第93話 笑い声が聞こえる
一旦、僕らは実家に戻ることになった。ばあちゃんが数日入院するため必要なものを取ってくるのもあったけど、なにより晄矢さんの疲労がピーク。
病院近くのビジネスホテルに泊まることも考えたけど、晄矢さんが家に戻るなら、そこでひと眠りすれば充分と言ったんだ。
「僕の家、きっと想像を絶するから驚かないでね」
元々この辺りの地主だった人から貸してもらってる家。晄矢さんには見られたくない気持ちもあったけど、隠してても仕方ない。城南邸の物置にもならないほどの小さな家でも、僕が小学生からずっと暮らしてきた場所だから。
病院近くの喫茶店でモーニングを食べ、実家に戻る。お腹がいっぱいになると、僕も一挙に眠気が襲ってきた。
「僕の布団で寝て。ばあちゃんが昨日干してくれたみたいだから」
「寝袋じゃないんだ」
「違うよっ」
ふふっと笑う。夏だから敷布団だけでもよさそうだけど、生憎ふかふかではない。
居間を抜けて奥に僕の四畳半の部屋がある。そこに敷布団と枕、それにタオルケットが畳んで置かれていた。
――――ばあちゃん、昨日大変だったんじゃないかな。それであんなことに……。
「あ、これ、いいな」
居間から晄矢さんの声が聞こえてきた。
「なに? なにか珍しいものでもあった?」
お金持ちの家にはない不思議なものでもあっただろうか。僕が居間に戻ると、晄矢さんが熱心に壁を見ていた。
「あ、それ……」
そこには僕が取った賞状や小学生の頃に書いた絵が貼ってあった。
「まだ貼ってあったんかい。もうこれ、壁のシミ状態だよ」
「そんなことない。賞状もすごいが、俺はこの絵が好きだよ」
一枚の絵を指さした。僕は絵なんか全然得意じゃなかった。だから、別に賞をもらったとかのではない。
夏休みの宿題だったか、僕とばあちゃんが庭でトマトを収穫している絵だ。
「笑い声が聞こえてきそうだ」
晄矢さんは笑う。人体のバランスを無視したような拙い絵だけど、確かにこの日は楽しかった。畑の収穫は空腹を満たすことに直結するから嬉しいしかないんだ。
「こういうの見てると、この家には笑い声が溢れてたんだろうなって思える」
平屋の二部屋しかない家だ。居間はばあちゃんの部屋でもある。その壁に、ばあちゃんは僕の絵や工作をたくさん飾ってくれてた。それが今でもここにあるんだ。
「そうだね。うん……」
頷く僕の頭を、いつものようにごしごしと撫ぜる。そしておおきなあくびとともに伸びをした。
「んーっ! 俺はもう限界だ。寝る」
「あ、うん」
「一緒に寝る?」
「え? あ、いや。布団、シングルだし……それに少し片づけたいから……」
「そう? あとで添い寝してくれてもいいよ。心配しなくても、この分じゃとても襲えないし」
晄矢さんはもう一度大あくびをして、僕の部屋に向かった。
さすがに疲れてそうな背中に、僕は感謝と愛おしさを同時に感じる。思わず抱き着きたいのを懸命に我慢した。