絵画
アルセール大陸、フィレット教国領。
大博物館。
世界各地から収集された美術品や遺物、時代を越えて残された資料の数々が整然と並び、巨大な空間を埋め尽くしている。
荘厳な天井装飾と静謐な空気の中、国内外から訪れた見学者たちが、時折さざ波のようなざわめきを立てながら行き交っていた。
——ざわざわ
——カツ、コツ
館内の一角には、職員が選定した絵画を展示する特別スペースがあった。
そこに飾られるのは巨匠の名作ではなく、一般の人間が描いた作品から選ばれたものだ。
シスターと呼ばれる女は、その空間で監視員として座っていた。
競馬——いや、正確には恵まれない人々への寄付金を稼ぐための副業である。
職務は単純、展示品が盗まれたり汚されたりしないよう見張ること。
「……」
一枚の絵の横に置かれた椅子に腰を下ろし、背筋をまっすぐに保ったまま、彼女は待機していた。
「……」
鋭い視線の先には展示物ではなく、スマホの画面。そこでは疾走する馬の姿が、光の粒を飛び散らせながら駆け抜けていた。
——コツ、コツ……
人波の向こうから、一人の男性が歩み寄ってきた。
「すいませ〜ん」
「……」
イヤホンを耳に差し込み、競馬中継に集中しているシスターは気づかない。
「あのう」
——トントン
男性が肩を軽く叩く。
「はい?」
シスターは視線をスマホから外さずに応じた。
「あの絵、とってもいいですか?」
男性の首からは大きなカメラが下がっている。
彼が指し示した先には、一枚の絵があった。
【机の上】
食べかけのハンバーガー、倒れたコーラの缶、散らかったゴミ——そんな有り様を、素朴なタッチで描いた作品。
作者:エリシア
シスターは面倒くさそうに返す。
「は〜い」
シスターは再びイヤホンを耳に差し込み、競馬中継へと意識を沈めた。
男は小さく会釈すると、無言で動き出す。
——ガゴ
両手で額縁をしっかりと掴み、そのまま絵を壁から外す。
——ガサ
抱えられた【机の上】は、そのまま男の腕に収まり、静かにどっか行った。
——コツコツ
「あぁ〜……くそ、外れた〜」
シスターは馬券の結果にため息をつき、イヤホンを外した。
「……?」
視線を上げると、壁にぽっかりと空いたスペース。
そこには、どう見てもついさっきまで何かが飾られていた痕跡がある。
「……まあいいか」
軽く肩をすくめると、シスターはあくび混じりに椅子へ腰を下ろし直した。




