第63話 テリトリー
お金は未だかつてないほど貯まっている。でも、今は学生バイトの稼ぎ時だ! 手をこまねいていることはないだろう。
スマホを片手にバイト情報を探る。高時給、短時間が希望だ。そこにドンドンとノックの音。こんな乱暴なドアの叩き方するのは一人しかいない。
「ドア壊れるよ」
「へへ。おまえ、戻って来たんだ」
岩崎だ。帰省もせず、バイトしてたのかな。ま、僕らにとってはものすごく普通だ。岩崎はずけずけ上がると、扇風機の前に胡坐をかいた。僕は自分にも当たるよう少しずらす。
「うん、首尾よくいってね」
「夏休み中に?」
あ、そうか……僕は引きこもり中の子供の家庭教師だった。
「あ、ええと。ほら、彼らは夏休みバカンスなんだよ。それで僕はお役御免ってわけで……」
めっちゃ嘘くさい……。
「ふううん。俺さ、おまえがすっげえ高そうなスーツ着て歩いてるとこ見たんだ」
げっ……そうか。誰にも会わないように気をつけてたけど、さすがに無理があったか。
「おまえ、なんか隠してるだろ」
突然鋭い突っ込みがっ。たらりと汗が流れるのは暑いせいばかりじゃなさそうだ。
「別に……違法なことはしていない」
「そりゃそうだ。仮にも法学生なんだから。でも違法じゃなきゃ、話せるんじゃない?」
むむ、なんかグイグイ来るな。でも、もう終わった仕事だ。包み隠さずはないけど、そもそもの話はしてもいいか。
久しぶりに自分のテリトリーに戻った安心感が警戒心に勝り、僕は突然降りかかってきたバイトの話をした。
「ま、マジか……なんだよ。もっと居座ればよかったじゃんか」
「無理言うなよ。もう一件落着したんだし」
「えー、でも、その依頼主の人? 本気で落とせば……」
「馬鹿だな。ゲイはあくまでも『フリ』なんだから。ルームシェアしてただけの話だ」
それは……真実じゃないけど、そこまで言う必要はないだろう。
「そうかあ? おまえなら落とせるよ。ノンケだって一回やっちゃえば、既成事実を作れる! 少なくとも慰謝料取れるぞ。犯されましたって!」
「あほか」
昨今ではそういう事例もある。襲われるのはなにも女性だけじゃない。だけど襲われた方の男性は恥ずかしさもあってなかなか訴えられないんだ。法律家のひよことしても見逃しがたい問題だけど。
「玉の輿のチャンスあったんじゃねえの? 大金持ちだったんだろ? 依頼主」
依頼主が『城南法律事務所』の御曹司であることは絶対に言えない。
「だけど、岩崎だって同じ目にあったら、そう簡単にはいかないだろ? 好きでもない人と……しかも男だぜ?」
「んんーー。確かに……女なら、どんなにブスでも考えるけど」
「失礼な奴だな」
「そんなチャンスがあればの話だよ。いくら俺が可愛い顔してても、母子家庭じゃ良家の娘は振り向きもしねえよ」
遊び相手なら考えるだろうけど、その先はない。それは僕も同様に感じてることだ。こいつも痛い目にあってきたんだろうな。
「ところで……恋人のふりしてたわけだから……人前で、キスくらいしたんか? その、依頼主の男性と」
な、何を言い出すのかっ! ニヒヒといやらしい笑いを浮かべてる。
「してねえよっ! いい加減にしろよっ」
人前では手を握るくらいだったろうか。でも、ふいに晄矢さんとの甘いキスが頭に過る。
頬が熱くなるのを悟られないよう、僕は立ち上がり、玄関横にある流し台に向かった。