第31話 ビール
その日は三条さんのマナー講習の日で、今日は日本食を教わった。日本食を食べることがこんなに難しいとは思いも寄らなかった。でも、これを役立てるときはあるんだろうか。
そしてこの日も晄矢さんは遅い。また名古屋かな。そこが先日の依頼人の故郷みたいだ。でも事件は東京であったのになあ。
先に寝るチョイスもあったけど、この間のことを思い出すとそれも躊躇われる。あの……僕の寝顔に、おそらくキスをしてきた。またそんなことがあったらと思うと、ビビッて眠れなかった。
「おっと、まだ起きてたのか」
ノックもなく、静かにドアが開いた。僕は例の勉強用机の前にいた。
「お疲れ様。うん、やれる時にやっておこうと思って」
少し疲れたような表情。そりゃこんな時間まで仕事なら疲れるよな。
「俺を待ってた……わけじゃないかな」
「それは……そんなことないよ」
なんて返せばいいものか。まさか、寝込みを襲われるのが怖くて起きてたとか言えないし。
「ま、いずれにせよ俺を待つ必要はないからな。さて、風呂入ってくるか。後でビール持ってきてもらうよう頼んだから、受け取っておいて」
「うん、了解」
自意識過剰。またこの言葉が頭に浮かぶ。あれは酔っぱらって帰宅した晄矢さんのおふざだっただけかも。あんなこと、ふざけてやってほしくないけど。
ビールを受け取るとコップは二つだった。
――――酒かあ。みんな二十歳になった途端、大騒ぎして飲むよね。その前から普通に飲んでいたとしても。
先月僕は二十歳になった。だけど僕はまだ飲んだことがない。大体飲み会だって行かないし、自分で酒を買うなんてあるわけがないよ。
グラスまで冷やしてあるビールはさぞ冷たくて美味しいのだろう。多分。なんだか喉が渇いてきた……。
ビール瓶は蓋を開けたのと開いてないのが一本ずつ。瓶ビールなんて珍しいし、この銘柄は居酒屋にはない外国のみたいだ。
――――高級ビールなんだろうな。
どうして僕はそうしたんだろう。今までの僕なら、見向きもせず艶々のパジャマに着替えて就寝するところだ。
それなのに、僕は自分のコップに八分目くらい注ぎ、口を付けた。
――――美味しい……。
ごくりと一飲み、ふた飲み。半分まで……。気づいたら飲み干していた。
それから起こったこと……僕はどうして覚えているんだろう。酔っぱらってしでかしたこと、普通なら忘れるよね。少なくとも僕はそう聞いてたし信じてた。
でも……朝目が覚めたとき、夢ならどんなにいいかと思った。僕は自分が言ったこと、したこと、全部覚えてたんだよーっ!