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がんばれ!ミノタウロス君!

 魔王城、特務室。

 朝の空気がまだ薄く張り詰めている時間帯。




「おはようござい……」




 ミノタウロスが出勤したのは、いつもよりやや遅い9:30。

 朝イチで病院に行っていたためだが、そこまでの遅れではない。


 しかし、異変はすぐに感じられた。




 室長――エリシアの姿がない。




「……?」




 彼女の席には誰もおらず、PCのモニターは黒いまま。

 椅子も引かれたままで、湯呑みも空。

 エリシアが出勤していれば、コントローラーか何かが机に転がっているはずだが、それもない。




「朝からいない……?」


「休み、か……?」




 一瞬そう思ったが、連絡はない。


 ミノタウロスは肩をすくめ、自分の席に着くと、PCを起動。メールを開き、昨日の報告に返信を始めた。




 ——ガチャ




 扉の開く音。




 そして、それに続いて漂ってくる、妙にエリシアっぽい雰囲気。




 ミノタウロスは視線をモニターに向けたまま、条件反射で口を開く。




「おはようござ……」






 ——ちょぴちょぴちょぴ……






 おかしい。




 耳元で妙な音が跳ねる。水の中を歩くような、スライムの足音のような。


 それがどんどん近づいてくる。




 ミノタウロス、流石に振り向く。




「えぇ!?」




 そこにいたのは――




「ですわー!ですわー!」






挿絵(By みてみん)







 全長、本体の半分以下。

 頭身は3頭身程度で、やけに丸っこい。


 足元からは歩くたびに「ちょぴちょぴ」と謎の音が響き、何やらご満悦な様子で室内を歩き回っている。




 服装は、例の革ジャンだけ。




 しかし中身は完全にぬいぐるみ構造。もしくはウレタン系の何か。


 素材感がプニっとしており、明らかに“本来のエリシア”の気配とはかけ離れている。


 だが、なぜかサングラスを掛けており、「エリシアです!」とでも言いたげに胸を張っている。




「………………」




 ミノタウロスはただ無言で立ち尽くし、部屋全体が一瞬にして「誰……?」という困惑の空気に支配された。




「ですわー!ですわー!」




 ちびエリシアは、異常に短い腕をバンバンと机に叩きつけながら歩き回っていた。


 明らかに鳴き声っぽいテンションで、テンポも安定していない。


 座らせてみても、足が地面に届かずプランプランしており、足から謎の吸盤音が聞こえる。






 ????????????

 ????????????






 ミノタウロスの脳内が限界を迎えた。




「ええぇええぇ!?」




 思わず叫んだ彼は、混乱を振り払うようにスマホを取り出し、とりあえず“本物”へ電話をかけることにした。




 ——prrrrrr!


 ——ガチャ!




 開口一番、スピーカーから異様なノイズが飛び出す。


 バリバリッ……ジャラジャラ〜……ピロリン♪……何かの金属音や音楽っぽいものまで混ざっている。




「もしもしぃ!?なんですの!?」


「え、エリシア殿!?」




「忙しいんですのッ!」


「い、今どこに……?」




「えぇ!?いまパチ……魔界辺境の……海辺ですわ!!いま海辺のモンスター討伐を依頼されてるんですの!!」




 どう考えても音は海ではない。




 ジャラジャラ〜とか、ピロリン♪とか、明らかに光と音の演出が鳴っている。少なくとも波の音ではない。「チャンスゾーン感」がある。




「いや!なんか……ちっちゃいエリシアが!……エリシア殿がぁ!」




 ミノタウロスが叫ぶ横で、ちびエリシアは冷蔵庫の前でちょぴちょぴしてる。




 電話の向こうで、エリシアが大きな声で返す。




「影武者ですわ!あのねぇ〜私が城にいないとブツブツ言ってくる奴がぁ〜……うお!魚群!?……じゃなくてデスフィッシュの襲撃が!?ちょっと電話切りますわ!!」




 ——ブツッ!




 通話が切れた。




 残されたのは、部屋中を「ですわー!ですわー!」と言いながらちょぴちょぴ跳ね回る小さなエリシアと、呆然と立ち尽くすミノタウロスだった。




 多分、いや絶対に海物語打ってるな。




 だが、そんなことはどうでもいい。




 ——ちょぴちょぴ……




 ちびエリシアは冷蔵庫の前で、意味不明なテンションで足踏みしていた。




 ミノタウロスは一度深く息を吐いてから、決意したように着席。「放っておこう」と決めて、業務に集中する。




 ……が。




「キエェー!キエェーー!」




「……」




 やかましい。




「キエェー!!」




 あろうことか、本物のエリシア並みにうるさい。しかもこちらを直視しながら、奇声を張り上げている。




「……」




 バッチリ目が合う。

 なんでこっち見てる?何の圧?




 限界に達したミノタウロスは、再びスマホを手に取った。




 ——prrrrrr!


 ——ガチャ




 今度はさっきと打って変わって、やたらと静かな環境音。




「エリシア殿!?」


「なによ!?」




「いまどちらに!?」


「えぇ?えっと……補給物資の……」




 ——お待たせしましたー、チーズ牛丼の特盛でーす!




「……あ、そこ置いといて……で、なんですの!?」




 明らかにパチスロの合間に飯を食っている。


 何が「補給」だ。魔界辺境? どちらかと言えば社会の辺境である。


 だが、ミノタウロスは飲み込む。

 そういう場面はもう何度も経験している。




「……じゃなくて……なんかずっと『キエェー!』うるさいんですが……」




「えぇ?……むしゃむしゃ……ああ、それエサの時間でしょ?その辺のパンとかあげといて〜」




 ——ブツッ




 通話は強制終了。


 室内には再び「キエェー!キエェー!」の奇声が響き渡る。


 ミノタウロスは静かに立ち上がり、冷凍庫へ向かった。




「……ち」




 ——ガサゴソ




 とりあえず、海老グラタンを取り出して電子レンジにセット。


 召喚者不在の謎生命体に対し、できる限りの妥協策をとった。


 温まるまでの90秒、ちびエリシアはレンジの前で「ですわ〜!」と跳ね続けていた。




 結局、あのちびエリシア――いや、“それ”の腹の虫は、どうにか治まったようだった。




「……」




 ——ちょぴちょぴ




 黙って部屋の隅を所在なさげに歩き回る。


 一応エサとして海老グラタンを与えた効果か、いくぶん大人しくなった。




 とはいえ、完全に気を抜けるわけでもなく。




 ミノタウロスは自席に戻り、もう一度気を取り直してキーボードを叩き始めた。




 ——30分後。




「……」




 ——バン




 今度は無言で、ちびエリシアがデスクを叩き始める。




 ——バンバン!




「……ち」




 気にしないようにしていたが、回数が増えていく。




 ——バンバンバンバン!




「……」




 ——バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバン!




 最終的には、机が微かに振動するほど連打され――






「チョッギプルリイイィ!」






 知らない鳴き声が飛び出した。


 もはや何語なのかも不明。発声の仕組みが疑われるレベル。




「うるせえぇなあああ……もう……」




 限界に達したミノタウロス、再度スマホを握る。




 ——prrrrrr!




「エリシア殿……」


「はぁい……なんですの〜」




 今度は、明らかに気怠げなトーンで返事が返ってくる。背後は静か。というか、やたら静か。嫌な予感しかしない。




「い、今いいですか!?」


「なにぃ〜?忙しい……あぁん……ですの」




「なんか机とかバンバンしてて……」


「なにぃ?」


「いや、だから、その……ちびエリシアが……」




「そんなの知りませんわ」


「えぇ!?」




 製造元、まさかの「知らない」発言。


 まるで創造主が、被造物の存在そのものに興味を失っているような対応。




「いま何して……」




「いまさっきの戦闘で負傷したから……回復魔術を……もっと上……施してますの!」




「……」




 その言い方から察するに、多分マッサージだ。




 朝からパチ屋で海物語打って、すき家でチーズ牛丼食って、今はマッサージ中。




 業務:ゼロ。

 疲労:謎。

 回復:高級リラクゼーション。




「……」




 ミノタウロスは無言でスマホを伏せ、

 机に額を押し当てた。




「チョッギプルリイイィ!」




 後ろで響き続ける奇声に、胃がきゅうっと痛んだ。




 結局、電話の向こうでエリシアはこう言った。




「ほっとけば?」




 ——ブツッ。




 通話終了。




「……」




 ——キエェー!キエェー!




「……」




 ——よちゅんばい!よちゅんばい!




「……」




 ミノタウロスは、キーボードの手を止めずにじっと黙ったまま考えた。


 いや、考えるのをやめた。




 誰が、主人でもないのに四つん這いになって背中に乗せなきゃならんのだ。


 そもそも何語だ「よちゅんばい」って。イントネーションすら怪しい。




 ……無視しよう。




 決意を固めたミノタウロスは、「コレ」を完全に放置して、粛々と業務に集中することにした。




 そして——




 ——カチッ。




 壁の時計が17:00を告げる。




「ふう……」




 一息ついて背を伸ばす。




 皮肉な話だが、ホンモノがいない日の方が、格段に仕事が進む。




 ふと室内を見回すと、あれほど暴れていたちびエリシアの姿が見えない。




(あぁ、どっか行ったんだな)




 あまり深く考えず、鞄を肩に引っ掛けて退勤。

 ドアを開けて、廊下に出る。




 ——ベシャッ!




「うお!」




 足元を這いずったのは、カオススライム。




 魔王城ではよくあること。廊下やトイレに出ることも稀にある。




 ミノタウロスは慣れた様子で足を引き、カオススライムもまた、ねっとりとした目で睨むように彼を見たあと、ぬるぬると反対方向へ去っていった。




「ったく……」




 カオススライムは廊下の角を曲がる前にもう一回ミノタウロスを睨みつけて叫んだ。




 ——チョッギプルリイイィ!




「……」




 ミノタウロスは振り向かない。




 何も見なかった。

 何も考えない。




 ただ、無心で自宅への帰路についた。




 玄関のドアが閉まるまで、あの奇声はずっと響いていた気がした。




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