第26話 合意の上
「ちょ、ちょっと待っ……!」
僕は体を捩じり、全力で伸びてきた手から逃れようとした。
「え? なに?」
「あ……なんもないです……」
ぽかんとした晄矢さんの表情。伸びた手は、ベッドのヘッドボードに置かれた雑誌にあった。完全な僕の勘違いだった。
「あれ、もしかして勘違いした? 俺が襲うとか?」
完全に吹き出しそうになってる。いつものクールな双眸も目じりが下がり、口元もふにゃふにゃしていた。
「すみません……」
僕は素直に謝る。あまりに恥ずかしくて頭まで布団を被った。
「いや、謝ることはない。こんな場所で並んで寝てるんだ。少し動いただけでも恐怖だったろう。こっちこそごめん」
「やっぱり……僕寝袋で……」
寝た方がいいと本気で思った。けど、少しだけ、このふかふかの布団で眠りたい欲も顔を覗かせてくる。
「涼は……俺に襲われるとやっぱり嫌かな」
「そ! それは契約に入ってない」
思わず布団から首を出し、叫んでしまった。驚いた晄矢さんと目が合って……再び鼻の先まで潜る。気まずい。
「契約じゃあないよ。俺は君のおばあさんの言いつけを破らせたりするつもりはない」
『体を売ってはいけない』
ばあちゃんの言いつけの一つだ。晄矢さんの言いたいことは何となくわかる。売るんじゃないなら、合意の上(法律ではこんなふうに言うけど無味乾燥だね)ってわけだ。
「いや、ごめん。なんでもない。おやすみ」
僕が何も言わないからか、それとも僕を口説くのが馬鹿々々しくなったのか、晄矢さんはベッドサイドのライトを消した。
部屋は一瞬で暗転し、部屋の入口にある常夜灯だけが淡い光を放つ。
――――ばあちゃん、僕、このままここにいてもいいのかな。何かの歯車が完全に狂って外れかけてる。そんな気がするんだ。
僕がばあちゃんの家に置いていかれた時、彼女は既に年金生活に入っていた。岐阜の田舎で、古い借家に一人で住んでたんだ。
少ないながら土地とかあったようだけど、借金の肩代わりのため売ってくれていた。もう、僕の両親を助けるお金は残ってなかった。
それでも家の庭に野菜を育て、僕を食べさせるためにパートに出てくれた。僕のバイト代なんて小遣い稼ぎ程度だったけど、ばあちゃんを助けたい一心だったよ。
今でもたまに電話する。元気そうだから安心してるけど、そういえば、ここに来てからは一度も電話してないな。
――――明日、朝一に電話してみよう。
ばあちゃんは朝が早い。晄矢さんが出かけた後、かけてみよう。そう思っただけで、僕の心は落ち着きを取り戻した。
歳をとっても張りのある声が聞こえてきそうだ。苦しいこともあったけど、家の中はいつも明るかった。僕が楽観的なのはばあちゃん譲りかもしれないな。
今の僕の状況を話したら、どんな顔するだろう。少しだけ楽しみに思えて、僕は眠りに落ちた。