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現場視察

 魔界、地方都市。




 建設中の火力発電所、その敷地は鉄骨とコンクリートが入り混じり、砂煙が揺らめいていた。




 ——スッ。


 ——パチ。




 エリシアは慣れた手つきでヘルメットを被り、フルハーネス型の安全帯を腰に装着する。

 その姿は現場の作業員にも見劣りしない。




「……もしかして建設業の仕事してました?」




 元請けの工事責任者が思わず口にする。




「いや、そういうわけじゃないんですけど……ほら、立場上……工場とか視察に行くんですの」


「……あ、そういう感じなんですね……」




 苦笑いを浮かべる責任者。

 二人は早速現場の視察を開始する。




 ——ガコン……。


 ——カァン! カァン! カァン!


 ——ピーピーピー!




 鉄骨を叩く音、トラックを誘導する笛、遠くではアーク溶接の火花が弾ける音が響く。

 粉じん混じりの空気の中、エリシアと責任者はゆっくりと現場を歩いていく。




「今、天井クレーンの地組(じぐみ)をしておりまして」




 指差す先には、巨大な梁を囲むように仮設足場が立ち並んでいる。




「はえぇ〜、天クレってああやって組むんですのねぇ……」




 エリシアは目を輝かせながら頷き、工事の様子を興味深そうに眺めていた。




 今度はボイラーの工事現場へ。




「今は鉄骨建方の真っ最中ですね」




 案内役の責任者が説明する。




「すごいですわねぇ、あんな高いところで」




 エリシアが見上げる先、地上から十数メートルの高さ。

 そこでゴブリンやガーゴイルたちが小さな影となって動き回っていた。




 ——ウィイイイン!


 ——カァン! コォン!




 クレーンで吊り上げられた鉄骨が宙を舞い、慎重に位置合わせされていく。


 ゴブリンが素早くボルトを仮組みし、続いてガーゴイルがシャーレンチを構えて「ギュイイイイイン!」と締め付けていく。




「落ちたら真っ逆さまですわね!」




 思わず口をつくエリシア。




「ご心配なく。鉄骨を釣り上げる前に、必ず親綱を取り付けた状態で吊り上げますから」


「ほう」




「それに安全ブロックも使用させています。万一足を滑らせても墜落は防げます」


「すばらしい」




 エリシアは満足げに頷き、その場の緊張感を愉しむように、さらに目を細めて作業員たちを眺めていた。




 今度は鉄骨置き場へ。




 そこでは、次の工程で使う鉄骨が整然と並べられ、作業員たちが火花を散らしながら部材同士をあらかじめ溶接していた。


 時折、鉄の焼ける匂いと、溶接面の遮光ガラスに反射した青白い光が視界を横切る。




「溶接の品質は担保できてますの?」




 エリシアの問いかけに、責任者は即答した。




「うちは溶接の技量認定をしてランク付けしてますので。仮付けから、本格的な配管のRT検査対応まで幅広くカバーしてます」


「どうやって判別するんですの?」




「許可された作業者だけリストにしてあります。それに、ヘルメットにもステッカーを貼らせます。さらに技量認定カードを交付するまでは一切作業禁止です」


「徹底してますわね」




 エリシアは感心したように頷く。


 周囲では、溶接の火花が断続的に散り、規律と技術の裏打ちを物語るかのように、きびきびとした作業が続いていた。






 そんな中、視線の先に映ったのは、これから溶接作業に入ろうとしているコボルトと、その横に立つ監督だった。






(あ、ちょうど作業前ですわね)




 エリシアはなんとなく足を止め、様子を見守る。




 コボルトは一度ヘルメットを外し、犬のマズルがすっぽり入るように設計された亜人用の溶接マスクを手に取った。




 だが、顔を近づけた途端——






「……ゔぉえ」






 思わず顔を背ける。




「ちょっとぉ〜、お願いしますよ〜」




 監督が声をかけるが、コボルトはもぞもぞと落ち着かない。




「……ゔぉええぇ!」


「どうしたんですかぁ?」




 コボルトは鼻先にマスクを押し当てて呻いた。






「……くっさ」






「……」


「ゔぉえ!」




 コボルトは鼻が利く。匂いが誤魔化せない。




「新しいマスク持ってきてよ!」




「今無いんですよ〜!これしかなくて……。でもウェットティッシュで拭いたんで!」




「くっさいねん……も……も゛ぉ」




 エリシアと工事責任者は無言でそのやり取りを眺めていた。


 しぶしぶ、コボルトはマスクのゴムを頭にかける。




「くっさ!」




 ゴムに染み付いた汗のすえた臭いが、嗅覚を直撃する。




「も゛ぇ!」




「お願いしますよぉ〜、今日のノルマこれだけなんですよぉ〜」




 監督は図面を広げて説明するが、コボルトは顔を横に背けたまま。




「うわ……くっさ……。ゔぉえぇ!」


「コボルトさ〜ん……」




「もうマスク無しで良いか?」


「だめっす! 指摘になります!」




 ——チラッ。




 監督がちらりと工事責任者の方を伺う。


 だが、エリシアと工事責任者は依然として無言。

 ただただ黙って、その妙にリアルな攻防を見守るだけだった。




 コボルトは耳をヘニャァ〜と垂らし、半泣きの声で訴える。




「もう紙のやつ、紙のやつでいいわ!」


「実は……それも……」




 紙マスクすら在庫切れらしい。




「発注しとけよぉ〜」


「すいませ〜ん」




 監督が頭をかく横で、コボルトは観念したように中古マスクを手に取った。




「……うわぁ……ぐも……も゛!」


「……」




「ゔぉおえ……くっさ……」


「……」




「も゛っ」




 どうにか装着しようとするが、すぐに顔を背ける。




「あぁ……うっ!」


「……」




「くっさ」


「……」




「ゔぉえ」


「……」




 ……現場に、妙な間が流れる。


 監督も工事責任者も気まずそうに視線を泳がせる中、ただ一人、エリシアだけは無言。




 やがて彼女は何も言わずに踵を返し、その場を静かに立ち去った。



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