がんばれ!ミノタウロス君!
魔王城・本棟廊下。
——ウィイイイイイィンん……
フロア清掃用のバフマシンが、静かに回転しながら床を磨いていた。
操縦しているのは、灰色の肌をした魔族の清掃員。
長年この魔王城で働いてきたベテランである。
作業中の彼の足元には、立て看板が設置されている。
《足元が滑ります ご注意ください》
無言で、機械を進めていく。
目つきは真面目。態度は無感情。心はなるべく無。
——ウィイイイイイィンん……
やがて、進路の先に「特務室」のプレートが見えてくる。
そこを通過しようとしたその時——
「人を舐めるのも大概にしなさいよォッ!」
——ドキッ
思わず体がビクリと跳ねた。
ただの清掃員、ただの廊下。にも関わらず、心拍数が跳ね上がる。
どうやら特務室の室長、エリシアが何かにブチ切れているらしい。
「きええエエえぇえぇエエェ〜!」
「ひっ!」
清掃員、再び硬直。
扉はわずかに開いており、そこから怒声と圧が漏れ出している。
(一体、誰が何をやらかしたんだ……)
そう思いながら、彼はできるだけ気にしないように作業を続けた。
——ウィイイイイイン……
が、怒鳴り声は止まらない。
「あなたそれでも魔族ですの!?あぁん!?」
再び心拍数上昇。
清掃員は目を伏せ、床だけを見ることに集中する。
床は大事。今磨いているこの床こそが、俺の人生。そう自分に言い聞かせる。
——ウィイイ……
「同じことばっかりしやがってエエええぇ……!」
——バコォン!
「ひっ!」
今度は何かが壁に叩きつけられたような音がした。
清掃員は本能的に「しゃがんだ方がいいか?」と一瞬考えた。
(……机でもひっくり返したのか……?誰か倒れたか……?)
特務室では、何が起きているのか全く読めない。
彼女の怒りは、明らかに常軌を逸している。
「ちょ!おま……。ぐぎぎ……!ふんぬ!」
何かを言おうとして言葉にならず、そして唸る。
「卑怯ですわよ!何?それで私に勝ったつもりですの!?」
(え……勝負してんの?仕事じゃなくて?)
好奇心は猫をも殺す。
そして、魔族の清掃員もまた、例外ではなかった。
(ちょっとだけ……)
抑えきれなかった。
あまりにも激しい怒声。物がぶつかる音。
これはもしかして、現行犯を目撃できるのでは……そんな薄い期待が、彼の理性を破った。
——ギイイイィ……
扉の隙間をほんの少しだけ開ける。
「……!?」
そこにあったのは——
——ガチャガチャ〜!
「ドリャ!ドリャァ!」
「はあああああぁ!」
エリシアとミノタウロスが、真剣な表情でスマブラをやっていた。
「……」
清掃員、無言でフリーズ。
脳の情報処理が追いつかず、口がぽかんと開いたまま動かない。
画面内では、ミノタウロスのリンクがひたすらブーメラン、爆弾、弓矢を使って間合い管理。
そのたびに、ガノンドロフのエリシアが怒りを倍加させている。
「卑怯ですわよ!こっちはガノンですのよ!」
「いや……これがリンクの基本ですから……」
そう、基本である。
だが、理屈が通じる相手ではない。
エリシアは顔を真っ赤にしながら、ずっと横Bと下Bを繰り返している。
ガノンの鈍重な体ではリンクに全く届かず、ただただ無惨に読み合いで負け続けていた。
「シャあああああぁ!」
リンクの上Bが見事に命中。
ガノンは吹っ飛び、ステージ外へ。
——ガチャガチャ〜!
復帰がゴミなので、当然帰ってこれず。
リンクの空下でピンポイントメテオされて、試合終了。
「あ〜もう!やめですわ!やめ!」
——プチ
エリシア、憤怒の形相でスイッチの電源を強制オフ。
「仕事しますわよ!てか、こんな時間に遊んでたら給料泥棒でしょうが!」
「……」
ミノタウロスは何も言わなかった。
だが心の中では、確かに叫んでいた。
(付き合えと言ったのはこいつ——じゃなくてエリシア殿なのに……)
廊下の隙間から、静かにそっとドアを閉める清掃員。
何も見なかった。何も知らない。今日は床がよく滑る、それだけだ。




