第62話 四角い照明
僕が城南家を去ったのは、晄矢さんの言葉のせいだけじゃない。
晄矢さんが僕の貧乏暮らしを憐れんでいたのは残念な気持ちになったけど、そりゃそうだとも思った。頑なな態度を取って少し申し訳なかった。
――――晄矢さんのそばに居たら、僕は自分が自分でなくなってしまう。
ホントの、その、深い関係になって……嬉しさと戸惑いが同居してた。
僕の気持ちに降りてきた罪悪感。『おまえは現状に甘えてる』ってことだったんだ。僕の居場所は裕福な豪邸なんかじゃない。それを、自分で勝ち取ったように思うのはおかしいんだ。
僕は恋人の財力で大学生活を過ごしたり、弁護士になったりするのは違うって思ってた。始めた当初の、短期バイトなら構わなかったんだ。けど、本当の恋になったんだから。晄矢さんに甘えちゃだめなんだ。
――――それに……晄矢さんに溺れそうな自分も怖かった。
だって全てが初体験だったんだよ? もうすぐそばに彼がいて。手を伸ばせば触れる距離だったんだ。一生懸命勉強しようって気持ちがぐらつくのも怖かった。
だから、輝矢さんが戻って来た時、手っ取り早く逃げ出そうと考えたんだな。カッコいいこと言っても、実は意気地なしなんだよ、僕は。
『実家の近くで地域密着型の弁護士になりたい』
『ことが落ち着いたらアパートに戻る』
でも、これで奇しくも僕が輝矢さんと二宮さんに言ったことを実行できた。いずれも僕が最初から思っていたことだし、間違ってない。自分でも急だと思ったけど、これで良かったんだ。
これで元の生活に戻れば、時間はなくても勉強に集中できるはずだ。久しぶりにアパートに帰ると、めっちゃかび臭い。僕はなんだか笑えて来た。
まだ陽のあるうちにと思った僕は、窓をめいいっぱい開け、雑巾がけをした。ささくれ立った畳の繊維が雑巾につく。そして当たり前だが地獄のように暑い。城南家の全館空調に慣れ過ぎてた。
先輩からもらった扇風機を回し寝転がる。天井にぶら下がる、何の変哲もない四角い照明が目に入った。
――――ああ、これが僕の世界にある電灯だよな。
いつかまた、もう少しスタイリッシュな照明がついた天井を眺めたいな。晄矢さんの部屋みたいな高級ホテル仕様じゃなくていいから。
『またあのアパートに戻ったん?』
翌朝、ばあちゃんに電話をした。こっちに戻ったことを告げると『思ったより早かったんだね』と返って来た。ん? もっと長居すると思ったのか?
「うん。元々親子喧嘩だからさ。あとは家族でどうにかするだろ」
と、淡々と応えた。
『ふうん。ま、あんたらしいわな』
「どういう意味だよ」
『貧乏暮らしが板についてるってことだよ。それより、こっち帰ってくるんだろ?』
さらりと真実を告げられ焦るけど、話題はさくっと変えられた。
「うん。今月末かな。お盆時期は色々高いから……」
どこまでも貧乏性。普通はお盆に帰るものだが、僕は一度もそうしたことはない。やたら交通費はかかるし、混雑する。
『了解。待っとるよ』
ばあちゃんに『待っとるよ』と言われると、自然に頬がほころんだ。あそこもこことそう変わりないボロだけど、愛着があり過ぎる。それに、台所でばあちゃんが作る節約メシの匂いが大好きだった。
しかし、ばあちゃんにはどこか、全てを見通されてる気がする。考え過ぎかな。僕はバイトの詳しい内容は言ってないのに。
――――それに、何も聞かれなかったけど、僕の恋が終わったのも知ってるような。だとしたら恐ろしいな……。
僕の恋が終わりを告げたのかはわからない。でも、さすがに続かないだろうな。身分の差とか、安いドラマの世界と思ったけど、まさか自分に起きるとはね。