第54話 兄弟げんか
地下街の一画。大手チェーン店のカフェでは静かなジャズが流れている。客層も若い人から休憩中の営業マンなど様々だが喧噪からは程遠い。
そこに、血相を変えた大柄なイケメンの登場。一瞬で注目を浴びた。
「晄矢さん! お、落ち着いて」
僕は慌てて立ち上がると晄矢さんの腕を掴む。その腕はわなわなと震えている。
「晄矢、落ち着け。勝手に相模原君と会って悪かったよ」
輝矢さんは立ち上がり、頭を下げる。その姿を見て、とりあえず矛を収める気になったのか、晄矢さんは大きく息を吐いた。
「とにかく。場所を変えよう。俺にばれるくらいじゃ、すぐ親父に見つかるぞ」
僕らは晄矢さんに促され別の店に移った。
「ごめんな、涼。びっくりしたろ」
「あ、うん。でも平気だよ」
こんな扱い、僕は慣れっこだよ。第一、輝矢さんの考えは真っ当過ぎる普通のものだ。僕は場違いすぎる世界に来てしまってた。外から眺めることもできない世界だったんだ。それを、深く入り過ぎて忘れていた。
「兄貴には、俺たちが『フリ』をしてること言ってないんだ。帰ってきてもらうための計画とは言えなくてさ」
「ああ、それはそうかなと思った」
歩きながら輝矢さんに聞こえないよう、耳元で晄矢さんが事情を説明してくれた。結局、フリではなくなったから、今の気持ちを正直に言えばいい。そう晄矢さんは言う。
――――正直に……か。どう言えばいいんだろう。僕はどうしたいんだ、結局。
「俺たち、ていうか俺は端から事務所を継ぐ気はない。さっさと親父と仲直りしてくれ」
ランチ営業前の天ぷら屋、その個室に入れてもらえた。晄矢さんの行きつけらしく、女将が快く場所を提供してくれたのだ。お茶まで出してくれた。
「そういうけど……親父が許してくれないから」
「許してくれないって、どんだけ粘ったんだよ。ガキみたいに一度言われたからってすぐ飛び出して」
どうやら、晄矢さんは、輝矢さんが戦わず逃げたことに腹を立ててるようだ。
「私は菜々子を辛い目にあわせたくなかったんだ。親父と揉めれば揉めるほど、彼女たちは傷つけられる」
「それを守ってやんのが兄貴の仕事だろうが! なんだよ、全部俺に押し付けて!」
ううむ。普通に兄弟げんかになってきたぞ。僕は隅っこでお茶をすする。渋みが少なくて美味しい。
「俺も涼を連れて家を出たっていいんだ。だが、それじゃあクライアントに申し訳が立たない。だから、兄貴が戻るまではって頑張ってんだよ」
「そ……それは、申し訳ない。けど……相模原君はどうなの?」
「なんだよ、どうって」
「ほら、彼だって将来が約束されたらと思うんじゃないか。好きとかは置いといて。パートナーとまではいかなくても、うちの事務所に採用されるだけでも大きい。彼のご両親だって……」
え? 僕の両親?
「てめえ、それ以上言ったら舌引っこ抜いてやる!」
そこで激高した晄矢さんが輝矢さんの襟首をひっつかんで捩じ上げた。
「あ、ご、ごめん。ほんと御免」
「馬鹿兄貴っ! 涼はそんなつまんないこと考えてないよ!」
「そ、そんなことは……ないです」
「え?」
二人がそろって僕を見た。サングラスを取った輝矢さんは、写真で見たお母さん似で、晄矢さんともよく似ている。襟首を掴んでいた晄矢さんの手が、ふっと緩んだ。