宇宙の掃除屋
宇宙エリア某所。
――ゴウン……ゴゥン……
漆黒の宇宙を、ゆっくりと進む一機の大型輸送船。
船体の側面には、擦り切れた企業ロゴと無数の修復跡。
推進器から吐き出される青白い炎が、虚無の海に細い光の尾を描いていた。
――シュウウウウゥン……
その後方、航跡をなぞるようにもう一機の小型スペースシップが忍び寄る。
通信も、ビーコンの反応もない。
ただ沈黙だけが、闇の中で不気味なリズムを刻んでいた。
――ピッ
――スッ
――カチャカチャ……
操縦席に座る男の手が、スイッチを迷いなく叩いていく。
金属光沢を帯びた指先が反射するたび、コックピット内に青い光が点滅した。
男の名はヴァイ。
全身がメタリックシルバーの義体で構成された、電脳化率99%の男。
その瞳には、視界情報を制御するHUDが常に重なり、黒いサングラスはもはやファッションでしかなかった。
無言のまま、ヴァイは端末を操作する。
眼球の微細な動きに連動して、照準マーカーが大型輸送船のハッチを捕捉した。
――ゴウン……
やがて重い音を立て、輸送船の後部ハッチがゆっくりと開く。
内部には補給物資、貨物コンテナ、そして……数十体の冷却カプセル。
それらすべてが、月明かりのような反射光に照らされていた。
――パリッ……
緊張の張りつめた空気を破るように、隣のシートから小さな音が響く。
エリシアがポテトチップスの袋を開け、無造作に一枚を口へ運んだ。
その何気ない仕草だけで、金属の密閉空間に生活の匂いが戻る。
「仕事の時間だぜ」
ヴァイの低い声が、機械的な反響を伴って響く。
「そうですわね」
エリシアは短く答え、立ち上がった。
銀色の外装に光が走り、彼女の影が壁面を滑る。
――スチャ……
腰のホルスターから、デザートイーグル.50AEを抜き取る。
金属の冷たさが指先に吸い付く。
彼女はそれを軽く振り、装填を確認すると口元に薄く笑みを浮かべた。
とある大企業のトップからヴァイに連絡が入ったのは、ちょうど24時間前のことだった。
冷たい電子音とともに起動した通信端末の向こうで、ノイズ混じりの重低音が告げる。
大型輸送船が、突如として正体不明の生物に襲撃されたという。
ミュータント。
それは、単なる異形ではなかった。
観察した対象の外見を完璧にコピーし、声も、仕草も、会話のテンポすら模倣する。
相手が警戒を解くその瞬間、喉笛を裂き、肉を貪る。
そして、その肉片から新たな“自分”を生み出す。
救助要請の通信が入ったのは、その直後だった。
だが、そのSOSが本物かどうかもわからない。
人間の声を真似たミュータントの仕業、そう考えるほうが自然だった。
事態を隠蔽しなければならない大企業は、報道を完全に封鎖。
同時に、公式の救助隊を出すことも避けた。
信用の失墜を恐れ、彼らが選んだのは、汚れ仕事の専門家。
宇宙を股にかける殺し屋――ヴァイ。
依頼の内容は明快だった。
“ミュータントの完全抹殺”
“生存者の口封じ”
つまり、誰も生きて帰すな、ということだ。
――カチャ。
武装ラックのロックを外し、ヴァイは静かに武器を装着する。
銀色の義手が淡々と弾倉を装填し、ホルスターの留め具がひとつずつ閉じられていく。
「生存者は……無しだそうだ」
低く、乾いた声。
それは任務開始の合図でもあり、死の宣告でもあった。
エリシアは膝に置いていた拳銃を持ち上げ、わずかに首を傾ける。
「あら、そうですの」
その声音には、一片の驚きもない。
ただ、理解だけがあった。
つまり、もし“人間”を見つけても、それは人間ではない。
そして、撃たねばならない。
――ウィイイン……
金属の摩擦音とともに、格納庫のハッチがゆっくりと開いた。
薄暗い照明の中、スチームの白煙が地面を這うように広がっていく。
焦げたオゾンの匂いが漂い、静電気が肌を刺す。
――カツ……コツ……
二人の足音が、硬質な床に冷たく響いた。
ヴァイとエリシアは無言のまま並び立ち、互いに短く視線を交わす。
「俺はこっちから回る」
「じゃ、私はあっち」
言葉はそれだけ。
どちらも相手を見ようともしない。
それが彼らにとっての信頼の形だった。
――コツコツコツコツ……
ヴァイが進む通路の奥から、急ぎ足の音が近づいてくる。
暗闇に点在する非常灯が、断続的に赤く点滅していた。
陰影の合間を、何かが駆け抜けてくる。
「……」
ヴァイの表情は変わらない。
依頼主は「生存者ゼロ」と言った。
――コツコツコツコツ!
「救助隊か!? 助けてくれ!」
薄汚れた作業服の男が、顔を歪めて走ってくる。
油まみれの手、疲弊した目。
一見すれば、ただの生存者にしか見えなかった。
「ああ、助けに来たゼェ〜?」
ヴァイは口角を上げ、陽気に両手を広げた。
その笑みは、どこか演技じみていた。
「本当か! 助かった!」
男の表情が安堵に変わる、その刹那――
――スッ。
ヴァイの右腕が、滑るような動作で腰のホルスターから「Big Iron」を抜いた。
光沢を帯びたリボルバーの銃口が、男の額を正確に捉える。
「な、なにを……」
「助けてやるよ」
――パアアアアアァアァン!
轟音とともに、閃光が通路を貫いた。
男の頭部が弾け、血と灰色の粘液が霧のように舞う。
――GYAAAAAAAAAAAAA!
倒れ込んだ肉体の表面がぶくぶくと泡立ち、人間の皮膚が溶け落ちていく。
その下から現れたのは、ねじれた骨格、節くれ立った爪、そして触手の束。言葉の意味すら拒絶する異形の塊だった。
「きめえ」
ヴァイは吐き捨てるように言い、リボルバーのシリンダーを回転させる。
――カチャリ。
弾倉の重みを確かめ、何事もなかったように通路を進む。
足音だけが、静まり返った船内に規則正しく響き続けた。
――コツ……コツ……
金属製の床を叩く乾いた足音。
それはヴァイのものとは明らかに別。
通路の右側、交差点の先から近づいてくる。
――スッ
ヴァイは反射的に体を壁際へ滑らせ、銃を構えた。
呼吸を殺し、音の方向に照準を合わせる。
赤く点滅する非常灯が、狭い通路の角を断続的に照らす。
――コツ……
――ヌッ
影が現れた瞬間、ヴァイの指が引き金にかかる。
しかし――
「……ッ!」
銃口が一瞬、上に跳ね上がる。
彼は狙いを逸らした。
「なんだ、お前かよ」
その声に、現れた影がわずかに肩をすくめた。
エリシアだった。
彼女もまた、こちらに銃口を向けないよう、自然に腕を下ろしている。
互いの動きは無駄がなく、まるで長年の経験で出来上がった呼吸のようだった。
「あら、何匹処理しましたの?」
「まだ一体だ」
「そうですの」
「ああ」
わずかな会話だけを残して、エリシアは踵を返す。
――チャキ。
その瞬間、背後で金属の重い音。
ヴァイのリボルバーが再び構えられていた。
銃口がエリシアの後頭部を捉えている。
立ち止まるエリシア。
わずかに首だけを傾ける。
「本物ですわよ」
「どうかなぁ〜?」
ヴァイの口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
そして、マジで引き金を引いた。
――パアアアァアァン!
閃光が走る。
だが、弾丸は空を切った。
彼女の頭は、そこにはなかった。
「……」
――チリィン。
薬莢が床に転がり、乾いた音を立てる。
「だから本物ですってば!」
不機嫌そうに振り向くエリシア。
頬にかすかに風を受けた跡があり、金色の髪が揺れていた。
「そうみてえだな」
ヴァイは肩をすくめ、銃をホルスターへ戻す。
そのまま、何事もなかったように歩き去った。
背後で、エリシアがため息をつく気配。
発砲音の瞬間にしゃがんで避ける。
そんな芸当ができるのは、宇宙を見渡してもエリシアくらいだ。
それが彼女流の「証明」だった。
――ピッキュウウウウゥン……
大型輸送船の内部に、断続的な銃声が響いていた。
それは救難信号ではなく、生存者の合図でもない。
ただの“掃除”の音だった。
ヴァイが通路の陰から撃ち抜けば、別の区画でエリシアの銃声が応える。
互いに姿を見せることもなく、音だけで状況を共有していた。
そこら中に散らばるミュータントの死骸は、肉と金属の中間のような質感で、焼け焦げた臭いを放っている。
人間だった頃の名残をわずかに残しつつ、もはや何の痕跡もなかった。
今のところ、二人の脳裏に浮かぶ“不純物”――つまり、撃つべきか迷う“本物の生存者”の存在は確認されていない。
結局のところ、乗務員たちはすでに全員が食い尽くされ、
その姿も声も、すでに敵のものとなっていた。
――ピッピ。
静寂を破る通信音。
エリシアのスマートウォッチが光を放ち、小さなホログラムが浮かぶ。
『ゲームは終わりだ。食堂に集合』
低く、乾いたヴァイの声。
『本当に全部?』
『ああ、サーモも使った。反応はない』
『ダクトも?』
『あたりまえだろ』
――スッ。
エリシアは短く頷き、銃をホルスターに戻す。
薄暗い通路を抜け、赤い非常灯の光を背にして歩き出した。
その足音は、金属を叩く規則的な音だけが響いていた。
一方その頃、食堂区画。
――ジュポ。
――フウううぅ……
ヴァイが紫煙を吐き出した。
空調の効かない密閉空間に、甘く焦げたような煙がゆっくりと溜まっていく。
天井の火災報知器には、見事に穴が空いていた。
もちろん、彼が静かに休憩するためにした“合理的な処置”である。
テーブルの上には、冷えたコーヒー缶と弾薬箱。
その隣に、マクドナルドのロゴが印刷された段ボールが積まれていた。
ヴァイは鼻を鳴らし、煙草を指で弾いた。
「……こんなもん積んでやがったか」
ハンバーガーの香りが、わずかに宇宙船の焦げ臭さを打ち消す。
彼は煙をもう一度吐き出し、
まるで戦場を前にした兵士のように、静かに目を細めた。
――コツコツ……
静まり返った食堂に、規則正しい足音が近づいてくる。
金属床を叩くその響きが、やがてヴァイの耳に届いた。
彼はテーブルの端に腰を下ろしたまま、煙草をくわえていた。
火はすでに落ちているが、癖でそのまま口に残している。
「意外と味気なかったですわね」
エリシアが姿を現した。
50AEをクルクル回しながら歩いてくる。
「じゃ、帰る――」
ヴァイがそう言いかけた、その時。
――コツコツ。
別の方向から、同じ音が響いた。
それはまったく同じテンポ、同じ音質。
まるで録音された音を再生しているかのようだった。
(どこに隠れてやがった?)
ヴァイの眉間に皺が寄る。
彼はテーブルから足を下ろし、リボルバーのグリップを握った。
エリシアも瞬時に銃を構える。
「私の敵じゃありませんでしたわねぇ〜」
声。
聞き覚えのある声。
だが、通路の向こうから現れたのは――もう一人のエリシアだった。
「……ッ!?」
ヴァイの視線が左右を行き来する。
目の前に立つ二人。
仕草も声も、まったく同じ。
左のエリシアが、すばやく銃を構えた。
「あ、偽物」
――カチ……
乾いた音。
弾切れ。
左のエリシアが、気まずそうに頬を引きつらせた。
「弾切れ……」
「ちょ! ヴァイ!? さっさと偽物ぶっ殺しなさいよ!」
右のエリシアが、明らかに焦った声を上げる。
ヴァイはというと、ぽかんと口を開けたまま二人を交互に見ていた。
銃を向けるどころか、状況の滑稽さに呆れている。
「偽物はあんたでしょうが〜!」
「あなたこそ! ちょっと色が薄いんじゃありませんの!?」
「いんや! エレガントさがありませんわね! あなたこそ!」
「なんですって!? あんたこそアーバンでアバンギャルドな――」
――やいのやいの!
――やいのやいの!
まるで鏡の中で自分と喧嘩しているような光景。
二人のエリシアが互いに指を突きつけ、同じテンポで怒鳴り合っている。
「……」
ヴァイは少しのあいだ二人を見比べ、やがて無言のままポケットから黒い革財布を取り出した。
エリシアたちが訝しむ間もなく、彼はそれを逆さまにした。
――チリンチリィン。
金属音が床に散り、数枚の紙幣がふわりと宙を舞った。
重力のない空間ではない。だが、この一瞬だけ、時間が緩やかに流れるように見えた。
「やるわ。拾えよ」
低く、挑発するような声。
右のエリシアが、光の反射を目にした瞬間、反射的に動いた。
「うおおおお! カネ! カネ!」
床に転がる硬貨に飛びつき、必死に両手でかき集める。
その姿は、まさしく人間味にあふれていた――が、あまりにも“らしくなかった”。
左のエリシアが眉をひそめる。
「そんな、こぜn――」
――パアアアアアアァン!
轟音が響き、右のエリシアの顔が弾け飛んだ。
血と灰色の粘液が壁に散り、床に焼け焦げの跡を残す。
――GYAAAAAAAAAAAA!!
皮膚が剥がれ、内側から別の生物が現れる。
伸びる触手、蠢く筋肉。
それは人の形を真似た、醜悪な模造体。
「ナゼだ……ナゼ……ニセモノ、ダト!?」
かすれるような声でミュータントが叫ぶ。
ヴァイはリボルバーをくるりと回し、煙を吐く銃口を軽く上に向けた。
「え? ああ、確かにこいつは金の亡者だゼェ? だが……プライドも無駄にあってなぁ」
「GYAAAAAA……」
のたうち回るミュータント。
その横で本物のエリシアが、呆然と口を半開きにしていた。
ヴァイは肩をすくめ、淡々と続けた。
「床に落ちた金を拾うなんてのは、『ホームレスじゃないんですの!』とか言いやがるんだぜぇ?」
「GYOWAAAAA……」
ミュータントの悲鳴が徐々に遠のいていく。
その肉体は、やがて黒い液体へと溶け、煙のように消えた。
ヴァイは最後にその場を一瞥し、リボルバーのシリンダーを軽く叩いて一言。
「だからよぉ〜。めんどくせえ方が本物ってことで」
静寂。
ミュータントは完全に動かなくなった。
そして残されたのは、ぽかんと立ち尽くすエリシアと、床に散らばるわずかな小銭だけだった。
帰りのスペースシップにて。
――ウィイイイン。
スペースシップのエンジンが低く唸りを上げ、無限の闇を滑るように進んでいた。
操縦席の明滅するランプが、金属の壁面に反射して薄い光の斑点をつくる。
――カチカチ。
端末のスイッチを操作しながら、ヴァイは無表情に通信を終える。
わずかに電子ノイズが消え、静寂が戻る。
「……ふぅ」
軽く息を吐き、背もたれに身体を預けた。
長い任務の後、ようやく肩の力が抜けた瞬間だった。
その横で、エリシアが腕を組んでぼんやりと前方を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「そういえば、ヴァイ」
「あぁん?」
操縦桿を握る手を離さず、ヴァイは気のない返事をする。
眼前には銀色の星屑と、遠くで光る惑星の縁。
「なんか……さっき……金の亡者とか……言ってましたわね」
「えぇ? なんて?」
「……プライドが無駄にどうとかって……言ってましたわね」
「あぁ〜」
ヴァイは口の端を吊り上げ、まるで自分の冴えた機転を褒められたかのようにニカッと笑った。
「いいアイデアだろぉ〜? お前が本物か偽物か見分ける方法なんて、いくらでもあるからよ〜」
「……あぁそう」
短く返すエリシア。
だがその声音には微妙な棘があった。
外の宇宙は静寂に包まれている。
その中を滑るように進むスペースシップ。
だが、次の瞬間――
――ガクンッ!
機体が左右に大きく蛇行した。
「うおっ!? あちょ! 危ねえ! いて! こら! まだ手動モード――!」
「誰が金の亡者だってぇ〜! このぉぉぉ!」
操縦席で取っ組み合う二人。
ヴァイが必死に舵を握るも、エリシアの腕がその上に乗る。
「危ねえ! デブリにぶつかる! ちょ! 離せ! いててて!」
「な〜にが『めんどくせえ女』ですってえええええぇ!」
エリシアの怒声が艦内に反響し、無重力空間を漂う外壁にまで微かに伝わる。
――キエエぇエえぇええぇ〜!
その悲鳴のような金切り声が、静かな宇宙に吸い込まれていった。




