お宝
アルセール大陸、ルクレシア領。
大都市サンセット街。
ここは大陸中の物流が集まる拠点であり、その規模は随一を誇る。
今日は雲ひとつない晴天。
「〜♪」
エリシアは青果店で買ったオレンジを山ほど詰め込んだ紙袋を抱え、川沿いの道をのんびり歩いていた。
——バシャバシャ
突然、水飛沫の音が耳に届く。
(誰か、水遊びしてますわね)
——チラッ
軽く横を見たエリシアの目に飛び込んできたのは——
「……!」
——キャン!キャン!キャいイィん!
——バシャバシャぁ〜!
川の中で、必死に足をばたつかせる一匹のワンちゃんの姿。
今にも流され、溺れかけているではないか。
「なんてこと!?」
——あたふた!
——あたふた!
エリシアはオレンジの紙袋を抱えたまま、目を丸くして慌てふためいた。
「ああぁ〜!」
エリシアは抱えていたオレンジの紙袋をその場に放り出し、一目散に河岸へ駆け寄った。
——キャイ〜ン!
犬の悲痛な鳴き声が響く。
(何か……何か使えるものは!?)
飛び込めば助けられるかもしれない。
だが服が濡れるのは絶対に嫌。
そのため、周囲に目を走らせ、代わりに使えるものを探す。
ふと、橋の下に一人の男性がいた。
「……エリシェ……僕も今から君のところに……」
男は虚ろな目でロープを握りしめていた。
——ダッダッダ!
そのとき、別方向から土煙をあげて走ってくる金髪の女がいた。
「……?」
——ドドドド〜!
彼女は大声で叫ぶ。
「よこせ!よこせ!」
その瞬間、エリシアは橋の下の男からロープを素早く奪い取った。
「え、ええぇ〜?」
唖然とする男を無視し、そのまま全速力で川へと駆け戻っていった。
そしてエリシアは、奪い取ったロープに輪っかを作り、勢いよく振り回した。
——ブンブン!
——ヒュ!
——ぽちゃ!
「掴まるんですの!」
「わん!わオオオォン!」
必死に吠える犬に向けて投げ込むも、ロープはあまりに短すぎた。
「……ぐぎぎぃ!」
歯を食いしばるエリシア。
だが次の瞬間、覚悟を決めるとそのまま川へ飛び込んだ。
——バシャバシャ!
冷たい水の中、犬をがっしりと抱え込み、なんとか岸まで戻ってくる。
「はぁ……」
息を整えるエリシア。
だがせっかくの革ジャンは、ずぶ濡れになってしまっていた。
助け出されたワンちゃんは地面に降り立つと、数歩歩いて——
——ブルブルブルッ!
全身を震わせ、水しぶきを四方に飛ばす。
「わ、ちょ」
エリシアの顔に水滴がかかる。
そのまま犬は——
——バッ!
音を立てて走り去っていった。
「……」
無言で立ち上がるエリシア。
ふと見ると、川岸に置いたはずの紙袋のオレンジは、すでに誰かの手に渡って消えていた。
「……」
さて、数日後。
「〜♪」
そんな出来事もすっかり忘れ、今度はフランスパンを詰め込んだ紙袋を抱えて街を歩くエリシア。
——ハッハッハッハ
雑踏に紛れて、どこかで聞いたことのある息遣いが耳に届いた。
「……?」
振り向いた瞬間——
「ワン!」
そこにいたのは、あの日、川で助けたあのワンちゃんだった。
「あら〜」
(元気にしていたのねぇ……)
そう心の中で呟き、そのまま通り過ぎようとするエリシア。
——バッ!
だが犬は突然走り出し、彼女を追い抜くと——
——バクッ!
フランスパンを咥えて逃げ出した!
「あ、ちょ!おま!」
咄嗟に追いかけるエリシア。
「てんめええええぇ!クソ犬がああああぁ!」
「ウォン!ウォオオン!」
吠えながら疾走する犬。
怒号をあげて追走するエリシア。
逃げる先、目の前にはラーメン屋台。
犬はカウンターを華麗に飛び越えた。
——ガシャぁん!
寸胴鍋が倒れ、スープが流れ出す。
「おいおいおい!」
その直後、エリシアも飛ぶ。
——バキィイ!
着地と同時にカウンターが崩壊した。
「あああぁあああ!」
「麺が!麺がああああぁあ!」
屋台の主人と客の悲痛な叫びを背に、街中で堂々と繰り広げられる犬とエリシアの逃走劇。
——バッ!
——ダッダッダッダ!
「待てこらあああぁ!ぶっ殺してやる!ぶっ殺しやる!」
「わん!わん!」
犬はフランスパンを咥えたまま街の外へ。
エリシアも鬼気迫る形相で追いかける。
やがて二人(?)は小高い丘へと駆け上がった。
——はっはっはっはっは
「人間様を舐めやがってぇ!」
——ぼきぼき!
拳を鳴らすエリシア。
犬は観念したかのように、その場で立ち止まった。
——はっはっはっは
「……」
だが次の瞬間、犬は唐突にその場をぐるぐると回り始める。
「……?」
訝しげに目を細めるエリシア。
(ウンチング・タイムかしら?)
ところが犬は急に吠え立てた。
「ワン!ワオオオォン!」
その仕草はまるで「ここを掘れ!」と訴えているかのよう。
「……もしかして」
エリシアの脳裏を電撃のように走る。
(これは犬の恩返し……!? この下に埋まっているのは、お宝……!)
——ドドドドど〜!
エリシア、即座に街まで全力疾走。
ホームセンターでスコップを購入し、颯爽と舞い戻った。
戻ってきたスコッパー・エリシア。
「掘りますわよ〜!」
——ざく!ざく!
「ワンワン!わんわん!」
犬は尻尾をブンブン振りながら、くるくる回って応援する。
土の匂い、お宝の予感。
やはり、善い行いには見返りがあるのか——。
——ざく!ざく!
「ワンワン!わんわん!」
そして、ついに。
唐突に硬いものにスコップが当たった。
——ガキん!
「おぉ!」
興奮を抑え、エリシアは傷つけぬように素手で土を払っていく。
——サッサッサ!
「ワンワン!」
犬も興奮し、さらに吠える。
やがて、ついに姿を現した「宝」を高々と掲げるエリシア。
太陽の光を浴び、白く輝くそれは——
「……」
骨だった。
「ワフ!」
犬が骨をひったくる。
——ガブガブ〜!
嬉々として地面を転がりながら、骨を噛み砕く犬。
——ゴロゴロ〜!
「……」
静かに拳を握りしめるエリシア。
その瞳は何かを決意したように、ただ遠くを見据えていた。




