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聖騎士の選択

 対魔王軍組織ユニオン。




 大陸北部、フィレット教国の城塞都市の奥深くにその本拠地はあった。堅牢な石造りの本館には、昼夜問わず報告と指令が飛び交う。


 廊下を歩くのは聖職者、戦士、学者、そして軍務官たち。誰もが疲弊した表情を浮かべながらも、使命感だけを支えに動いていた。




 その中心で、理事席に座すひとりの女性。



 聖騎士。




 人類が誇る最強の盾にして刃。戦場では幾千の魔族を斬り伏せ、平時には教国の象徴として民に希望を与える。白銀の鎧を纏うその姿は、まるで神話の再来のようであった。




 だが、その彼女はいま、戦場でも演壇でもなく、フィレットを離れていた。




 行き先はルクレシア王国の交易都市――サンセット。




 そこは光と喧騒が渦巻く都市。人も物も金も、時に魔族すらも交じり合う混沌の街。




 聖騎士がそんな場所に現れたとなれば、当然、通りの誰もが目を見張る。


 だが彼女は気にも留めない。


 馬車を降り、ブーツの音を響かせながら石畳を歩く。その足取りは迷いがなく、周囲の喧噪すら祈りの静寂に変えてしまうほどの威圧感があった。




 目的は、冒険者ギルドとの打ち合わせ。




 魔王軍の残党がサンセットの地下に潜伏しているという報告が上がっていた。ギルドとの協力体制を確認する。それが彼女に与えられた任務だった。




 それから数時間後。




 ギルドでの打ち合わせは驚くほど順調に終わった。




 地図を広げ、報告経路を確認し、魔王軍残党の目撃情報を共有する。手際よく書面をまとめると、聖騎士は軽く顎を引き、厳かに頷いた。




「協力感謝する。では本部には報告しておこう」




 ギルド長は慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。




「ありがとうございます。こちらこそ、光栄でございます!」




 椅子を引く音が木造の部屋に響く。


 その瞬間まで、誰一人として気を抜くことはなかった。彼女の前では、空気すら背筋を伸ばしている。




 そして、帰り道。




 ——コツ……




 石畳に響く音がひとつ。

 聖騎士の足が、不意に止まる。




「……」




 通りの向こう。

 小さな店から漂う湯気と香ばしい匂い。

 あたたかい白煙の中に、長蛇の列。






【551の蓬莱】






 その文字を見た瞬間、聖騎士の瞳がわずかに揺れた。




「……」




 聖職者としての威厳か、それとも人としての欲か。

 彼女はいま、己の信仰心と食欲の狭間で戦っていた。




 お土産に豚まんを——




 買って帰るべきか否か。




 ——いらっしゃいませー!


 ——シューマイ!シューマイいかがですかー!


 ——はい豚まん10個ですねー!




 通りの活気が、彼女の理性を削る。




「ふむ……」




 そして、脳内に広がる——妄想。






【551がある時】






 ——ワアアアアアアアアアァ!!


 ——うおおおおおおぉぉぉぉぉ!!




 フィレット本部。


 タクシーから降り立った瞬間、要塞の屋上から祝砲が鳴り響く。


 兵士たちの歓声。光の魔法で空に文字が浮かび上がる。




「551万歳!!」




 ——バサァッ!!




 巨大な垂れ幕が降ろされる。




【ようこそ、豚まんの英雄!】




 ——ドドドドドド……!




 若きソルジャー候補生たちが駆け寄る。

 訓練を放り出し、涙目で敬礼する者までいた。




「買ってきたぞおおおおおおおおおお!!!」




 聖騎士が叫ぶ。

 その声は空を震わせ、鳩が一斉に飛び立った。




「聖騎士様バンザイ!!」


「お母さんて呼んで良いですかぁ!?」


「もちろんだとも!!」




 ——ワーワー!


 ——キャーキャー!




 歓声の中、聖騎士は誇らしげに微笑む。

 そして——




 豚まんをひとくち。




 肉汁が溢れ、湯気が頬を撫でた。

 その瞬間、世界が平和に満たされる。




「……これが……平和の味……」




 可愛いソルジャー候補生たちが、その光景を見て涙ぐむ。

 彼女は神に仕える身でありながら、豚まんにも仕えていた。




 妄想はさらに深まる。






【551が無い時】






 ——ドヨオオオオオオオォン……




 重い空気が漂うフィレット本部前。


 タクシーを降り立った瞬間、聖騎士の表情が凍りついた。


 空気が淀んでいる。


 門をくぐると、そこら中に黒い渦巻きのエフェクトが漂い、魔力の残滓が揺らめいていた。




「げへへへへへ……」


「ふひ……ふひひひひ……」




 人類の希望を担うはずのユニオン本部、その中庭でマリファナをふかす不審者たち。


 床にはゴミが散乱し、掲示板は落書きだらけ。


 壁にはドス黒いカオススライムが貼り付き、静かに蠢いていた。


 廊下を進むと、少年ソルジャーたちが壁にもたれ、虚ろな目で項垂れている。


 乾いた笑い声が時折漏れ、床には食べかけのカップ麺と壊れた端末が転がっていた。




 ——ぴろんポロん……


 ——ぎいいぃいぃい……




 調律の狂ったピアノとバイオリン。


 音の正体は、食堂の片隅で誰かが弦をいじっている音らしい。


 その周囲では黒装束の集団が十字架を掲げ、無言のままゆっくりと行進していた。




 聖騎士は唖然としたまま立ち尽くす。

 そのとき——




 何やら風呂敷を抱え、出口へ向かう人影が。




「え、エリシア!?」




 聖騎士は慌てて駆け寄る。




 ——ガラガラ。




 風呂敷からガラクタがこぼれ落ちるのも気にせず、理事エリシアは首だけこちらに向けた。




「なんですの……?」




 その声は乾いていた。

 目の下には深いクマ。


 かつての輝きはどこへやら、彼女は魂の抜けた顔で返す。




「いや、なんだこの有様は!?」


「知りませんわ。てか、ユニオン解散で」




「えぇ!?」


「お金が無いんですの。夕食に豚まんも出てこない組織に人なんか集まりませんわ」




「ええぇ!?」


「じゃ……またどこかで」




 ——ガラガラ〜。




 エリシアはゾンビとすれ違いながら、重たい風呂敷をずるずると引きずっていく。


 通路の奥では、誰かが「551……551……」と呟きながら壁に文字を書き続けていた。




 聖騎士は立ち尽くしたまま、呟いた。




「……551が、無い時……」




 その声は、かすかに涙で震えていた。




 ——そして現実に戻る。




「ハッ!?」




 頬をなでる湯気の匂い。

 視界の先には、次々と売れていく豚まんの山。

 列は絶えず、店員の声が途切れない。




「……」




 彼女は無言のまま、小銭入れを握りしめた。

 ほんの数秒の逡巡。




 そして——




 その後、ユニオン本部。






「あれぇ!?どーしたんですの!?その箱は!?」






 会議室の扉を開けた瞬間、エリシアが犬のように駆け寄ってきた。




 尻尾こそないが、動きは完全にワンチャンである。

 聖騎士は鬱陶しそうに眉をしかめ、腕で距離を取る。




「出張のついでだ……邪魔だ退け」


「えぇ?もしかして551?551ですわね!!」




「お前のじゃ無い。訓練生に配るんだ!」


「20個しかありませんわね!」




「……残り少なかったんだ!邪魔だ!鬱陶しい!」


「じゃあ……オキニの子にあげるんですのね!推し活ですわね!!」




「……うるさい」


「どの男の子がお気に入りなんですの!? あ、でも、誰に豚まんあげたかで分かっちゃいますわね!」




「黙れ。叩き斬るぞ」


「おほほほほ〜」




 エリシアの笑い声が廊下に響く。




 聖騎士は肩を落とし、ため息をひとつ。

 足早に自室へと向かう。




 部屋に入ると、静かだった。




 冷蔵庫の扉を開け、白い箱をそっと中に置く。

 光が反射して、赤い「551」の文字が微かに輝いた。




「……あ、醤油」




 聖騎士は財布を持って、ユニオンの売店に向かうのだった。




 おわり



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