どんまい!ドルイド君!
魔界中央区。
魔王城を中心に広がるその巨大都市は、かつて魑魅魍魎が跋扈していた荒涼の地とは似ても似つかない。
今では自動車が行き交い、ドローンが空を飛び、Uberの魔界版が人と荷物を運び、オフィスには最新式のコンピュータが並ぶ。
混沌と文明が同居する、奇妙なメトロポリスとなっていた。
その魔王城。
ある部署のオフィスの一角。
——Prrrrrrr!
電話のベルが鳴り、ウイイイン……とコピー機が紙を吐き出す。
間を埋めるようにキーボードのタイプ音が続き、オフィスは一定のリズムで満たされていた。
その中の一席。
「……」
——かさかさ〜。
「……」
——かさかさ〜。
黙々と紙をめくり、クリップで留める音。
机に積まれているのは領収書の束。
ひとつひとつ日付ごとに仕分けられ、整然と並べられていく。
その作業をしているのは、ドルイド君だった。
魔界の喧騒や、外のテクノロジーの進歩とはまるで無縁。
ただ机に向かい、地味で果てしない処理を続ける日常。
「……8月……5日……7日……」
——パサ……パサ……。
「12日……13日……」
積み重なる紙の音だけが、彼の静かな労働を証明していた。
その後、ドルイド君は席を立ち、シュレッダーの前に移動した。
——ガサッ。
机の横に置かれた「ベロン街特製おまんじゅう」の空き箱。
その中には不要とされた書類がぎっしりと詰め込まれている。
洒落た包装紙が剥がされ、中身はただの古紙置き場と化していた。
ドルイド君はそれを一束ずつ手に取り、無言で機械へ差し込む。
——バリバリバリィ〜。
乾いた破砕音が室内に響き渡る。
「……」
——バリバリバリィ〜!
細かく裁断された紙片が下の袋に溜まっていく。
「あっ……」
手のひらに伝わる固い感触で気づく。
「クリップ……付いてる〜んだ」
呟くと、彼は丁寧に紙束を解き、金属を取り外した。
——パッ。
音もなく机に置かれるクリップ。
「……」
そして何事もなかったかのように、再びシュレッダーへ。
——バリバリィ〜!
書類は白い帯となって飲み込まれ、機械の中へと消えていった。
何気ない日常。
オフィスにはコピー機の稼働音、書類のめくれる音、キーボードの打鍵音が混じり合い、規則正しい労働のリズムが流れていた。
職員たちはそれぞれに黙々と自分の業務をこなし、互いに干渉することもない。
そんな中——
——ガチャ。
音を立ててドアが開く。
——ひょこ。
顔を出したのは特務室の室長、エリシアだった。
「……」
一瞬、空気が固まる。
オフィスを満たしていた音がぴたりと止まり、誰もがその存在に意識を奪われる。
だが次の瞬間、何事もなかったように再び作業へと戻る。
——ジイイイイィ……。
ドアの隙間から、エリシアのジト目が射抜くように室内を探る。
獲物を見つけようとする視線に、課長も次長も思わず顔を伏せた。
一度でも目が合えば、厄介な案件を押しつけられるか、あるいは理不尽な圧力を受けることは火を見るより明らかだった。
まるでサバンナでライオンと遭遇した小動物のような緊張感。
職員それぞれが心の中で「どっか行ってくれ……」「頼むから気づかないでくれ……」と念じている。
「おっ」
それだけ。
——ズカズカ。
エリシアは迷うことなく歩き出した。
狙いを定めたかのように一直線。
その進路の先にいたのはドルイド君であった。
シュレッダーの前で、今日もひたすら紙を飲み込ませ続けるドルイド君。
「〜♪」
ご機嫌に鼻歌まで交えている。
その前に、エリシアが音もなく立った。
「ちょっと」
「ん? あ、エリシア様な〜んだ♪」
——ざわ……。
オフィス全体に、一瞬だけ不穏なざわめきが走る。
「エリシア様」と呼ぶのは普通。
だが「〜んだ♪」なんて語尾をつけるのは、目上に対して言うべきではない。
なにせ彼女は、この城にいる誰もが恐れる存在。
「魔王より魔王してる」とすら陰口される室長だ。
その相手に「エリシア様な〜んだ♪」などと返すのは、常識的に見れば自殺行為に等しい。
……だが、それがドルイド君たる所以なのだろう。
場の空気に鈍感で、本人は悪びれる様子もない。
そして当のエリシアも、まったく気にした様子はなく、さらりと要件を告げた。
「ちょっとお使い行ってきて欲しいんですの」
——ピラッ。
手にしたメモ帳を突き出す。
ドルイド君は「え、なに?」という顔でそれを受け取った。
「でもシュレッダーしないと……」
「まあまあ。あぁ〜、財布預けるから、自分の昼ご飯でも買ってきなさいな」
その一言。
——パアアアアァ!
ドルイド君の顔が一気に明るく輝く。
財布を託されたという事実以上に、「昼ご飯でも買っていい」という甘言が彼の心を突き動かした。
「じゃあ行ってくる〜んだ♪」
嬉々として立ち上がり、鼻歌まじりにドアへと向かう。
「頼みましたわよ〜」
軽く手を振るエリシア。
周囲の職員は、あまりにも場違いな組み合わせに、ひそかに冷や汗を流していた。
さっそく職員用の軽バンの鍵を借りに向かうドルイド君。
——テクテク。
——テクテク。
「軽バンの鍵借りに来た〜んだ!」
元気よく声を上げると、隣にいた幹部クラスの魔族が振り向いた。
「悪い、最後の一台、俺が借りたわ」
キャビネットに掛かっているはずの鍵は……ゼロ。
目の前の幹部が手にしたもので最後だった。
「えぇ……」
ドルイド君の肩が落ちる。
「どこに行くつもりなんだ?」
「中央区のスーパーな〜んだ!」
その答えに幹部は少し安心したように口元を緩めた。
「じゃあ、歩いていけそうだな」
だがドルイド君にとっては話が違う。
荷物もあるし、中央区のスーパーまで歩いて行くのはどう考えてもクッソだるい。
「はぁ……エリシア様から頼まれたけど……歩いていくしか無い〜んだ……」
——トボトボ。
肩を落とし、鍵の掛かっていないキャビネットを横目に部屋を後にする。
しかし、その背中を見送った幹部がふと呟いた。
「あっ、やっぱ……」
「……?」
ドルイド君が振り向く。
「やっぱ近所だし……歩いていくわ……」
「……?」
「いや、いい! あんた、使えばいいよ」
鍵を差し出す幹部。
「……?」
なぜか譲られる理由がよく分からないまま、ドルイド君は鍵を受け取る。
「じゃっ」
——カツコツ……。
幹部は踵を返し、廊下の奥へと消えていった。
残されたドルイド君は鍵を見下ろしながら、小首をかしげていた。
魔王城から駐車場へと続く裏口。
——ガサ……ガサ……。
「……んあぁ」
足元を覆う雑草に、ドルイド君は顔をしかめた。
最近の長雨に続く強烈な日差しで、雑草は一気に繁殖している。
裏口の細い通路は左右から草がせり出し、ほとんど緑のトンネルと化していた。
——ガサッ。
(いや、ジャングルじゃ無い〜んだ……)
歩くたびに雑草がズボンの裾にまとわりつき、チクチクとした感触が不快さを倍増させる。
「〜もう!」
苛立ち混じりの声をあげつつ、草をかき分ける。
——ガサ……ガサ……。
なんとか抜けて駐車場に出た後、そのまま軽バンでスーパーへ。
——ブロロロォ……。
——キキィ。
駐車場に停め、降り立ったドルイド君はメモ帳を開いた。
「えっと……」
そこに書かれているのは、エリシア直々の買い物リスト。
・コピー用紙(A4)
・付箋
・割り箸
・シュワぱちラムネキャンディ
・じゃがりこ
・ウェットティッシュ(10パック入り)
「……」
——ガラガラァ〜。
カートを押しながら進んでいく。
「……あっ」
目に飛び込んできたのは「ドンタコス」特売の文字。
1袋88G。
——ガサッ。
即座にカゴに入れる。
「〜♪」
鼻歌混じりにカートを押す。
——ガラガラァ〜!
「あっ」
次に目にしたのは、ロコモコ丼の値札。
1個398G。
迷う間もなくカゴに追加。
こうして寄り道をしながらも、なんだかんだで目的の品々をひと通り買い揃えることができたのだった。
——ブウウゥン……。
——キイィ……。
——ガチャ。
軽バンを停め、荷物を両腕に抱えて裏口へと戻るドルイド君。
通路の先は、例の雑草がはびこるエリアだ。
——ガサ……。
「〜んあぁ……邪魔な〜んだ!」
両手がふさがっているため、草を払うこともできない。
仕方なく身体をひねりながら前に進む。
——ガッ。
「……っ!」
左足が雑草に絡まり、バランスを崩す。
ツタのようにしなった草が裾に引っかかり、彼の歩みを止めた。
荷物を抱えたまま、ドルイド君は小さくのけぞった。
「もう! 邪魔な〜んだ!!」
——ガサッ!
両手の荷物を地面に置き、腕をぶんと振るドルイド君。
その目の前に生い茂るのは、雨と日差しで伸び放題の雑草の壁。
「邪魔な〜んだ!」
——ゲシゲシ!
——ゲシ! ゲシゲシ!
勢いよく足を振り上げ、踏みつけ始める。
厚い葉が潰れ、土が跳ね、緑が散る。
——ピョンピョン!
——ふみふみ〜!
両足で飛び跳ねるように雑草を踏み荒らし、倒れ込む茎をさらに踏み砕く。
「ふんふん!」
呼吸を荒げながら、勢いを増す。
——ゲシゲシ!
——ふみふみ!
通路の左右で揺れる雑草は、次々とその下敷きになり、バサバサと倒れていった。
まるで小さな開拓者のように、ドルイド君は必死に道を切り開こうとしていた。
——ゲシゲシ!
——ゲシゲシ!
「もう! なんでこんな……雑草がいっぱいな〜んだ!」
必死に踏み荒らすドルイド君。
その瞬間だった。
——グボォ!
目の前で土が弾け飛び、一面が茶色に染まる。
——バラバラァ……。
遅れて頭上から土の塊がぱらぱらと降りかかってきた。
「……な〜んだ?」
顔を上げるドルイド君。
——ヌッ。
一瞬、あたりが暗くなる。
日食……ではない。
目の前に、巨大な“何か”が影を落として立っていたのだ。
「おわ!」
思わず声を上げるドルイド君。
——ヌウウウゥ……。
土にまみれた白いボディが、ぎしりと軋みながら彼を見下ろしている。
「……はわわ……」
息を呑み、後ずさる。
「……」
——ヌウウウウウゥ……。
目の前の存在は、自分の胴体よりも遥かに太い両足を持ち、相撲取りのように巨大な体躯。
それは大根だった。
——ヌウウウウウゥ……。
抜き出されたばかりのクソデカ大根が、無言のままドルイド君を凝視している。
「……」
「……」
互いに言葉もなく見つめ合う。
——ヌウウウウウウウウウゥぅ……。
重苦しい低音のような響きが、ただただ通路に木霊していた。
そしてクソデカ大根が動き出した。
——ヌッ。
「……」
——ドス……。
——ドス……ドス……。
——ドス、ドス、ドス、ドス……。
その巨体を揺らしながら、クソデカ大根は通路を進んでいく。
どこかへ向かって歩き去る背中は、無言のまま、ただ地響きを残していた。
——ドス、ドス、ドス……。
「……はわわ〜」
呆気にとられ、半開きの口で見送るドルイド君。
そのままオフィスへ戻ろうと、歩を進める。
——ズボ!
「のわっち!」
——ドテーン!
気づけば足元が崩れ、盛大に転倒。
クソデカ大根が埋まっていた窪みに、見事に落下してしまった。
——ズザァ。
「……なん……な〜んだ……!」
泥まみれになりながらも、なんとか荷物を抱えてオフィスに辿り着く。
「おお! 助かりますわ!」
エリシアは受け取った荷物を見て、満足げに笑う。
「じゃ、僕は戻る〜んだ」
——バタン。
——テクテク。
去っていくドルイド君の背中を見送ったあと、エリシアはふと目を細めた。
「……」
??????????????
泥まみれのドルイド君の姿を思い返しながら、一人で呟く。
「今日……そんな天気でしたっけ?」




