クソデブ
ゾーク帝国領、東部山岳地帯の奥深く。
そこには帝国が誇る、数少ない天然資源の魔石を産出する巨大な鉱山が存在していた。
国中からかき集められた労働者たちは、昼夜二交代制で坑道に入り、ひたすら岩を砕いては魔石を掘り出していた。
——ガキン! ゴキン!
——ゴロゴロゴロ〜!
ツルハシの音、崩れる鉱石、転がるトロッコ。耳に馴染みすぎたその音が、今日も坑内を支配する。
「ふん! ふん!」
「ほらぁ! 早くトロッコ運べ!」
「あと三十分で休憩にするぞ!」
むさくるしい男たちが汗まみれの顔で声を張り上げ、無言のままツルハシを振り下ろし続ける。機械のように黙々と、けれど確実に。
壁面に設置されたガス検知器のランプは緑色を保ち、WBGTも今日は基準値以下。比較的、働きやすい日だ。
そして、休憩時間。
——ゾロゾロ……
——ザッザッザ……
作業を終えた男たちは工具を置き、通路の階段を使って、地上へのモノレール駅へ向かっていく。
「ふう……疲れたな」
「今月は、土曜日も出ようと思う」
「……どうした? またスロットにつぎ込んだのか?」
「うるせえ」
笑いにもならない冗談を交わしながら、彼らは今日も変わらない坑道の風景に背を向ける。地上の空気はまだ遠い。
そんな階段の途中——。
降りてくる男たちは、これから坑道へと入る交代勤務の者たちとすれ違っていく。
「おはようさん」
「おうよ」
「今日は涼しい方だな」
「ああ、そうだな」
どこか眠たげな、しかし確かな労働者同士の挨拶が、今日も淡々と交わされる。
だがその通路の先。
モノレールへと向かう労働者たちの視線の先には、一人の存在が仁王立ちしていた。
——クソデブ。
通路いっぱいに広がる巨体。分厚い眼鏡をかけ、反射で目の奥は見えない。
愛称は「クソデブ」。とはいえ憎まれ口ではなく、親切で明るく、割と評判もいい。笑顔を絶やさない彼は、鉱山の名物的存在だった。
「あ、先に通っていいっすよ!」
そう言ってニコリと笑う彼の声に、労働者たちは一瞬、顔を引きつらせた。
「……」
——ぎゅむ。
いくら踊り場とはいえ、クソデブの体は手すりから手すりまでピッタリ詰まっている。まるで人間製の壁だ。
——カツカツカツ。
男たちは無言で彼の腹を押し分けるように、あるいは腹の湾曲に体を沿わせながら進んでいく。
本音を言えば「邪魔だよクソデブ!死ね!」の一言でも叫びたいところだ。だが、彼は親切で、評判もよく、挨拶もする。言えるはずがない。
「……と、通るぞ」
「は〜い。先に通ってください」
——ぎゅむ。
順番に、彼の腹の前を経由していく労働者たち。
——ぎゅむぎゅむ!
——ぎゅむ!
「お、お疲れ……」
「お疲れっす!」
そんな“交通”が行われていることもつゆ知らず、クソデブは笑顔で皆に挨拶を送っている。
——ぎゅむぎゅむ。
——ぎゅむぎゅむ。
——ぎゅむ〜!
「お前……前よりデカくなってないか?」
「そんなことないっすよ! ここにきて痩せたんですから!」
——ぎゅむ〜!
——ぎゅむぎゅむ!
……どこをどう痩せたというのか。
(なんでこいつの腹を経由しなきゃいけないんだ……)
誰も口には出さないが、すれ違う男たちの心に同じ念が去来していた。
それでも階段は、ぎゅむぎゅむと揺れながら、今日も静かに上りと下りの流れを飲み込んでいくのだった。