第90話 すがりたい言葉
『涼、なにそんな驚いた顔してんの。私が病気になるわけないじゃないか』
『ばあちゃん、心配したよ。もう驚かすなよ』
『あんたに心配されるようになったら、私もおしまいやねえ』
そこで目が覚めた。僕は隣で晄矢さんが休憩も取らずに運転してるというのに、ウトウトしてたんだ。
「5分だよ。おまえが目を閉じてたの。休めるなら休め」
「いや、大丈夫だよ。それより晄矢さんも休憩した方が。次のサービスエリアで休もう」
「俺の体力を舐めるな。これが激務をこなす大人の力だ」
冗談を言う場合でもないけど、でも僕はその言葉にすがりたいくらい頼りに思えた。
病院に電話したら、担当医がいなくて詳しくはわからなかった。けど、今はとにかく安定してるので急変する恐れはないだろうと言われた。今はその不確かな情報にもすがってる。
どうして晄矢さんが、僕の危機に駆けつけてくれたのか。まだ聞いていない。晄矢さんはばあちゃんが倒れたことまで知っていたんだ。
――――けれど、今は聞けない。何を聞いても僕はこの車から降りられない。たとえ、晄矢さんがスマホに盗聴器を仕掛けてたって、今はそれすら有難いんだ。
僕は今でも覚えてる。
あの日、僕が目を覚ましたら、両親はいなかった。
夜中、ばあちゃんのいる岐阜の家に、身の回りのものと教科書だけ持って来たときは三人だった。けど、僕はなんとなくわかってた。ここに僕は置いていかれるのだろうと。
夜逃げする前日だったろうか。父さんと母さんが話してたのを耳にした。
『涼はお母さんのところに連れて行こう。それが一番いい』
「なにしとんの、涼。今から学校へ行くよ。遠いから、もう行かないと」
「あ、うん」
おにぎりの朝ごはん。お漬物と一緒に握られたそれは美味しかった。僕はそれを頬張りながら、ばあちゃんと初登校したんだ。
――――僕はなにも聞かなかった。母さんたちはどこに行ったの? いつ迎えに来るの? 答えを僕は知っていたから。
ばあちゃんも何も言わなかった。新しい学校は人数少ないから、すぐに友達できるよと笑った。
その笑顔があったから、僕はなにも恐れなかった。貧乏なんてなんでもなかった。僕はすぐに小遣い稼ぎ程度の仕事はできるようになったし、ばあちゃんには生活の知恵があった。
なによりも、ばあちゃんはいつも僕を褒めてくれた。『涼は賢いねえ。可愛い顔して、何でもできる』。僕はばあちゃんに褒められたくて、勉強もバイトもなんでも頑張れたんだ。
――――ばあちゃんはまだ70代だ。まだまだ元気でいてくれるはずだ。
僕はまた鞄をぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫だよね……こんなことで……」
「もうすぐ着くよ。そんな顔してたら、おばあさんが逆に心配するぞ」
晄矢さんの大きな手が、僕の頭をぽんぽんと軽く叩いた。その手が今は僕の心を安定させてくれる。
「ありがとう……晄矢さん……」
「涼のためならお安い御用だよ」
最寄りのインターチェンジに近づく。晄矢さんはゆっくりとハンドルを切り、車線変更をする。そしてインターへと滑るように入っていった。