第32話 夢ならいいのに
「あれ、もう始めてたのか。別に構わないけど。涼が飲むとこ初めて見たな」
コップ一杯のビールで随分気持ちよくなってた。風呂上りの……いつもの上半身裸のままで、晄矢さんが僕の隣に腰を下ろした。そして手酌して一気飲みする。
「お疲れ様でえす」
「あれ、なんだ涼、コップ一杯で酔ったのか?」
「は? 何言ってんですか。酔ってませんにょ」
確実に酔ってる。僕は隣に座る晄矢さんに、大胆にも体をくっつけて凭れかかった。
「酔ってるな。いいよ、たまには」
くすくす笑いながら晄矢さんは続ける。おつまみの豆類をぱくんとするのを僕は据わった目で見つめていた。
「晄矢さん。あのダブルベッド、僕に声かけるよりずっと前に購入したんだってね。祐矢氏と喧嘩して、じゃあ同棲してやるって」
晄矢さんの肩に肘を置き、顔を近づける。驚いて両目を開く晄矢さんの反応が楽しい。
「誰だそんなこと言ったの。全く……。まあ、そうだよ。で、榊教授に頼んだ」
「本当ですかぁ」
「本当だよ。正直期待してなかったんだけどね。最高の条件の子が……」
「またまた、誰でも良かったんれしょ? 焦ってたんだから」
僕は何を言い出すのか。いや、心の隅で僕の理性が『やめろ』と叫んでる。でも、当の僕は聞く耳を持たなかった。
「あれ……心外だな」
「にゃにがです」
「仮にも同じベッドで寝る相手だ。俺が誰でもいいっ! てなると思うか? 涼に声をかけるより前、2度ほど大学に行って様子を窺ってた。気が付かなかったか?」
「そ……そんな……ストーカーのような真似を……」
「ストーカー言うなっ!」
晄矢さんも酔ったのか、僕の頭を右手で抱えこむ。頬に張った胸筋がくっついてさらに酔いが回った気がする。
「でも、いつも忙しそうで……何かに追われてるみたいだったな。可愛かったけど」
「可愛い……て……」
ふふふ、と、また妖しく笑う。
「ほ、ほんとは……晄矢さん、ゲイなんじゃないれすか? だから……」
敬語とため口がごっちゃになってる。
「お、なになに、だから?」
面白がってる。なんだか僕はカッとなってしまって。
「だから、夜中にキスしたりするんだっ!」
「え……あー、あれか……」
――――『あれか』だと? 今僕が、どんなに勇気を振り絞って言ったかわかってんのか?
勇気もなにも、俗にいう、酒の力を借りただけなのだが。
「ぼ、僕のこと、どう思ってんですか。揶揄うのも……」
そこまで言って、なにか様子がおかしいのに気付く。目の前が遮断され、自分の唇に何かがかぶさってきた。
――――えええええっ!?
いつの間にか僕は、晄矢さんに抱きしめられていた。そして、キスを……。額とか、頬でなく、唇を重ねていた。僕は両目を開けたまま完全に固まった。
「これでいい?」
「こ、こ……」
「涼のこと、愛おしいと思ってる。これは、契約外のことだ」
愛おしい……それは……その……。その時、どうしてだろう。胸がいっぱいになった。そう思ったのに、胃の中のものが逆流してきたんだよ。
「うぐっ!」
僕は慌ててトイレに駆け込んだ。
「涼っ! 大丈夫か!?」
「こ、来ないでください!」
何が何だかわからない。僕はトイレにうっぷし、豪華和食ディナーを文字通り水に流してしまった。