一大事
魔王城、特務室。
室長エリシアとその唯一の部下ミノタウロスは黙々と作業を進めていた。
今の議題は、地方都市への税率値上げ施行。そのための根回し。
役人、商工会、裏取引、教団のご意見番――全方向にケンカを売らずに済む案の調整に、時間はほぼすべて費やされていた。
そのとき。
——コンコン!
ドアをノックする控えめな音。
ミノタウロスが立ち上がり、ノブを回してドアを開ける。
そこには無機質な表情の重曹駆動兵――魔王城警備担当が立っていた。
「申し上げます!城のゲートにて、勇者パーティと思わしき数人の男女が言い争っている模様!」
ご丁寧な報告だが、つまり要約すれば――
「勇者が来たんで、処理お願いできます?」という依頼である。
ミノタウロスは無言でロッカーを開け、いつもの斧を取り出そうとした。
しかし――
「まだ突破されてないんでしょ?」
ピシャリと、背後からエリシアの声。
「え!?あ、はい、そうですけど……」
警備兵がしどろもどろになったところで、エリシアはペンを置き、紅茶を一口すすってから、目も合わせずに言い放った。
「じゃあ、突破されてから言っておくんなましね〜」
「……は、はい……」
ミノタウロスが無言で斧を戻す。
警備兵はどこか釈然としない顔のまま、ぺこぺこと頭を下げて扉を閉めていった。
室内には、再び静かな書類の音だけが戻ってきた。
窓の外で、どこか遠くから聞こえる「ヒヒイイイイィン!!」という嘶きが、むなしく空に響いていた。
結局、勇者一味は城門前で騒いだ挙句、騎士隊に取り押さえらた。
取り調べの末に全員が“非常に不穏な発言”を繰り返したとして――ミンチになった。
昼前。
魔王城、特務室。
今日も静かに、税制関係の精査と補助金配分の調整が進んでいた。
書類にスタンプ、転記、押印、スキャン、電子承認。ミノタウロスは黙々と働いていた。
そんな折――
——ギャアアアアアス!!
——ドガアアァン!!
——バラバラぁ!
突如、けたたましい警報音が鳴り響いた。
中庭の防衛センサーが反応し、緊急アラートが各部署に伝達される。
どうやら、中庭を通過中だった警備車両が、昼寝していたダークドラゴンの尻尾を、思いっきり踏んだらしい。
——グラグラ〜
目を覚ましたドラゴンの尾が暴れ狂い、そのまま石造りの城壁に直撃。
天井がわずかに軋み、埃がぱらぱらと降ってくる。
「おうっふ!?」
ミノタウロスが書類を庇うように頭をすくめ、天井を見上げる。
「エリシア殿!?鎮めに行かねば!?」
だが、室長席ではすでに様子がおかしい。
「……え?」
エリシアは、いつの間にか椅子を傾けて深くもたれかかっていた。
両手に持っているのは――Switchのコントローラー。
画面には、ガノンドロフとドンキーが壮絶な殴り合いを繰り広げていた。
「えぇ〜? まあ……そのうち収まるでしょ〜」
コントローラーをいじりながら、まったく動じる様子もない。
音量だけがなぜかやたら大きく、BGMが特務室の静寂を侵食していた。
ミノタウロスはちらっと画面を見て、「エリシア殿、ガノン使いなんですね」と言いかけたが、口を噤んだ。
結局、ドラゴンの怒りは自然と収まった。
いや、怒ってたのかすら怪しいまま、ぐるぐる巻いた尾を抱えてその場で思いっきり二度寝に突入。
城壁のヒビだけが、確かにあった出来事の名残を語っていた。
そして夕方。
魔王城・特務室では、相変わらず業務が続いていた。
「……」
「……」
——カタカタ
キーボードと紙の擦れる音。ミノタウロスの重い呼吸。静かな時間。
その空気を破るように、ドアが静かに開かれる。
顔を覗かせたのは、他部署のサキュバス職員だった。
「エリシア様」
「なんですの?」
ぶっきらぼうに返したエリシアは、姿勢を崩したままモニターを眺めていた。
サキュバスは扉越しに声を潜める。
「ドルイド君……って、成人済みですよね?」
ドルイド君。
少年のような中性的ルックスと、草の匂いがするような存在感。
別部署に所属している若手職員で、たびたびサキュバスたちの「おもちゃ」扱いをされがちである。
エリシアはペンを止め、顔だけ上げた。
「ええ、あんな見た目ですけど、成人してますわ」
「ああ、よかったぁ〜」
どこか安堵したように呟きながら、サキュバスは扉を閉めた。
閉める時に一言呟いた。
「じゃあタバコ吸っても良かったんだ」
——バタン
その瞬間、エリシアが椅子から跳ね起きた。
背筋がビンッと伸びたと思ったら、スライド移動でデスクから抜け出し、一目散に部屋を飛び出す。
——ドドドドド〜!
「!?」
ぽかんと見送るミノタウロス。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
ちなみに、その時リフレッシュルームでは――
ドルイド君がひとり、窓辺でcbdを燻らせていた。
タバコに見えるが、実際は合法植物由来のリラックス用。身体にも優しい。
だが、エリシア的にはそういう問題じゃない。
「けしからん!!煙を……吸ったりぃ〜吐いたり〜っ!!」
理屈も法令も全て吹き飛ばして、エリシアは勢いのまま彼のskew——つまりCBDデバイスを没収。
「どうして……なぁ〜んだ?」
ぽつりと呟くドルイド君。
彼の視線の先には、skewを持ったままぷりぷり怒って引き返す室長の背中があった。




