知り合い?
あるサラリーマンが、仕事帰りにスーパーで買い物を済ませ、いつものように家路に向かって歩いていた。
「……ん?」
何かが違う。いつも通りの道だが、空気が妙に重い。違和感がじわじわと彼を包み始めた。
すれ違う人々は、みな俯きがちで、不安そうな表情を浮かべている。彼らは、何かを避けるように視線を下げ、早足で歩いていく。その足音さえも急ぎ足のように聞こえる。
「なんだ……これは?」
サラリーマンはその異様な雰囲気に気づき、背筋に寒気を感じた。まるで、街全体が何かから逃げているかのように、誰もが避けるように道を進んでいる。
しかし、一体何が起きているのか、彼にはまだわからなかった。
信号の向かい側、歩道の奥で何かがキラリと光った。
——え?
最初は、大道芸人か何かだろうと思った。しかし、よく見ると、アレは芸やパフォーマンスをするわけでもなく、ただ普通に歩いている。
サラリーマンの目に飛び込んできたのは、全身がメタリックシルバーの異様な男。
遠くからでもその異常さが伝わってきた。彼の顔には、狂気じみた笑みが浮かび、サングラスの奥からはまるで視線が自分を射抜いているかのように感じられた。
その瞬間、胸がざわつき、不安が一気に膨らんでいく。
「……何なんだ、あれ……?」
思わず足が止まり、彼は男から視線を外せなくなっていた。
鳴り止まない本能の警告。
その男に対して、体が反応していた。サラリーマンは感じた。何か、絶対に関わってはいけないと。
男の周りを通り過ぎる人々も、みな見て見ぬふりをしている。誰もがわざと視線を避け、できるだけ遠くを通り過ぎようとしているのが明らかだった。
——絶対やばい。
最近ニュースで耳にした、流行りの強盗事件や高級車窃盗、そして話題の半グレ。そんなキーワードが、頭の中をぐるぐると駆け巡った。どれも危険で、関わりたくないものばかりだ。
あのメタリックシルバーの男は、まさにそうした危険と直結しているように見えた。胸がさらにざわつき、冷や汗が背中を伝う。
「……関わっちゃいけない……」
そう思いながらも、男の存在感は圧倒的で、彼から視線を外すことができなかった。
サラリーマンは心の中で焦りながらも、冷静に判断した。
家に帰るにはあの信号を渡らなければならない。しかし、あのメタリックシルバーの男の存在がどうしても気にかかる。胸のざわめきは、ただの直感ではないように思えた。
「……無理だ。あっちから行こう。」
彼は決断し、進路を変えることにした。男が向かっている横断歩道を避けて、別の横断歩道から遠回りして帰ることを選んだ。少しでもリスクを回避しようと、急ぎ足で歩き始める。
「……あっちの横断歩道から帰るか。」
そう自分に言い聞かせながら、サラリーマンは慎重に方向を変え、男との距離を保ちつつ、無事に家に帰ることだけを考えて歩き続けた。
「ああああぁあああッ!」
突然、あのメタリックシルバーの男が雄叫びを上げた。
——え!なんで!?
サラリーマンは驚き、思わず振り向いてしまった。その瞬間、全身に寒気が走った。
「——ッ!」
目が合った。
しかも、完全に目が合いっぱなしだ。
最悪なことに、男は手を振っている。めっちゃ手を振っている。まるで、知り合いにでも声をかけるかのように――いや、違う、これは絶対にヤバい。
「おおおおおおい!おいっ!」
サラリーマンは心臓が跳ね上がり、反射的に走り出した。信号無視だろうが、今は関係ない。
「やべえって!やべえって!」
胸のざわめきが一気に恐怖に変わり、足が止まらない。振り返ることすらできず、ただ全力で男から逃げようとした。
サラリーマンは全速力で走り出した。
こんなに必死で走ったのは、学生時代のサッカー全国大会以来かもしれない。しかし、それでも心の中には恐怖がこびりついていた。
だが、遠くにいたはずのメタリックシルバーの男のシルエットが、みるみるうちに大きくなっていく!
「早すぎる……何だあれ!?」
サラリーマンは目を疑った。
彼の走るスピードを遥かに上回るスピードで、男が近づいてきている。まるで、なんとかボルトのような短距離の速さなんて比べ物にならない。超人的な速さだった。
「まじやばい!!」
心臓が張り裂けそうになりながらも、サラリーマンは必死で足を動かし続けた。だが、背後から迫る圧倒的なスピードに、逃げ切れるかどうかの不安が頭をよぎる。
「おおおおおおぉおおい!待てよおおおおおッ!はっはっはっはっは!」
背後から、狂気じみた笑い声とともに、メタリックシルバーの男が迫ってくる。声がすぐそこまで来ている!
「う……うわああああぁ!」
サラリーマンは、もう後ろを振り返ることすらできない。全身が震え、足がもつれそうになるが、なんとか必死に走り続ける。
地獄が迫ってくる――それ以外に形容できない恐怖が、背中にじわりと迫ってくるのがわかる。頭の中はパニック状態。心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響き、息が切れそうだ。
「ああああああああ!」
全身が悲鳴を上げている。それでも、サラリーマンは走り続けるしかなかった。
そして、あっという間に追いつかれた。
サラリーマンは、もう逃げられないと悟り、覚悟を決めた。肩で息をしながら、恐る恐る振り返る。
「はぁ、はぁ……。何の、何のようで……すか?」
目の前に立つメタリックシルバーの男は、狂気じみた笑みを浮かべてサラリーマンを見つめている。瞳はサングラスの奥に隠れているが、その不気味な気配は隠しようがなかった。
サラリーマンは、男の出方次第で、即座に財布を放り投げて逃げる覚悟をしていた。
もう、ここで一切の揉め事に巻き込まれたくない。ただ、この異常な状況を何とか切り抜けたい、それだけだった。
「よう!久しぶりじゃああん!」
サラリーマンは、突然の大声にポカンと口を開けたまま立ち尽くしていた。しかし、メタリックシルバーの男はそんな彼を一切気にせず、ひたすらしゃべり始めた。
「俺だよ俺!忘れちまったか!?あ゛ぁん!?」
「い、いや……そんなの知ら——」
「ヴァイだよ!ヴァイ!」
サラリーマンは一瞬、頭の中が真っ白になった。
ヴァイ?その名前に聞き覚えは――いや、ない。まったくない。しかし、男は確信を持っている様子で、自分を知り合い扱いしている。
「ヴァイ……?」
心の中で繰り返しその名前を呟くも、何も思い出せない。だけど、この状況をどうやって切り抜けるか……それが今、最大の問題だった。
「てっきりあの女に殺されちまったかと思ってたゼェ〜?」
サラリーマンは完全に混乱していた。ヴァイは明らかに盛大な勘違いをしているが、どうにかして話を合わせないと、これ以上厄介なことに巻き込まれるかもしれない。
「大変だったんだぜぇ?お前のせいでよぉ〜!クライアントは金を渋るしよぉ〜、司法取引も有耶無耶にされちまってよぉ〜!」
ヴァイは、怒りとも興奮ともつかないテンションで、サラリーマンに話しかけ続ける。サラリーマンは、まったく覚えのない出来事に対して罪悪感すら感じ始めていた。
「そ、そ、そうか……それは大変だったね……。」
自分が何のせいなのか全く分からないが、相手を刺激しないように返事をする。ヴァイは気にも留めず、まだ熱く語り続ける。
「そうかぁ!生きてたか!やっぱあの時、『撃ち落とすべき』だったなぁ〜!」
ヴァイは狂気じみた笑みを浮かべながら、肩をすくめて笑った。サラリーマンは完全に状況に置いてけぼりだが、恐怖が支配しており、言葉を選ばなければならないと必死だった。
「このヴァイ様からよく逃げられたなぁ? あ゛ぁん?」
その言葉に、サラリーマンは冷や汗が止まらない。
逃げた?撃ち落とす? まったく身に覚えがないのに、ヴァイは何かの“再会”を心から喜んでいるように見える。
「え、ええ……そ、そうかも……ですね……?」
内心、混乱がぐるぐると渦巻きながらも、彼は何とか無難な返事を返した。
ヴァイはニヤリと笑い、サングラス越しにサラリーマンを睨みつけた。
「だいたいヨォ〜、サイト14がめちゃくちゃに――って……」
ヴァイは話しながら急に表情を曇らせ、サラリーマンの顔をまじまじと見つめた。数秒間の沈黙の後、彼の口角が再び上がり、狂気じみた笑みが戻った。
「お前誰だよ!? はっはっはっはっは!」
サラリーマンの心臓は一瞬止まりかけた。
今さら!? この状況の異様さに振り回されていたが、ようやくヴァイが勘違いしていたことに気づいたようだ。だが、その笑い声には危険な匂いが漂っている。
「え、いや……あの……ただの通りすがりです……!」
サラリーマンは慌てて弁解したが、ヴァイのテンションは一向に落ちる気配がなかった。
「はっはっは!そりゃ面白え!まぁいいや、久しぶりの再会ってことにしとくか!」
――やっぱりヤバい。




