文字の書かれた和紙がぐるぐると巻き付けられ、厳重に糊付けされている。
開けちゃいけない、ってことなのかな?
わずかに眉間に皺を寄せながら、耳元でその箱を振ると、コトコトと中でなにか固いものがぶつかる音がする。
髪の毛とか、そういうものじゃないみたいだけど……まあ、いいか。きっとばあちゃんか誰かが、こっそり荷物に入れて寄越したんでしょ。
国枝さんは、田舎の、元は地主であった旧家の出身だ。
家族の、特に祖父母の世代はいまだに慣習だの習わしだのにうるさく、この令和の時代に生きていながら、やれ儀式だマツリだしきたりだと、なにかにつけて大仰で形式ばったイベントを実施したがる。彼女が進学に伴い、この都会で一人暮らしをはじめる時も、在所替えだ方違えだ産土への挨拶だと、数々の堅苦しい儀式を執り行おうとするのを無理矢理説き伏せ、振り切って上京してきたのである。
だから、その小箱はきっと、祖父か祖母が、「絶対に必要な」儀式のできなかったせめてもの代わりに、ということで、引っ越し荷物にこっそり忍ばせた「オマモリ」的なものに違いないと、そう考えたのである。
あの人達ときたら、本当に面倒臭い……。
しかめっ面でしばらくしげしげと手にした小箱を眺めた後、国枝さんは、それを無造作にゴミ袋へと投げ入れた。
彼女、そうした出自のため、幼い頃からわけの分からない儀式に無理矢理何度も引っ張り出されてきた。水を含ませたわら束でひっぱたかれたり、もうもうと立ちのぼるいやな匂いのする煙に頭を突っ込まれたりと、散々理不尽な目に合わされた。
おかげで、今ではすっかり「迷信嫌い」だ。
でもって、理不尽な目にあわされた後は、その腹いせに、決まって敷地内にある蔵の中にこっそり入り込み、見るからにおどろおどろしい、因縁話てんこ盛りの「モノ」たちをぶっ壊して回るのがお決まりだった。
そんな生活を送っているうち、「いわく付きのモノ」なんて、全てが単なるお飾りに過ぎず、壊そうが捨てようがなにも問題のない、ただの役に立たない古道具にすぎない、と思うようになった。神棚のご神体であろうと、仏壇に封じられていた古い位牌であろうと、情け容赦なくゴミに出してしまう、徹底的な無神論者となったのである。
全くもう、余計な手間をかけさせないでよね。
そう思ったきり、小箱のことなどすっかり忘れ……国枝さんは、授業にサークルにバイトに女子会にと、忙しくも充実した毎日を夢中で過ごしていた。
彼女が、再びその小箱のことを思いだしたのは、それから一ヶ月ほど後のことだった。
洗い物をしようと流し台に向かい、食器用洗剤の容器を持ち上げたところ、これがえらく軽い。あれっと思った直後、すぐにその原因に思い当たった。
そうか、昨日の晩、友達呼んでおうち焼肉パーティーやったから。油まみれの鉄板や食器を、誰かが大量の洗剤で流したんだ。
一度新聞紙なんかで油汚れを拭き取ってから洗えば、洗剤を節約できるのに……などと節約主婦のようなことを考えながら、流しの下の扉を開ける。
確か、まだ詰め替え用のボトルがあったはず……。
朽ちかけた古めかしい物置によく似た臭いに顔をしかめつつ、がさごそとタッパーに立ててある詰め替え品類をあさる。
と、その時だ。
収納の奥の隅に、何か細長い、四角いものが転がっていることに気がついた。
あれ?……なんだろう?
肩まで体を突っ込むようにして無理矢理手を伸ばし、どうにか指先が届いたところで、えい、と引き寄せる。
明るいところで改めて確認すると、それは以前、確かにみたことのあるものだった。
なにやら流麗な書体で文字の書かれた和紙がぐるぐると巻き付けられ、厳重に糊付けされた、長さ10センチほどの細長い木箱。
間違いない。大掃除の時に見つけた「オマモリ」だ。
あれ、でも、「あれ」はあの時、捨てたはずだけど……。
見つけて、こんなもの忍ばせてとむっとして……そして、確かにゴミ袋へ放り込んだはずだ。
それが戻ってきた?いや、まさか!
頭をよぎった考えを、ふん、と鼻で笑い飛ばすと、国枝さんは、手にしたその「オマモリ」を、ゴミ箱へ投げ入れる。
一つだけじゃ心配だからって、二つ忍ばせてたんだ。本当にあの人達ときたら……。
大仰にため息をつき、それから、ぐっと背中に力を入れて大きく伸びをすると、国枝さんは再び流しの前にしゃがみ込み、詰め替えボトルを探し始めたのだった。
それきりまた、「オマモリ」のことはすっかり忘れていたのだったが……これが3度目ともなると、いくら肝の太い国枝さんとはいえ、少々気になってくる。
次にその「オマモリ」を見つけたのは、それからまた一月ほど経った、初夏の日のことだった。
そろそろ暑くなってきたし、エアコンのフィルター掃除でもしておくかな、と思い立ち、椅子を持ち出して「よいしょ」とその上に立った、その時。
エアコンの上、普段生活しているだけでは決して目に入らない中央奥に、「それ」が無造作に転がっていたのである。
え、これって……。
眉をひそめつつ、手に取って、確かめる。
振るとコトコト固い音のする、片手に収まるほどの細長い木箱。
ぐるぐる巻きにされた上、固く糊付けされた、筆でびっしり草書体の文字の書かれた和紙。
間違いない。今まで二度、部屋の中で発見し、そのたび捨てたはずの「オマモリ」だ。
なに、あの人達、こんなところにまで仕掛けてたの?一体いくつ、この部屋に持ち込んだのよ!
最初国枝さんの頭に浮かんだのは、そんな思いだった。
が、すぐにおかしさに気がついた。
でもこれ……全然埃がついてない。
毎日忙しく暮らしているのを言い訳に、国枝さん、普段目にする机とか流しとか棚とかは(埃を払う程度に)掃除するものの、目につかない部分はほったらかしだった。だから――ズボラ自慢をしたいわけではないけど――エアコンの上ももちろん、うっすら埃が積もっている。
あの人達がここへ来たのって、引っ越してきた時だけだ。だったら……。
当然「オマモリ」も、全体がうっすら灰色になるくらい、埃をかぶっていなければならないはずだ。
なのに、見たところ、箱の四面はどれもざらりとした和紙の手触りのまま。何度かふっと息を吹きかけてみたけれど、どこからも汚いもやは浮き上がらない。
どうやらこの「オマモリ」、ごく最近――おそらくここ一ヶ月以内に、この場所に置かれたらしい。
ひょっとして、ひとりでにこの部屋へと舞い戻って……。
そう思いかけ、国枝さんは慌てて首を左右に振り、苦笑を浮かべた。
なに考えてんのよ、あの人達じゃあるまいし。こういう「もの」におかしな力なんてない、全ては迷信だって、分かってるでしょ?
持ち前の「迷信徹底排除主義」が顔を出した途端、国枝さんは冷静さを取り戻し、改めてしげしげと「オマモリ」に見入った。
あの人達が仕掛けたんじゃないとすると……持ち込んだのは、ここ最近、この部屋に出入りした人、ってことになる……。
学生の一人暮らしのワンルームマンションである。出入りした人間といっても、その数は限られている。
月に一度は様子を見にやってくる両親。サークルの先輩や、仲間達。いつも一緒に授業を受けている同級生。できたばかりの彼氏。みんな親しい、疑いを持つことすら申し訳なく感じてしまう人たちばかりだ。
あの中の誰かが、こんなわけの分からないものをうちに持ち込んでるとして、一体どうすればいい?いちいち聞き回るのも、おかしな話だし……。
「オマモリ」を前に、国枝さん、難しい顔でしばらく考えこんだのだった。
「ちょっとそれ、本当に大丈夫なの?聞いてる限りじゃ、すごくヤバいって!」
めちゃくちゃ深刻な顔で声をひそめたのは、同じサークルの「仲良し四人組」の一人、えりかだ。
「そうだよ!誰かが持ち込んだっていってたけど、本当にそうなの?ものすごく強い呪いのなんかで、勝手に戻ってきてるとかってことない?」
と、同じく四人組の一人、なおがとがめ顔になる。
「やめてよ。そんなバカなこと、あるわけないでしょ」
国枝さん、素っ気なく切り捨てるが、それでもみんな収まらない。
「うーん……。誰かが持ちこんだにしても、一応お祓いとかしてもらった方がいいんじゃないかな?その方が気持ち的にもすっきりするだろうし」
考え考え、無難な線を口にするのは、おっとりしてる分やや他の二人より冷静な、みのりだ。
「……そうかな?」
練習後のひととき、大学近くのカフェでお茶を飲みながら、ちょっと話をしただけなのに、みんながこれほどまでに食いついてくるとは思わず、国枝さん、ちょっと引き気味である。
だが、えりかは、そんな彼女の煮え切らない態度を目にして、ますますぐいぐいくる。
「絶対その方がいいって!あたし、いいお寺知ってるし。そこ、普通の寺なんだけど、そういう気持ち悪いもののお祓いとかしてくれるんだ」
「え、なんであんた、そんなお寺とか知ってんの?ものすごく意外なんだけど」
「あ~、前におばあちゃん家の物置で変なものが見つかったんだ。結構大きい箱に髪の毛みたいのがいっぱいに詰まってたとか」
「げええええっ!キモッ!」
「そうそうそうそう!それで、あんまりキモかったんで、お寺持ってって、お祓いしてもらった後、お焚き上げ?だっけ?焼いてもらったんだ。お線香の臭いに混じって、すごい変な匂いしてた」
「うえええ、やだやだ。そんな臭いとかかいだら、吐きそう!そういえば、変な匂いっていえば……」
国枝さんの相談そっちのけで、変な匂い談義を始める、えりかとなお。
夢中で盛り上がる二人をあきれ顔で眺めているところへ、みのりがそっとささやく。
「ゆいが、迷信とか馬鹿馬鹿しいって思ってるのは知ってるけど、一応、お祓いとか頼んでおいた方がいいんじゃない?それで見つからなくなったら安心できるし、それに、お祓いしないままでいたら、ずっとあーだこーだ言われるよ、あの二人に」
あー、そうだよね。どうしてやらないの、とか、早くやりなよ、とか、顔を合わせるたびうるさくせっつかれるだろうな……。
変な匂いの話で目をキラキラさせながら盛り上がっている二人を眺めながら、国枝さん、やれやれとひそかにため息をついたのだった。
ご住職様の読経が、延々と響く。
時間にして10分も経っていないはずなのに「こんなお祓いになんの意味もない、本っ当ばかばかしい」なんて思いが心にあるせいか、やたら居心地が悪い。
安くない「祈祷料」を払って、本堂の固い板張りの床の上、ご本尊様の前に座布団すらなく正座させられ、ムニャムニャハヒハヒとしか聞こえないお経を聞かせられていると、どうしても無理矢理参加させられた実家での数々の儀式を思い出してしまう。そのせいで、こちらからお願いして施してもらっている儀式なのに、神妙な顔をすることすら嫌になり、「もういいから、早く「オマモリ」焼いて終わりにしようよ」と、急かしたくなってしまうのである。
まだ?ああもう……早く終わろうよ、こんなこと……早く早く早く早く……。
永遠に続くかと思われる15分がようやく終わり、読経を終えたご住職が、ゆっくり背後に横一列に並んだ国枝さんたちを振り返った。
「では、これより御因縁物をお焚き上げさせていただきます。込められた負の思いが御仏の慈悲でほどけ、天に昇り浄化されることを、皆さんも心の中で強く念じてください」
本堂から廊下伝いに歩き、中庭に出ると、そこには黒く焼け焦げた太い丸太で四方を囲った「焚き上げ場」があり、その中で既に、柴がぼうぼうと炎を上げている。
ご住職は――便所サンダルを履いて!――その前に立つと、またひとしきりムニャムニャとお経を上げ、それから、ゆっくりと振り向いた。
「では、御因縁物をこちらに」
そこはやっぱり白足袋に草履じゃないんですか、便所サンダルじゃ、ありがたさも半減しちゃいますよ……などと思いつつ、ついつい漏れそうになる笑みを無理矢理抑え込んで神妙な表情を作り、風呂敷に包んで持ってきた「オマモリ」を、そっと手渡す。
ご住職は、再び焚き上げ場の方に向くと、大仰に「オマモリ」を捧げ持ち、深々と頭を下げた後、ひょいと火の中に放った。
和紙と木でできた箱はたちまち燃え上がり、焼け落ちて、中身を一瞬、垣間見せる。
え、なにあれ、やっぱり和紙に包んであったけど、骨?指の?
だが、詳しく見る間もなく、それは激しく上がる炎にまかれ、黒ずみ、焼け焦げて灰となっていく。
まさか……作り物だよね?いくらなんでも、本物じゃないよね?
燃え上がる炎と同じく、この件がはじまって以来初めて、国枝さんの心も揺らぐ。
とはいえ。
たとえ中身がなんであったとしても、くだんの「オマモリ」は火にくべて燃やしてしまった。
この目で灰になるのをしっかりと見たのだから、これで、絶対に戻ってくることはない。ないはずだ。
そう自分に言い聞かせはするものの、一抹の不安は残った。
もし、それでもまた、部屋の中で「オマモリ」が見つかることがあれば……。
いや、その時はその時だ。今からそんな、万が一にも起こらないようなことでくよくよしていたって仕方がない。
持ち前の強靱な精神で不安を無理矢理振り払うと、国枝さんは大きく深呼吸をし、一連のごたごたですっかりたまってしまった課題を片付けるべく、机に向かったのだった。
だが、やはりそれはまた、戻ってきた。
それも、いままでよりずっと、わかりやすい形で。
「オマモリ」のお焚き上げをしてから、2週間ほど経った、ある日の深夜のことだ。
家の鍵を開け、すべり込むように中に入った国枝さん、いつものように壁を手探りし、玄関の灯りをつけた。
ああ、喉渇いた。水がほしい……。
2次会までサークルの飲み会に参加したせいで、少々ふらつく足をなんとか操り、ワンルームマンションの短い廊下を奥へ。ガラス戸を開け、再び壁を手探りするようにして部屋の灯りをつけると、出て行った時と何ら変わらぬ見慣れた光景が目に映る……はずだった。
……え!?
国枝さんの目が、部屋のど真ん中の小さなテーブルに吸い付けられる。
部屋を出た時には確かに、その上にはなにもなかったはず。なのに、木目調の化粧合板製の天板の真ん中、一番目立つところに、あるはずのないものが――あってはならないものが鎮座している。
ほんのり赤くなっていた顔から、一気に血の気が引いていく。
おそるおそるテーブルに近づき、そこに置いてあるものを凝視する。
木製らしき長方形の小さな箱。びっしり筆文字が書かれた紙がぐるぐる巻き付けられ、糊付けされおり、振ると小さく、コトコトと音がする。
間違いない。あの「オマモリ」だ。
でも、あれは確かに、お寺に持っていって、お焚き上げしてもらったはず!
眉間に深い困惑の皺を刻み、震える指をおそるおそる伸ばして、「オマモリ」を手に取り、ゆっくりとひっくり返す。
ああ……!
国枝さん、万が一を思って、お寺に持っていく前、あらかじめ「オマモリ」の裏の隅に小さな星印を――魔除けの紋としてよく使われる五芒星を書いておいた。
それが、今手にしている「オマモリ」にも、自分が書いたのと同じ位置、同じ形で記されている。
お焚き上げしてもらって……燃えて消し炭になったのに、また、戻ってきた……。
愕然とした思いに身をこわばらせ、国枝さんは目を見開いたまま、ずっと立ち尽くしていたのだった……。