究極形態
アルセール大陸。
対魔王軍組織ユニオン。
ここは人類が魔王軍に抗うために築き上げた、最大にして最後の砦である。
戦場で用いられる兵器、日夜鍛えられるソルジャー、そして各国から送り込まれた勇敢な戦力。すべてが一堂に集い、ひとつの巨大な軍事組織として機能していた。
そのユニオンにおいて、最高戦力と呼ばれる存在がいる。
聖騎士。
一騎当千の武を誇り、その剣の輝きは人々にとって希望の象徴。
彼女の存在そのものがユニオンの誇りであり、旗印であり続けてきた。
今日もまた、彼女の個室オフィスには緊張感が張り詰めていた。
——コンコン。
扉を叩く控えめな音が、静謐な空気を破る。
その音に続いて、緊張を帯びた若い声が廊下に漏れた。
一人の新米ソルジャーが、汗ばむ手で拳を握りしめながら扉の前に立っていた。
「おぉ……入れ!」
凛とした、張りのある声が室内から響く。
その瞬間、若者の背筋は無意識に伸び、胸の鼓動は高鳴った。
彼が扉の向こうで待ち受けるのは、ユニオンの象徴にして伝説の戦士聖騎士である。
——ガチャ。
「失礼します!」
ソルジャーは勢いよく扉を開け、すぐに深々と頭を下げる。
足を踏み入れた瞬間、鼻をくすぐるのは紙とインクの匂い。窓際に差し込む光は、床一面に広げられた段ボールを照らしていた。
——ガサゴソ。
部屋の中央で背を向けた聖騎士が、鎧を脱ぎ捨てた軽やかな姿で箱を整理している。
「すまんな、呼び出して」
振り向かずに告げられる言葉。
新米ソルジャーは即座に返す。
「い、いえっ!」
「ちょっと荷物の整理を手伝ってくれ」
「はい!」
緊張で声が裏返りそうになりながらも、彼はすぐに動き出す。
机の横に山のように積まれた段ボールから、聖騎士の指示に従ってゴミを分別していく。
「この書類は……」
手に取った紙束を恐る恐る掲げる。
「それはシュレッダーだ。……そっちは、そうだな、デスクに積んでおけ」
荷物の整理は淡々と続いていた。
紙の束が積まれ、段ボールが動かされ、押入れに収まっていく。
——ガサゴソ。
「その段ボールをくれ」
「はい」
ソルジャーが両腕で抱え上げた段ボールを差し出すと、聖騎士はそれを軽々と受け取り、押入れへ収めていく。
だが、その中で一際大きな段ボールが、ソルジャーの目に止まる。
他の箱とは違い、やけに存在感を放っている。
——がさ……。
近づいて確認すると、黒々としたマッキーで書かれた文字が視界に入った。
「ヴァルキリー……なんとか……?」
思わず声に出してしまう。
「あのう……これって……」
「ん?」
聖騎士は振り返り、彼が抱えている箱を一瞥する。そして次の瞬間、何かを思い出したように頷いた。
「おお! これか!」
「……?」
ソルジャーは怪訝な顔をする。
聖騎士はにやりと笑みを浮かべ、声を低めて言った。
「これはな……もし強力な魔族を前にした時にのみ解放される……究極形態『ヴァルキリーアーマー』一式だ」
「おぉ……!」
——ゴゴゴゴゴゴ。
まるで箱そのものがうなりを上げるかのように、重圧が室内を包み込む。ソルジャーの背筋に冷たい汗が流れる。
「この鎧を纏えば、あらゆる属性を無効化し……物理攻撃を軽減し……さらに呪いすら跳ね返す究極の仕様だ」
「そんな……ものが……」
目の前の段ボールひとつが、戦況をひっくり返すほどの力を秘めているというのか。
——ゴクリ。
ソルジャーは喉を鳴らし、生唾を飲み込む。
その視線の先には、ただの段ボールとは思えぬ威容が鎮座していた。
一体どんなアーマーなのだろうか。
想像するだけで胸が高鳴る。
——ドキドキ。
——ワクワク。
ソルジャーの目の前で、聖騎士はヴァルキリーアーマーBOXをひょいと持ち上げた。
重々しい箱がまるで羽のように軽く扱われている。
「よしっと」
——ガサゴソ〜。
——ズズズうぅ!
次の瞬間、その箱は力強く押し込まれ、押入れの暗闇に吸い込まれていった。
「ふう」
安堵の息をつく聖騎士。
「えぇ!?」
ソルジャーの叫びが響く。
究極形態ヴァルキリーアーマー、押入れの主となる。
「ちょ! あの!」
「ん? なんだ?」
「そんなところにしまったら……」
「……?」
「取り出せないじゃないですかああ!」
——ガサゴソ〜。
——ガサゴソ〜。
聖騎士は平然と箱を重ねていく。
ヴァルキリーアーマーは「たぶんいらないしょるい」の段ボール、そして「夏コミ(去年)」と書かれた謎の箱でしっかりと塞がれていく。
——ズズウゥ!
——ガサゴソ〜。
「これで、よし」
——ガラガラ〜。
押入れの扉が静かに閉じられた。
「あ、ああ……」
ソルジャーはその場で膝から崩れ落ちそうになる。
究極形態、永遠の眠りにつく。
「お、もう帰っていいぞ!」
「……」
「……あ、そうだ」
「……?」
「これでジュースでも飲め!」
——ちゃりん。
小銭がソルジャーの手に渡される。
「……」
——バタン。
ドアが閉じ、残された彼は無言のまま硬貨を見つめる。
「……」
ソルジャー、静かに自販機へと歩を進めた。




